第三十五話 始まる、乗馬大会!
乗馬大会の当日、早朝のこと……。
「う……ううん……」
日が顔を出すまで、まだ、数刻といった時刻……。
薄暗い室内、ミーアは、ひぃいいいいいっ! という悲鳴のような声で目を覚ました。
――今の声は、夢かしら……?
などと寝ぼけ眼で思った次の瞬間、再びの、ひぃいいいいっ! に、ミーアは心の中で、ひぃいいいいっ! っと悲鳴を上げた。
――いっ、いっ、今の声は……なんですの? なんですの!?
寝返りを打つふりをして、辺りを確認。広い部屋には、誰もいなかった!
ここがセントノエル学園であれば、すぐそばの隣のベッドではアンヌが寝ている。だが、今、この部屋にいるのはミーア一人である。一人である!
では……先ほどの悲鳴はどこから聞こえたのだろう?
誰もいないのに……誰が……声を?
などと思った次の瞬間、ひぃいいいいっ! っと再びの悲鳴。
さらに、窓を塞ぐ木戸が、ガタガタガタッと揺すられ、ミーアは震え上がった!
チラと薄闇に視線をやってから、窓のほうに背を向けて――それから、おもむろに毛布をかぶる。
――あっ、アンヌがいるなら……怖がってないか心配だから助けに行くところですけど……今はわたくし一人ですし。うん、このまま寝てしまっても問題ありませんわね。決して怖いとか、そういうことではありませんけれど、わざわざベッドから出て原因を調べに行くとか、そんな必要ありませんし。
ぶつぶつつぶやきつつ、ギュッと目をつぶるミーアであったが……。音は一向に止むことはなかった。
――うっ、うう……これでは、眠ることができませんわ……っ!
などと、毛布の中で唸ることしばし……、気付けば辺りは明るくなっていた。
「……あら? お、おかしいですわ。なぜ、こんなに一瞬で朝に……? この奇妙な現象はいったい……?」
などと言いつつ、無意識に口元の涎の跡を拭うミーアである。どうやら、寝落ちしていただけだったらしい……。
「おはようございます。ミーアさま。お目覚めですか?」
ドアを開け、入ってきたアンヌの顔を見て、ミーアは思わず、ほぅっと安堵のため息を吐く。
「ああ、アンヌ……。ご機嫌よう、良い朝ですわね」
「はい。ですが、昨晩は、すごい風でしたね。ミーアさま、お眠りになることができましたか?」
「風……ああ、あれは風でしたのね……。ええ。まぁ、きちんと眠れましたわ。うん」
ミーアがベッドから起き上がるのと同時に、アンヌが窓を塞ぐ木戸を開いた。すると、外からは、まぶしいばかりの日の光が降り注いでいた。
「おお、見事に晴れましたわね。ふふ、これは絶好の乗馬日和ですわ」
見上げれば、空は抜けるような青。のんびりと流れていく白い雲が、夏の日差しを反射して、キラキラと輝いていた。
穏やかな風が運んでくる朝の匂いを、思い切り胸に吸い込みながら、ミーアは大きく一つ伸びをする。
「さっ、それでは、参りますわよ」
気合を入れて向かう先は、言わずもがな……食堂だった。
さて、料理長の料理に舌鼓を打つルーチンワークを終え、気合充実したところで、ミーアは早々と乗馬服に着替える。
それから、白月宮殿の厩舎へと向かった。
騎馬王国での一件から、ミーアの馬扱いになった東風は、皇女専属近衛隊の厩舎から、城の厩舎へと移されていた。
ミーアの顔を見ると、東風は、穏やかな声で嘶いた。
「ふふふ、今日はよろしくお願いしますわね、東風」
そうして、ミーアは東風の鼻先を撫でる。
荒嵐だったら、くしゃみを吹っ掛けられそうなところだが、紳士にして騎士である東風は、そんな無礼な真似はしない。無礼な真似はしないが……それはそれで、ちょっぴり寂しくも感じてしまうミーアである。
――ふふふ、不思議なものですわね。くしゃみをかけられたことを、懐かしい思い出のように感じるなんて……。また、セントノエルに戻ったら、たっぷり乗り回してやることにいたしましょうか。
そんなことを考えている時だった。
「おお、ミーア姫。馬の手入れに来たのか?」
元気の良い声。視線を向ければ、慧馬が笑みを浮かべて歩いてくるところだった。っと、その顔が急に曇り、辺りをキョトキョトと見回してから。
「ところで、護衛にディオン・アライアを連れていたりは……?」
などと、恐る恐る聞いてくる。
「心配はありませんわ。さすがに、お城の中でまでは、連れておりません。それより、慧馬さん、今日はよろしくお願いいたしますわね」
そっと頭を下げると、慧馬は偉そうに腕組みして、
「ふふふ、そういうことであれば、我ではなく、蛍雷に言っておいてもらおう」
慧馬は、静かに厩舎に目をやる。その言葉を聞いていたのか、蛍雷が、静かな瞳を、こちらに向けてきた。
鼻がひくひく、っとしたかと思うと、ぶふぅーっと深く息を吐く。
「蛍雷の調子も良さそうだ。ふふふ、天気もいいし、良き勝負ができそうだ」
慧馬は、そっと空に目を向けて言った。
「今度は、帝国には負けんぞ」
「ふっふっふ、それはどうかしら?」
慧馬の力強い言葉を、笑顔で煽ってから、ミーアは続ける。
「ヒルデブラントも、彼が乗る夕兎も、かなりの実力者。ゆめゆめ油断はせぬように、お願いしたいですわ」
かくて、ミーア主宰の乗馬大会が始まる。
今年もありがとうございました。
また来年も、ミーアとともに駆け抜けたいと思います。
それでは、よいお年を!




