第四十一話 令嬢たち、動き出す
さて、速駆け勝負三本と障害物レースが終わったところで、前半の競技は終了。いったん、小休止を入れようということになった。
「なるほど、あの障害物の飛び方はなかなかお見事……。勉強になりますわ」
ホースダンスに向けて、障害物を飛び越える練習を積んできたミーアである。同じような動きが多い障害物レースは、実に参考になる部分が多かった。
基本的に、騎馬王国民の乗馬技術も見知っているため、目が肥えているミーアであるが……そのミーアをも唸らせるだけの腕前を、兵士たちは披露していたのだ。
「特に、今の最後のジャンプはお見事でしたわね。流れるような動きでしたわ」
「ああ。とても見応えがあったね」
そうして、隣で観戦するアベルと笑みを交わし合い……
「ああ、実に幸せですわ……」
なぁんて、浸りかけるミーアだったが……不意に、そこで動きを止める。
――って、バノスさんのアピールをすっかり忘れてましたわ!
そう、ミーアが集中力を持続させ続けるには、アベルのそばは場所が悪かったのだ。
――というか、こうしていい勝負をして盛り上がるのは良いのですけど……マンサーナさまを感心させるという意味では……まったく足りてないですわ。
視線を移せば、マンサーナは、確かに競馬に見入っている様子だったが、特に皇女専属近衛隊に感心している様子はない。
つい先ほどまでルヴィとミーアで懸命に売り込みをしていたのだが(あの騎兵は、隊長が手ずから鍛えた人物で……とか、良い乗り手だけど、隊長には一歩及ばない、などと、割と露骨にアピールしているのだが……)、いまいち手応えがない。
競馬に夢中のマンサーナである。
――やはりバノスさん自身の腕前で、注目させるしかありませんわね。まぁ、もともとそのつもりでしたし……とすると、ここは少し気合を入れに行ったほうがよろしいかしら……。
っと、その時だった。
「ミーアさま、すみません。少し席を外します」
「あら、リーナさん、どちらへ?」
尋ねると、シュトリナは、実に可憐な笑みを浮かべて、ミーアに耳打ちする。
「少し子どもたちのことが気になるので、見に行こうかなと思いまして……」
子どもたち=ベル、と頭の中で翻訳して、ミーアは、ふむ、っと頷いた。
――お父さまの手前、前半は一緒に観戦して……その後で、こっそりと抜け出して、お友だちと一緒に見ようということですわね。
星持ち公爵令嬢としての務めを果たしつつ、お友だちと遊ぶことを諦めない、その姿勢!
ミーアは、そこに、シュトリナの矜持を見た気がした。
……まぁ、それはともかく。
「それならば、わたくしも、一緒に行きますわ。着替えをしなければなりませんし……」
途中で、アンヌと合流し、さらにバノスを激励してこようと思い立つミーアである。が、それを聞いて、
「なにっ!? もう行ってしまうのか? もう少し、ここにいても良いのではないか?」
ごね始めたのは皇帝であった。
若干、ウザいですわ……などと感じるミーアであったが、それを口にしたりはしない。
なにせ、今年の冬でミーアは十六歳。もう、立派なレディーなのだ。そのぐらい、大人の態度で、かるぅく流せるのだ。
……いや、だが、待ってほしい。
ミーアは、過去に戻った時にすでに二十歳……立派なレディーだったような気がしないでもないが……。
まぁ、そんな些細なことは置いておくとして、ミーアはシレッとした顔で、
「あら、お父さま。準備をしなければ、わたくし、ホースダンスに出られなくなってしまいますけれど、それでもよろしいのかしら?」
「ぐぬ……いや、だ、だが……それは、あまりに寂しい……ぐぬぬ……」
皇帝は、悔しげに唸ってから……。ぽんっと手を叩いた。
「おお、そう言えば、あの子たちが一緒に来ているのでなかったか?」
「あの子たち、とは……? ええと、パティたちとベルでしたら、下におりますけれど……」
「なんと! それならば是非もなし。子どもたちをここへと呼んでやると良い」
「いや……でも、よろしいんですの? お父さま」
仮にも大国の皇帝である。
そんなに気安く素性の知れぬ者を呼んでも良いのか……? と尋ねれば……。
「素性の知れぬことはあるまい。ミーアが後見人を務める子どもたちなのであろう? であれば、それだけで十分だ」
「お父さま……」
父の言葉、そこから窺える自身への信頼にミーアは、不覚にも、ちょっぴり感動しかけて……。
「そもそも、ミーアに顔が似ているとなれば、それだけでなにも言うことがない!」
続く言葉に、ちょっぴりげんなりする。
――そうでしたわ。お父さまはベルの顔に、わたくしの面影があるからというだけで、甘やかす人でしたわ。
そのうえ今は、母の面影を持つ少女パティ(本人だが……)もいる。
ここに呼ぶことを躊躇う理由はなにもないのだろう。
「皇帝と子どもは高いところが好きというからな。きっと、ここに来たら喜ぶぞ」
などと無邪気に笑う父。
ミーアは、その横にいるもう一人の重鎮、レッドムーン公爵に目を向ける。が、彼のほうも穏やかな笑みを浮かべ、
「陛下が良いと言うものを、私がどうこう言うものではありませぬ。それに……やはり、馬はみなで楽しまなければっ!」
後半は、なんだか、前のめりになるウマニアである。
ウマニアってそこら中にいるんだなぁ、なんて感慨深く思うミーアであった。
ふむ、と鼻を鳴らしてから、今度はシュトリナに目を向ける。
もしかしたら、こういった緊張感のある場所ではなく、もっと気楽な場所でお友だちと観戦を楽しみたいのではないか、と危惧したのだが……。
「では、早速、不肖、このリーナが迎えに行ってきます」
などとすまし顔で言った。
――そうですわね。よくよく考えたら、リーナさんは、皇帝の前であろうと、緊張なんかしそうにありませんし……。
納得顔で頷いて、
「では、行ってまいりますわ。お父さま」
ミーアは静かに踵を返す。っと、その時だった。
「お待ちください。ミーアさま。私も、ご一緒いたします」
やおら、ルヴィが立ち上がり、キリリッとした顔で言った。
「おや、どうかしたのかね? ルヴィ」
父の問いかけに、キビキビとした様子で振り返り、
「はい。副隊長として、出場する騎手たちを激励してこようと思いますので……」
「出場する騎手……」
それを聞いて、マンサーナは得心したように頷いて、
「なるほど。それは大切なことだ。行ってきなさい。『彼』によろしくな」
その『彼』というのが、バノスを指すのでないことは明らかだろう。
恐らく、マンサーナは、ルヴィが婚約者となる予定の青年、ヒルデブラントの応援に行くと思ったのだろう。
そのことを察したのか、ルヴィの顔がわずかに曇るも、
「わかりました。お父さまも、どうぞ、引き続き、お楽しみください。我が皇女専属近衛隊の雄姿を」
そうして、ルヴィは静かにその場を去って行った。




