第三十九話 意気上がる者たち……
正直な話……。皇女専属近衛隊内において、今回の乗馬大会は、若干の違和感をもって受け止められていた。
これまでの帝国の叡智の行動には、すべて確固たる理由が存在していた。
最近忙しくしている食糧の護衛などは最たるもので、自分たちの仕事に極めて重大な意義を感じていた。それゆえに、忙しくてもなんの問題もなかったわけだが……。
今回の乗馬大会は、それとはいささか趣が違っていた。
ある者たちは、労うために、肩の力を抜けるような、楽しめるようなイベントを用意してくれたのだ、と言っていたが……。
「まぁ、確かに、常に緊張感の高い任務ばかりでは息が詰まる。ここいらで、一息吐けるような、ちょっとしたレクリエーションを用意してくださろうという、そのお心が嬉しいではないか……」
そのぐらいの感覚でいたのだ。
競技に参加する者も、それは同様で……どちらかと言えば、ミーアが後半に言っていた、「怪我をせず楽しもうぜ!」という意識のほうが強かったのだ。が……。
「……みな、聞いたな。ミーア姫殿下のお言葉を」
「ああ……確かに……しかと聞いた」
皇女専属近衛隊の者たちは、自らの陣営に戻って来るや否や、小声で囁き合った。
「ミーアさまは、我々を、誇りと言われた。ご自分の、帝国の叡智の、剣にして、盾と……言ってくださった……」
その言葉に、誇らしくも胸を張るのは、元近衛隊の者たちだ。
忠義に厚い彼らにとって、ミーアの言葉は、なによりも誇らしいものだった。
対して、元ディオン隊の者たちの反応は違っていた。
「レッドムーン公の軍に勝てと、おっしゃるか。なるほど、さすがはミーア姫殿下。言うことが違う」
百戦錬磨のディオン隊の者たちにとっても、レッドムーン公の軍は、紛れもない精鋭部隊だ。剣や弓の腕のみならず、その乗馬技術も超一級品で……けれど、皇女ミーアは、そんな強敵に立ち向かい、勝てと言う。
あなたたちならば勝てるのだ、と……堂々と言う。
かのディオン・アライアに鍛えられし兵が……どこかの潰えた未来で、年老いた身なれど、聖女の軍に一泡吹かせた男たちが……、そのようなことを言われたら、どうなるのか……。
「さすがは、ミーア姫殿下。実に愉快なことをおっしゃる。ならば、その命令、達成しないわけにはいかないな……」
「当たり前だ。いちいち口にするまでもない」
ニヤリと獰猛な笑みを浮かべる男たち。その士気は、天井知らずに上がっていく。
「我らにこのような見せ場を用意してくださった。ミーアさまのお心遣いに応えるためにも、お前ら、気張れよ」
そんな檄を受けるのは、代表として選ばれた騎手たちだ。
「おうっ! 任せておけ」
仲間たちの声援を背に、騎手たちは自らの馬のもとに向かって走って行った。
一方でレッドムーン公の私兵団の方も、意気上がっていた。
なにしろ皇女専属近衛隊に、大切なルヴィお嬢さまを筆頭に、複数の女性兵を引き抜かれた彼らである。
いかに、皇女ミーアの近衛隊に……とは言え、微妙に納得のいかないモヤモヤを抱えていたのだ。
「これは、意趣返しの良い機会だ。さすがに、正面から戦を仕掛けるわけにもいかなかったところを……まさか、あちらの方から、このような場を設けてくださるとは思わなんだ。ミーア姫殿下の前で、奴らに恥をかいてもらうとしよう」
「そうですな。先ほどの姫殿下の演説も、いささか聞き捨てなりませんでしたし。騎馬の扱いにて、我らを負かせとは……」
レッドムーン公爵家の兵たちは、自分たちの軍を誇りに思っている。ミーアが口にした帝国最強というお世辞を、彼らは、ごく自然に受け入れていた。
そう、自分たちこそが帝国の最精鋭。姫のそばにはべる近衛などに、負けるはずもなし。
にもかかわらず、先ほど、ミーアは言ったのだ。
皇女専属近衛隊に「勝て」と……。
そのせいで、彼らのプライドはいたく傷ついたのだ。
「我らは帝国臣民として、ミーア姫殿下を敬愛している。ゆえに……、姫殿下の不見識を放置してはおけぬ。このまま放置しては姫殿下の恥となろう。ここは、ご見識を改めていただくべく、一肌脱ごうではないか。なぁ、諸君?」
リーダー格の男の声に、おおうっ! っと気合の声を返す面々である。
さて、意気上がる両陣営を遠目に見て、ミーアは、うんうん、っと満足げに頷いた。
――双方、共にやる気十分ですわね。あれだけ気合が入っているのですし、きっとレッドムーン公にもご満足いただけますわ。迫力が違いますもの……。
そうして、待つことしばし。
第一試合が始まる。最初は、単純な速さ勝負だ。
「ちなみに、レッドムーン家では、馬はどのように揃えておりますの?」
ふと気になって聞いてみると……。
「大部分は、テールトルテュエ種ですな。あとは、血を混ぜた種類もおりますが……しかし、だいたいは、テールトルテュエ種で統一しております」
帝国が誇るワークホース、テールトルテュエ。速さは月兎馬に譲るものの。絶対的な安定性とタフネスには定評がある馬である。
「ほう、テールトルテュエ……東風と同じ種類ですわね……。となると、馬の差はほとんどなく、純粋に乗り手の技術が問われそうですわね」
なにやら、解説家めいた偉そうなことをつぶやいてから、ミーアは、ふん、っと腕組みするのだった。