第三十三話 ミーア姫、全力で波に乗りに行く
帝国の叡智ミーア・ルーナ・ティアムーンの仕事は多岐にわたる。
現在、ミーアは『第二の執務室』で、大切な仕事の真っ最中だった。
第二の執務室……すなわち、白月宮殿『白夜の食堂』である。
――ここで仕事をしてると、お茶がスムーズに運ばれてきますし。時折、気を利かせたどなたかが、お茶菓子を持ってきてくれることもある……。実に良い環境ですわ!
などと、まことにロクでもないことを思いついたミーアは、時折フラッと出没しては、ちまちまと仕事をしていくのだった。
では……そんな場所でしている大切な仕事とは何か? それは……。
「ミーアさま、今日の晩餐会のメニューをお持ちしました」
「ふむ、ご苦労さま」
そう。夕食メニューチェックである。ミーアにとって、それは、とてもとても大切な仕事なのである。
「ほう。黄月トマトのシチューと、三種のキノコの盛り合わせ……。ふむ、さすがは料理長、わかっておりますわね!」
厨房のスタッフから受け取った羊皮紙に目を通し……ミーアは偉そうに頷いた。
「子どもたちにはしっかりと、好き嫌いなく良いものを食べてもらいたいですし……このチョイスはなかなか良いですわ」
特にパティはミーアの祖母である。しっかり健康に育ってもらわなければ、ミーアの今に関わるわけで……。
「ああ、でも、これでは、キリルには少し足りないのではないかしら? 男の子はたくさん食べますし。それに、アベルもお肉が欲しいんじゃないかしら?」
「なるほど。肉料理を追加でございますね。かしこまりました」
「あとは、このデザートの量を倍に……」
「ミーアさま、甘い物はほどほどに、と、料理長から言付かっておりますので……」
厨房スタッフが困り顔を見せると、誤魔化すようにミーアは笑った。
「おほほ。嫌ですわね。もちろん冗談ですわ、冗談。そんな、デザートを増やせなどと、わたくしが本気で言うと思っておりますの? おほほ」
なぁんてやり取りを終えたミーアであるが、息つく間もなく次の仕事がやってくる。それは、その仕事は、眼鏡をかけた忠臣の姿をしていた。
「失礼いたします。ミーアさま、今度の乗馬大会の種目なのですが……」
「ああ。ルードヴィッヒ。できましたのね。どれどれ……」
ルードヴィッヒから羊皮紙の束を受け取るミーア。
「ルヴィさまとバノス隊長、それに、馬番のゴルカの意見も取り入れて作りました」
「なるほど……。おお、やはり、ただ競争をするだけではないのですわね」
紙面にざっと目を通せば、途中途中でルードヴィッヒが補足を入れてくれた。
「一番から三番目、それに、メインの慧馬嬢とヒルデブラントさまの勝負は、純粋に速さを競うものにしました。もっとも、同じでは面白くないので、それぞれに距離を変えています。それと、四番、五番目のものは、途中で障害物を飛び越える競争にしています」
「なるほど。おお、この現代五種というのは、面白そうですわね」
「ええ。七番目は馬上弓術、八番目は馬上剣術。そして、九番目の、その現代五種については、兵の訓練を参考にした複合競技にさせていただきました。地上での剣術と馬上剣術、地上での弓術と馬上弓術に乗馬術……。その総合点で競うというのは、私も聞いたことがありません」
「これは、アイデアを出してきたのはルヴィさんかしら? ふふふ、さすがはレッドムーン家と言ったところですわね……。良い発想ですわ。ふむ……?」
っと、次の瞬間、ミーアの視線は、最後の種目に吸い寄せられる。
「はて……? この……ホースダンス(仮)というのは、いったい……?」
「はい。何と書けば良いのか、競技の名前がなかったので便宜上ですが……」
ルードヴィッヒは真面目な顔で頷いてから、クイッと眼鏡の位置を直して……。
「馬番のゴルカから聞かせていただきました。昨日、コティヤール侯爵邸にて、ミーアさまが熱心に、障害物を飛ぶ訓練を積んでおられたと……」
「ええ……。まぁ、そんなこともありましたけれど……」
昨日のことを思い出すミーアである。そう言えば、調子に乗って、子どもたちの前で、片手放しで手を振ったりしてたなぁ、とか……。何回も障害物を飛んでは降りてを試したなぁ、とか……。
「このホースダンスというのは、そうした障害物を華麗に飛び越えつつ、人馬一体のダンスを披露するというもので。最後のミーアさまは、他者と競い合うのではなく、勝負に参加したすべての者たちを労うような、そのような競技がよろしいのではないか、とのことで、ご提案させていただきました」
なぁるほど……それは、確かに、乗馬大会の最後に相応しい競技だなぁ……などと他人事のように思うミーアだが……。あいにくと、それは他人事ではなく自分事である。ゆえに、無責任なことは言えない。
実際、馬にジャンプさせてみて、つくづく思ったのだが、あれはなかなかに大変だ。
いくつも障害物を連続で飛ばせるのは、それなりに訓練が必要だろうし、あの東風ですら、途中でジャンプを嫌がったこともあった。
ミーアは慌てて羊皮紙をめくっていき、ほどなく「ホースダンス(仮)」なるページを見つける。そこには、馬場を最大限に使い、各所に障害物を並べた一案が描かれていた。
「おお……こっ、これは……」
「ゴルカが上げてきた、あくまでも一案ですが。会場のどこにいても、ミーアさまの華麗なる乗馬が見られるように、と、障害物を配置させていただきました」
「そ、そうなんですのね……」
ミーア、若干、顔を引きつらせつつ……。
――これ、やるのかなり大変なんじゃ……。なっ、なんとか、いい感じでお断りすることはできるかしら……?
ミーアはすぐさま検討を始め……もしも、自分がこれをしなかった時のことを想像し……改めて、羊皮紙を眺めて……。
――ぐっ、こっ、この熱量はっ!
思わず圧倒される。羊皮紙の上からあふれ出る乗馬愛に……。
もしも、ミーアがこのホースダンス(仮)とやらをすれば、どれほど見事なものになるか……。そんな期待と情熱の滲み出る文面に、ミーアは思わずクラァッとする。
さらに厄介なのは、この競技がとてもよくできていることだ。つまり、最初からできないようなものではなく、ミーアが頑張ればギリギリでできそうなラインを攻めていることだった。
例えば城壁を馬で駆けあがれとか、馬で宙を飛べとか言われたら「んな無茶な……」と却下もできるだろう。けれど、このホースダンスは頑張れば、できそうなのだ。
そして、頑張ればできるものを提案されてしまっては、あとはミーア自身の頑張りにかかってくる。
すなわち、これをやらないということは、ミーアが頑張らないことを宣言することに等しい。
――かっ、仮にやらないと言ったら、これを書いたゴルカさんの士気と忠誠が下がること間違いありませんわ……。かといってみっともない乗馬姿を見せても、やはり忠誠は下がるわけで……。
ミーアの目の前に迫るは大波。頑張って乗れば、臣下からの忠誠心も大きく上がるが、サボって沈めば、ダメージは計り知れない。
――うう、お、おかしいですわ。今回、わたくしは、最後のほうにチョロッと出て楽をするはずでしたのに……。なぜ、このようなことに……。
すっかり夏休みを満喫するつもりになっていたミーアは、かつて、ベルに言った言葉が、自らに返ってきたことを悟った。
そう……ミーアの休日も、今日、終わったのだ。
たった今! 終わってしまったのだ!
ミーアは、うぐうう……と小さく唸ってから、言った。
「……ああ、これは、素晴らしい企画を立てていただきましたわ。気合を入れて取り組まなければ、いけませんわね……」
仕方ない。波に逆らうのは、結局、海月ミーアのやり方ではないのだ。
波が来てしまった以上、それに逆らわず、全力で乗るのが、最も楽をする方法なのだ。
こうして、ミーアの特訓が始まった。