第三十六話 平和の祭典、ミーアピック
平和の祭典 月女神の選び
今や、世界的なイベントとして知られるようになったその乗馬大会だが、初めて開かれたのがティアムーン帝国であるということ、最初に企画したのが帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンであるということもまた、有名な話である。
あらゆる地上の闇を等しく照らす月女神によって選ばれた、各国の乗馬自慢の者たちを集め、その技術力を競い合い、互いに健闘を讃え合うその大会は、国同士の友好関係を深めるものとして、人々に受け入れられてきた。
そんなミーアピックであるが、もちろん、批判的な見方をする者もいる。大会の規模が大きくなれば、その分、好ましく思わない者たちが出て来るのが世の常というもの。
帝国の叡智が始めたミーアピックであっても、それは例外ではなかった。
ある者たちは言う。
「なにが平和の祭典か。これは、各国の騎兵力を誇示するための場。軍事力を誇示し、他国を恫喝するための場に過ぎないではないか!」
と。
確かに、ミーアピックの競技の中には、軍事教練をもとに作ったものも多い。なるほど、騎兵の技術を見せあう場、と強弁することはできるだろう。
その発言には一定の説得力があった。
けれど、帝国の叡智の信奉者たちは答える。
「そのようなことを言うのは、帝国の叡智が成したことを知らないからだ。彼女がどれほど大陸の平和に貢献したのか、お前は知らないのか? 口だけしか出さぬエセ平和主義者とは違い、女帝ミーアは自身の生き方をもって、平和を作ることを実践したではないか」
この論説にもまた、大いなる説得力があった。
その当時から、すでに彼女の存在は「平和を生み出す聖母」として、大陸中に知れ渡っていたからだ。
そんな女帝ミーアが始めた大会が、軍事力を誇示するものであったなどと、言いがかりもいいところだ、と、彼らは主張しているのだ。
では、どちらが正しいのだろうか?
かつて、聖ミーア学園の生徒が、女帝ミーアに尋ねたことがあったという。
「ミーア陛下は、どのようなお心で、ミーアピックを始めたのですか? 騎馬隊を強化するために、良き馬の乗り手を探し出すためですか? 軍事力を誇示するためですか? それとも、各国の兵たちの友好をはかり、平和を維持するためですか?」
その問いに女帝ミーアは、一瞬、驚いたように瞳を見開き、そうして、なんとも言えない苦笑を浮かべたという。
そして、ついに、質問に答えることはなかった。
なぜ、彼女は明言を避けたのか……。
数多の歴史家たちは、その苦笑に意味を見出そうと、考察を重ねてきた。
自身の善意が、そのように世間にとられてしまったのか、と思わず苦笑してしまったのだという者がいた。
自身の想いとあまりにもかけ離れた曲解に、悲しんで言葉を失ったのだ、と言う者もいた。
そんなこと、考えるまでもないことではないか、と子どもの無邪気さに苦笑したという説もあった。
いくつもの説が出たが、結局のところ、その真意は誰にもわからなかった。彼女は、答えを口にしてくれなかったからだ。
だが、こうは考えられないだろうか?
女帝ミーアは、あえて、答えを口にせず、その答えを後の世を生きる我々に委ねたのだ、と……。
それを平和の祭典とするか、それとも、各国の軍事力を誇示する場に貶めるのか……。
その解釈の責任は、後の世を生きる者たち、自分の子どもたちに委ねようと、帝国の叡智は、そう考えたのではないだろうか。
その答えを出すのはあなたたちだと……答えられる質問に、あえて正解を出してくれなかったのではなかったか。
それは、彼女の祈りだったかもしれない。
自分の子どもたちに、帝国の、大陸の子どもたちに、賢明で、光り輝く未来を築いてほしいという……。
あるいは、信頼でもあったかもしれない。
きっと、子どもたちは大丈夫だと……。自分たちが築いた平和を受け継ぎ、そこから、さらに前に進んでいってくれると……。
その信頼を受け取った我々は……では、どのように生きていくべきだろうか?
その答えは、ぜひ、君たち、一人一人に出してもらいたい。
聖ミーア学園 第二十代学園長の卒業生への祝辞より抜粋
……さて……卒業生への祝辞にも登場してしまう、世界的祭典、乗馬大会ミーアピックではあるのだが……ミーアが、なにを思って始めたのか、実際のところは……。
「おお……。これは、なかなか……」
ミーア発案の乗馬大会の会場は、帝都ルナティアの郊外にあった。
黒月省の管轄の練馬場は、普段は、だだっ広いだけの、なんの飾り気もない広場なのだが……今はすっかり様相を変えていた。
そこは、異様な熱気で溢れていた。
入ってすぐの場所、左右両側に分かれて陣を張る両軍。
西に陣取るは、帝国正規軍を凌駕するとも噂されるレッドムーン家の私兵団。巨大な赤い月の旗を振り、気勢を上げている。
対する東に陣取るは、皇女ミーアの身を守ることに身命を懸ける皇女専属近衛隊。紫色の巨大な旗を振りながら、負けじと声を張り上げる。
「むっ……あの旗は……」
「皇女専属近衛隊の旗でしょうか……」
傍らに控えていたルードヴィッヒは、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「ミーアさまへの忠誠心を、形にするような旗が欲しいと、以前から申し出を受けておりました」
「なるほど……」
紫色の旗の表面には、妖精のような翼を生やしたミーアが三日月に腰かけているという、実になんともファンシーな刺繍が施してあったりするのだが……ミーアはよく見えなかったので、特には批評を口にしなかった。
「ミーアさま、どうぞ、あちらの席に」
そうして、ルードヴィッヒが指し示したのは、会場の奥。両陣営とは均等の位置にある席だった。
「あら、あれは……櫓かしら?」
「はい。レッドムーン家の協力で、即席の観覧席を作らせていただきました。全体の戦況を見通すために、高所から戦場全域を見渡す際に用いるものを利用しています」
それは、木材を組んで作った即席の櫓だった。
高さは、城の二階ぐらいだろうか。上のほうはバルコニーのようになっていて、そこに、席が並んでいた。
「すでに、レッドムーン公はいらっしゃっています。陛下も、じきに到着される予定です」
「ふむ、では、先に登っておきましょうか……」
ミーアに同行するのは、レムノ王国王子であるアベルと星持ち公爵令嬢のシュトリナだった。
さすがに、素性を明らかにすることのできないベルは下の席で、アンヌと共に子どもたちの面倒を見てもらうことになっている。
階段を登ると、そこには、レッドムーン公マンサーナ、それに、ルヴィが待っていた。
「レッドムーン公、ご機嫌よう。この度は、わたくしの企画にご協力いただき、感謝いたしますわ」
ちょこん、とスカートを持ち上げて、ミーアは、お姫さまっぽい笑みを浮かべた。
そうなのだ……やる気になればミーアだって、お姫さまめいた顔はできるのだ。馬鹿にしたものではないのだ!
……いや、だが待ってほしい。よくよく考えてみると、ミーアは元からお姫さまなので、やる気にならなければお姫さま顔ができないというのは、実は、奇妙なことなのかもしれないが……。いや、だが、それは深く考えてはいけないことか。
今のミーアは、頑張ってお姫さまっぽい顔をしているし、それに成功している。その事実だけが大事なのだから、深く考えるのはよそう。
そうして、お姫さま面したミーアに、レッドムーン公マンサーナは上機嫌な笑みを浮かべた。
「いえ、このように楽しい場にご招待いただき、感謝いたします。ミーア姫殿下。恥ずかしながら、この熱気に、私自身の血もたぎるような思いがしていますよ。ははは」
どうやら、楽しんでもらえている様子に、安堵しかけるミーアであったが……。
想定外の事態は、突如として襲ってくるもの。
「失礼いたします。ミーアさま」
急転は、ミーアの従兄弟の姿をして、やってきた。
あけおめです!
駅伝、楽しい! お餅も美味しい!
追記
平和の祭典「ルーナティック」から「ミーアピック」に変更。
ミーアピッ"グ"ではないので念のため。