第三十四話 ミーア姫、お友だちを語る
乗馬大会が開かれるのは、七日後だった。
それまでの期間、ミーアはできうる限りの練習を重ねていく。完全本気モードだ。
基本的に、後ろから断頭台が追いかけてきている時には、無類の集中力を見せるミーアである。
――もしも、なにかがあって馬で逃げなければいけないのならば、目の前に柵があるからといって、足を止めるわけにはいきませんわ。
そのための事前練習と思えば、ハードな練習もまったく苦にはならないのだ。
そうして、メキメキと「馬の邪魔にならない乗り方」を磨き上げていったミーアは、ついには、乗っている途中で手綱から手を離し、片手を振れるぐらいの余裕を見せるようになっていた。
余裕……あるいは、油断を……見せるようになっていた。
「うふふ、ああ、なんだか馬に乗るの、とっても楽しいですわ!」
そうして練習でたっぷり体を動かし、空腹を癒すためたっぷり食べて、お風呂でたっぷり汗を流して、たっぷり寝る。
ミーアは、未だかつてないほどに、健康極まる生活を送っていた。そのお肌は、健康そうにつやっつや輝きを増していた。
そんな、ミーアの練習には、大抵、誰かがお供としてついてきていた。
ベルとシュトリナのこともあれば、慧馬のこともあり。
本日は、ヤナたち、三人の子どもたちが一緒だった。
子どもたちは、特に小さな馬に乗るのが楽しいらしく、エンジョイしている様子がよくわかった。
そして、ミーアが練習している間、子どもたちの面倒は、アベルが見てくれていた。
優しく手綱を引き、子どもたちを遊ばせるアベル。その姿が、将来の、自分たちの家庭を見ているようで……。
――子どもの世話をするアベル……イイですわね!
などと、思わずグッと来てしまうミーアである。
……まぁ、それはさておき。
その日、乗馬訓練を終え、白月宮殿に帰ってきたミーアは、駆け付けひとっ風呂とばかりに入浴。その後、ホッカホカになった体を、食堂でのんびり冷やしていた。
「あー、お風呂上りには、冷たいジュースが沁みますわ~」
なぁんて言いつつ、ダーラダラしていると、不意にヤナが歩いてくるのが見えた。その髪が、しっとり湿っているのを見つけて、ミーアはニンマリ、笑みを浮かべた。
皇女ミーアの数少ない贅沢の一つが入浴であることは、宮殿内では周知の事実である。
セントノエルのようには、設備が整っていない帝国において、お湯を沸かして入るというのは、結構な手間。にもかかわらず、毎日、入浴したいなどというのは、紛れもない贅沢であった。
だから、といってはなんなのだが、ミーアは自分だけが入ったお湯をそのまま捨ててしまうのは、もったいないなぁ、と常々思っていたのだ。なにしろ、ミーアのお風呂は、アンヌが用意してくれた浴槽香草も浮かんでいる豪華仕様なのだ。一回一回お湯を入れ替えるのは、なんだか、すごくもったいない気がしてしまって……。
かと言って、アンヌに使わせるというのは、少しまずい。いかに専属のメイドとはいえ、そこまでの特別扱いは、却ってアンヌに対する風当たりが強くなる。
かといって、貴族令嬢、例えばシュトリナであったり、他国の王侯貴族であったりの場合には、当然、ミーアの残り湯でというわけにはいかない。それぞれにお湯を用意して、湯浴みできるように手配するのが当然だ。
そんなこんなで、長らく、皇女ミーアの残り湯の使い道は定まらないままになっていたのだが……、三人の子どもたちの存在は、ミーアのそんなもったいない欲求を解消してくれたのだ。
まぁ、そんなこんなで、今日も、ミーアの二番湯に預かった子どもたちである。
――乗馬の後、汗まみれなのは気持ち悪いですし、お湯を有効に使っているようですわね。
髪を拭きつつ、トコトコ歩いてくるヤナに、ミーアは声をかける。
「今、お風呂から出たところですの?」
「あ、ミーアさま!」
ぴょこん、っと飛び上がり、背筋を伸ばすヤナ。それから、小走りに近づいてきた。
手が届く位置まで近づいたところで、ミーアはヤナの髪に触れた。
「ふむ、洗髪薬と香油もしっかり使ってますわね? うふふ、髪がとても綺麗ですわ」
指先で確かめるように毛先をいじってから、ミーアは優しく微笑んだ。
アンヌがミーア用に、と取り揃えてくれた入浴グッズを、ミーアは惜しむことなく、子どもたちにも使うよう、厳に言い含めてあった。
ケチケチはしない。祖母にも、そのお友だちにも、清潔かつ健康に過ごしてもらわなければ、ミーアが困るのだ。
――セントノエルに帰った時、この子がげっそりしていたら、ラフィーナさまに怒られてしまいますし……。
そういう意味では、この子は、ラフィーナを怒れる獅子にするか、親しみやすい猫にするかの良き指標なのかもしれない。
手厚くもてなそう! っと気合が入るミーアである。
ミーアに髪を撫でられて、ヤナは、くすぐったそうに笑った。
「あら? どうかしましたの? ヤナ」
「……そんなこと、言われたことないですから」
ヤナは、ちょっぴり頬を赤く染めて言った。
「あら、そうなんですのね。それならば、覚悟しておいたほうがいいですわよ」
ミーアは悪戯っぽく笑ってから、
「あなたは、きっと美しい淑女になりますわ。ふふふ、これから、嫌というほど殿方に言われると思いますわよ」
そう言ってやると、ヤナは困り顔で見つめてくるのだった。
「まぁ、それはともかく、帝都はどうかしら? キリルも退屈しておりませんこと?」
「あ、はい。ミーアさまにこのようにお気遣いいただいて……」
「ふふふ、そんなに堅苦しい言い方をしなくても構いませんわ。そう、退屈していないならばなによりですわ。ああ、そうそう」
っと、そこで、ミーアはパンッと手を叩いた。
「せっかくですし、聞いておきたいのですけど、最近、パティの様子はどうかしら? あの子も楽しんでおりますの? 乗馬とか……」
そう聞くと、ヤナは一転、表情を曇らせる。
「あら、どうかしましたの? なにか、気になることでも?」
「えっと……」
ヤナは、少しだけ考え込んでから……。
「馬に乗るのは、楽しんでると思います。でも……」
「でも?」
「弟に会えなくって寂しがってる、と思います。たった一人の家族なんだって言ってたから……」
「そう……」
ミーアは、腕組みして考え込んでしまう。
――ということは、クラウジウス家には、両親がいなかった、ということかしら? では、パティの時代のクラウジウス家の当主は……うーむ……。
「あの、これからも、気を付けて、様子を見て、報告するようにします」
キリリ、っとした顔で背筋を伸ばすヤナに、ミーアは優しく笑みを浮かべて、
「ええ。お願い……し……」
瞬間、嫌ぁな予感が背筋を走った。その『予感』はニッコリと微笑むラフィーナの顔をしていた。
――いっ、今のは……いったい……? わたくしは、なにを危険だと思ったんですの?
刹那の思考。答えはすぐにわかる。
キーワードは「お友だち」だ。
自らの危機感に導かれるままに、ミーアは言葉を組み立てる。
「ヤナ、あなたのその気持ちはとても嬉しいですわ。けれど、わたくしはあなたに、打算でパティのそばにいてほしくはないんですの」
「え……?」
「わたくしのために、パティのことを気にかけてくれるのは嬉しいことですわ。けれど、お友だちであることを二の次にして……パティの心を探るために友だちであることを利用して欲しくはない。あなたには、本当の意味でパティの良きお友だちでいてもらいたいんですの」
ヴェールガの聖女ラフィーナにとって「お友だち」というのは、とても大切なものなのだ。
では、もし、その「お友だち」というものを利用して、ミーアが情報収集をしている……などということが知られたら、どうなるか……?
――いい気分はしませんわね。自分の大切な価値観を汚されたと思っても不思議ではありませんわ。
それはヤバイ。下手をすると、また「あなた誰でしたっけ?」などと、ラフィーナに言われてしまう可能性だってある。
いや、なまじっか友誼を結んでしまっている以上、さらにラフィーナを傷つけてしまうことだってある……。
――ただでさえ怖い獅子を、手負いにさせてしまうとか……危険極まりないですわっ!
それは怖いし、それ以前にあの笑顔をもう一度見せられるのは精神的にもきつい。
せっかくお友だちになったのだから、このまま仲良しのままでいてもらいたい。
このまま心優しいラフィーナさまのままでいてもらいたいと切に願うミーアである。
「もちろん、友としてパティのことを気遣っていただくのは構いませんわ。それが良きお友だちというものですもの。心配事があれば、遠慮なくわたくしに言ってくれればいいですわ。ただ、わたくしのためになろうとする……その気持ちが強くなりすぎれば、パティと友だちなのかなんなのか、わからなくなってしまうでしょう?」
それから、ミーアはヤナの頭を撫でた。
「ヤナ、あなたの気持ちは嬉しいですわ。だけど、別にわたくしの役に立とうだなんて、考えなくってもいいですわ。あなたがなんの役に立たなくたって、あなたやキリルのことを、わたくしは決して見捨てませんわ。だから安心して、普通のお友だちとして、パティと接してもらいたいんですの」
ミーアの言葉を聞いたヤナは……なんだか、泣きそうな顔をして、ぽつり、とつぶやく。
「ミーアさま……お友だちって……なんですか?」
「……え?」
「あたしは……友だちとか、いたことがないからわからない、です」
その言葉に、ミーアは思わずハッとする。
そうなのだ、ヤナはヴァイサリアン族……。海賊の末裔と後ろ指さされる彼女には、友だちがいなくっても、当たり前のことで……。
「ああ、そう……でしたわね」
ミーアは自身の迂闊さに舌打ちしつつも、思わず考えてしまう。
――友だちとはなにか……。なかなか、難しいですわ。
されど、話の流れから考えて、適当なことは言えない。ヤナは真剣に質問しているのだ。ここではぐらかしては、パティに悪影響が出るかもしれない。
ミーアはしばし熟考……。自らのお友だちであるクロエを頭の中に思い浮かべて……。
「ふむ……そうですわね。わたくしの考えでは、お友だちとは……相手が大事にしているものを、否定したり馬鹿にしたりせずに、きちんと大切なものとして扱える関係……かしら?」
ミーアとクロエは読書を通じて友だちになった。だが、本の好みが完全に一致しているわけではない。そんなのどこが面白いんだろう? と思うようなものを、クロエが読んでいたこともあった。
だが、ミーアは決してそれを否定しなかった。クロエもまた、ミーアの好きな本を否定しない。むしろ、自分では手に取らなかったものだ、と、積極的にそれを読み、結果、二人の好みの幅は広がっていったのだ。
「相手とお話しして、相手の大切なものを知って……。そうして、お互いが良い影響を与え合い、お互いの世界を広げあっていける、そんな関係が良いお友だちといえるのではないかしら……って、ちょっぴり難しいことを言ってしまいましたわね」
照れ笑いを浮かべるミーアだったが、ヤナは真剣な顔で聞いていた。なんだったら、メモでも取りだしかねない勢いだった。
「そんな怖い顔をしなくっても平気ですわよ。今までいなかったとしても、これからたくさんお友だちを作っていけばいい。もっと気楽でいて大丈夫ですわ」
そうして、ミーアはヤナの頭を撫でる。パティの良きお友だちとなる、そのモチベーションアップに繋がるよう精一杯、励ましてみせたのだった。
ところで……ミーアは気付いていないことがあった。
それは「お友だち」という価値を大切に扱い、頭を悩ませるぐらいに真剣に向き合うということ……。それは、ラフィーナが大事にしているものを、自分自身も大切に扱うということ……。
特に意識することなく、ラフィーナとも良いお友だちの関係を育んでいることに、まったく気付いていないミーアなのであった。
ということで、なんだかんだで、ラフィーナともしっかりお友だちをやっているミーアなのでした。