第四十二話 裏方の男たち
「周囲に異常はないか……?」
乗馬大会会場内、皇女専属近衛隊の陣営から少し離れた場所で、二人の男たちが会話していた。
一人は、いかにも目立つ巨体を誇る男。ほかならぬ、皇女専属近衛隊隊長のバノスである。
「はい。今のところは異常はございません。観覧席に近づく者もいないようですし、弓で狙えそうな箇所も、しっかりチェック済です」
問いかけに応えるは、同じく皇女専属近衛隊に所属する、オイゲンという名の騎士だった。
今日の乗馬大会は、基本的に、彼らの息抜きのために開催されたものだ。けれど、オイゲンをはじめとする一部の兵士たちは、今日も変わらず、ミーアの護衛をすることを主張した。
オイゲンは、剣の腕こそバノスに及ばないまでも、その忠誠心においては、右に並ぶ者のない男だった。
たとえ、皇女専属近衛隊が彼以外全滅したとしても、彼は一人で最後まで戦い抜くだろう……と、そう確信を抱かせる忠義の人だった。
ゆえに、バノスは彼に全幅の信頼を置いていた。
「近衛隊もよく警備してくれています」
さらに、元近衛隊ということも、都合が良かった。現在、会場の警備にあたっている者たちとのやり取りがスムーズにいくからだ。
これがバノスでは、ここまで上手くはいかなかっただろう。
「そうか。まぁ、皇帝陛下もご観覧あそばせているとあれば、連中も気が抜けないだろうしな。この警備の中で、ミーア姫殿下を狙うのは無理な話か……」
最後は、自分に言い聞かせるような口調でつぶやいてから、それを否定するようにバノスは首を振る。
「いや、やはり、油断は禁物だな。俺たちのほうでも必ず一隊は、ミーア姫殿下の護衛に回るようにしよう。それと、周りのご友人の方々もだ」
バノスの見立てでは、この場で最も命を狙われるのは、ほかならぬミーアだ。
彼の中で、皇女ミーアの重要性は、すでに星持ち公爵や皇帝を上回っている。この帝国が、まがりなりにも平和でいられるのは、すべて彼女のおかげだと、彼は確信しているのだ。
――思えば、最初に会った時にも、そうだったな……。
初めて出会ったのは、ルールー族との抗争の最中だった。
自分を守って領都まで戻れ、などと言い出した時には、なんてわがままな子どもだと呆れつつ、上手く撤退の口実を得た幸運を神に感謝したものだったが……。
――今から考えると、あれは、すべて計算の内だったんだな……。恐ろしい人だ。
そんな、帝国の屋台骨にして、自分たちの大恩人であるミーアの守りに力を入れるのは、バノスにとってごくごく当たり前のことだった。
――本来なら、皇帝陛下のほうも気にかけなけりゃならないところだろうが……そっちは近衛に任せちまおう。俺たちは、ミーア姫殿下を徹底的に守るべきだ。
帝国兵として一番に守るべきは皇帝であろうが……この際は、そのような原理原則は無視する。
――まぁ”皇女専属”近衛隊だからな。ミーア皇女殿下の護衛に専念しても問題ない……と主張することもできるだろう。皇帝陛下もミーア姫殿下のことを、たいそう大切にされている様子だし……。
「やあ、やってるな……」
突然の声。咄嗟に、剣に手をかけそうになったバノスは、相手を見て、ため息を吐いた。
「ああ、ディオン隊長。気配を消して近づかんでくださいよ……」
「ははは。てっきり気付かれないものと思ってたが、腕を上げたな、バノス」
軽く手を挙げるディオンだったが、すぐに苦笑いを浮かべて、
「だが、今の隊長は君だろう?」
「ははは。そうでしたな。いや、どうも癖が抜けませんな」
頭をぼりぼりとかいてから、バノスは言った。
「それで、隊長……ディオン殿も、ミーア姫殿下の護衛で?」
「ああ、そうだな。少し気になる敵が、帝国内にやってきたらしくてな……」
腕組みするディオンだったが、不意に、皇女専属近衛隊のほうに視線を向けて、目を細める。
「それはそうと、上手いこと部隊をまとめてるみたいだね」
「ははは。ディオン隊長が鍛えた百人隊ですからね。そりゃ、どこに行っても十分以上の戦果を挙げ……」
「半分は近衛隊だろう。それに、レッドムーン公の兵も混じっている。任務も、ただ戦えばいいというわけでもなく、あの、自由気ままな姫さんの護衛ときてる。いや、最近では輸送部隊の護衛もやっているんだったか……」
ディオンは、やれやれ、と肩をすくめて、
「実に面倒そうだ。僕ならごめん被るところだが……。実際、よくやってると思うよ。バノス隊長」
ニヤリ、と口元に笑みを浮かべた。
「ははは、あなたに認めてもらうというのは、ちっとばかし照れくさいもんがありますな。正直、実務的な部分はルヴィ嬢ちゃん……レッドムーン公爵令嬢が頑張ってくれてますし」
「そうなのかい? 副隊長にレッドムーン公の娘だなんて、やりづらくて仕方ないかと思っていたが……」
意外そうな顔をするディオンに、バノスは小さく肩をすくめた。
「同感ですな。いやぁ、嬉しい誤算でしたな。ははは」
っと、冗談めかした笑いを見せた後に、ふと、バノスは優しい顔になる。
「まぁ、実際、よくやってますよ、あのお嬢さまは。平民の俺の命令もよく聞いて、その意図をきっちりと酌んだ動きをしてくれる。助かってますよ」
その口ぶりに、ディオンは意外そうな顔をする。
「なるほど。君がああいった女性が好みだとは知らなかったな」
「ははは。そうですな。俺があと二十は若けりゃ、そんなおとぎ話を楽しめたかもしれませんな」
豪快に笑い飛ばすバノスに、ディオンも苦笑いを浮かべる。
「まぁ、そうだな。確かにおとぎ話だ。平民出身の騎士と大貴族のご令嬢の婚姻だなんて。あまりにも荒唐無稽すぎて赤面するが……」
ふと、思いついた様子で、彼は言った。
「だが、姫さんは、どうやらそういう話が好みらしいから、あまり馬鹿にしないほうがいい」
「そうなんですかい?」
眉をひそめるバノスに、ディオンは深々と頷き、
「なんといったかな……。友人のご令嬢とそういった本を読んでいるらしい。皇女専属近衛隊ならば、姫さんの暇つぶしに付き合うこともあるだろう。機会があれば聞いてみると良い」
などと噂をしていると、ちょうどタイミングを計ったかのように、ミーアが近づいてくるのが見えた。一緒に、ルヴィとシュトリナ、さらには慧馬の姿まである。
ディオンの姿を見て、おや? と意外そうな顔をするミーア。っと、次の瞬間、かたわらにいた慧馬が、すすす、っと、音もなく、ミーアの背中に隠れた。
「ははは、慕われてますなぁ……ディオン殿」
「まったく、出会ったばかりの頃の姫さんを思い出して、実に懐かしい限りだよ」
対して、ディオンは苦笑いを浮かべるのだった。