第四十話 令嬢たちのアピール、直撃す!
乗馬大会の開幕を飾るのは、純粋なる速さの競い合いたる周回競争であった。
ちなみに、極めてどうでもいいことながら、乗馬大会の閉幕を彩るのは、華やかな姫の乗馬ダンス……ということになっている。ということで、かなりのレベルのものが披露されると、みなが相応の期待をしているわけなのだが……。大丈夫だろうか?
まぁ、それはともかく……。
「ふむ、これは、なかなかに見応えがありますわ」
ミーアは能天気に、白熱のレースに吐息を漏らした。
「荒嵐の時には、もっと地面が荒れておりましたけれど、こうして、きちんと整地された場所でのレースは純粋な速さ勝負になって、これはこれで迫力がございますわ」
思わず前のめりになって応援するミーアに、
「あの時は、してやられました」
苦笑いを浮かべるルヴィである。が、そこで、ふと思いついたように、首を傾げた。
「しかし、ミーアさま。もしもあの時、地面がまともな状態だったら、どのように私と勝負するおつもりだったのですか?」
「え? それは……もちろん、秘密ですわ」
そう言って、意味深……っぽく見える笑みを浮かべるミーアである。
言うまでもないことだが、なにか良いアイデアがあるわけでもなく……っというか、そもそも、コースのぬかるみの件にしても、利用したのはミーアではなく、荒嵐のわけで……。ミーアには、作戦など最初からなかったわけで……。
なので、笑って誤魔化しつつ、話を変えにかかるミーアである。
「あっ、と……そうそう。伝え忘れるところでしたけれど、ルヴィさん。わたくし、今回の乗馬大会では、マンサーナさまに、バノスさんのことをアピールする予定ですわ」
「……はぇ?」
突然の不意打ちに、ぽっかーんっと口を開けるルヴィ。それは、ご令嬢にはあるまじき、ちょっぴりアレな表情だった――ちなみに、ミーアがよくするやつだが……。
「なっ、おっ、そ、え?」
「しっ、声が大きいですわ、ルヴィさん」
ミーアは、そっと、自らの唇に人差し指を当ててから、優しく笑みを浮かべる。
「いいですこと? わたくしの狙いが上手くいけば、今回の婚約話は取りやめになるはずですわ。けれど、それは、あなたの縁談を先延ばしにするだけのこと。であるならば、今回はもう一手……攻めの手を打っておくべきですわ」
「そっ、それが、父にバノス隊長をアピールすること……なんですか?」
神妙な顔で問いかけるルヴィに、ミーアはこっくりと頷いて……。
「そうですわ。縁談の相手からヒルデブラントを外すだけではだめ。そこに、バノスさんをきちんと当てはめるように動かなければなりませんの」
極めて真剣な顔で諭す、諭す! 熱心にルヴィを諭すミーアなのである。
なにしろ「ヒルデブラントよりも有望な相手がいるかも?」と思ってもらわないことには、ミーアの印象が悪化することは避けられないわけで……。
軍事に明るいマンサーナとは、ぜひとも仲良くしておきたいミーアとしては真剣にならざるを得ないのだ。
「まずは、マンサーナさまにバノスさんをアピールする。きちんとその存在を認識し、できれば、なかなか見どころがある奴だ! ぐらいのことは思ってもらわなければなりませんわ」
ミーアの力のこもった囁きにルヴィは、真剣な顔でうんうん、と頷き、
「それならば、問題ないかと……。なにしろ、バノス隊長は、とっても素敵な方……。見てもらえるだけでも、その魅力は伝わるはずです。特にあの筋肉が……ふふふ」
などと……まぁ、ご令嬢二人が若干アレな会話をする中で、競技は進んでいく。
「ふぅむ……。今までのところ、レッドムーン公の軍と五分と言ったところかしら」
前半の速力勝負は、ほぼ互角だった。
さすがに、安定力とタフネスが自慢のテールトルテュエ種である。どちらも大崩れしたりすることもなく、息の詰まるような接戦を繰り広げていた。
一本目の五周対決ではレッドムーン公の私兵が、二本目の三周対決では、皇女専属近衛隊が、三本目の一周対決では、僅差で皇女専属近衛隊が勝利をおさめていた。
「ほう、あの方は……トニさんと言ったかしら……。なかなかですわね」
接戦も物にして、ビクトリーランをする騎兵を眺めながら、ミーアはつぶやく。
ちなみに、当然と言うか、言うまでもないことながら……ミーアは本日の、皇女専属近衛隊の出場者のこと、その名前と顔とをすべて記憶している。
なにしろ、皇女専属近衛隊は、ミーアの剣にして盾。命を懸けて、革命の火からミーアを守ってくれる者たちなのだ。そんな彼らに「誰だったかしら?」などと言おうものならば、士気は下がってしまうだろう。うっかり盾を下げて「守り切れませんでした!」などという事態も起こり得るかもしれない。
そんな苦境に陥らぬためにも、ミーアは日夜、努力して、脳みそを酷使しているのである。そうして、その日に摂取した甘味をきちんと消費するようにしているのだ。だから、甘い物をちょっぴり食べ過ぎてしまうのは、脳を適切に使っている証拠なのだ……多分。
「しかし、これはやはりバノス隊長の薫陶が行き届いているということかしら……。ねぇ、ルヴィさん?」
チラリ、とルヴィに視線を送り、続けて、マンサーナのほうを窺うミーア。突然に話を振られたルヴィは、したり顔で。
「はい。その通りです。いつも、バノス隊長が熱の入った指導をしておられます。とても優秀な方で、特にその筋肉が素晴らしく……部下の者たちにも鍛練を施しております」
「まぁ、それは素晴らしいですわ。やはり分厚い筋肉があると安心感がございますし……」
などというミーアとルヴィの会話を、脇で聞いていたのはシュトリナだった。
小さく首を傾げたシュトリナだったが、直後、なにかを得心した顔で頷くと、
「そうですね。ミーアさまのところの大きな隊長さんは、とても頼りがいがある方ですね。あの熊のような体つき……、護衛として、リーナもとっても心強いと思います」
即座にノッてくる! 実に、勘が良いシュトリナである。
さて……そんな令嬢たちのバノスアピールを聞いて、興味を示したのは、レッドムーン公マンサーナ…………ではなく、その隣で観戦していた皇帝陛下だった!
「ほう……。筋肉……。頼りがいのあるパパ……なるほど」
そのつぶやきを聞き、ミーア、震えあがる!
「あ、いえ……お父さま、その……お父さまは別に、鍛える必要は……」
脳裏に、熊のように大きくなった父が「パパと呼んでくれ」と迫ってくる姿が過る。
ミーアは慌てて父を諫めつつ、シュシュッとレッドムーン公マンサーナのほうを窺う。っと……。
「なにをやっとるか! 我がレッドムーン家の騎兵が、そう簡単に競り負けるでない! 最後まで諦めずに粘らんかっ!」
マンサーナ、聞いちゃいなかった!
拳をぐぐぅっと握りしめ、大きく声を張り上げる。
彼は普段、どちらかというと落ち着きがあるイメージの人なのだが……。馬は……人を熱狂させる、罪な生き物なのだ。
「しかし、なかなか、やりますな。ミーア姫殿下の兵士たちは……。ですが、戦の技術は、馬に乗るだけにあらず。まだまだ勝負はこれからですぞ」
ギラリ、と熱のこもった視線を向けてくるレッドムーン公マンサーナ。それを受けて、ミーアは、
「ふっふっふ。受けて立ちますわよ。なにしろ、我が皇女専属近衛隊の隊長は、とおっても優秀なんですから! 特に、こう……パパ呼びを強要しないところとか、高評価ですわね!」
……ややアピールの方向が迷走しかけるのだった。