第三十話 知られざるダンスの秘密
時間は、少しだけ巻き戻る。
「ふぅむむ……」
その日、ベルは朝から唸っていた。
部屋のベッドの上、うつぶせに横たわり……眉間に皺を寄せつつ、悩ましげに唸る、唸る。
ルードヴィッヒから預かった日記を読みつつ、頭を抱える。
「やっぱり書いてない。どういうことなんだろう……」
「ベルちゃん、大丈夫?」
心配そうな顔をするのは、シュトリナだった。
ちなみに、きちんと個室を用意すると言われたシュトリナであったが……ちゃっかり、親友と同室に泊まることで話を付けてしまった。
イエロームーン家で培われた交渉力をいかんなく発揮するシュトリナである。
休暇を満喫するつもりだったベルとしても、お友だちとの相室は望むところであったが……、同時に少々の不安も感じていた。
――リーナちゃん、まだ、ボクが死んじゃったショックから脱してないのかな……?
ついつい、そんなことを思ってしまう。
なんだか朝起きた時、ちょっぴり心配そうに見つめられているし……。それに、今にして思うと、シュトリナがディオンと結ばれたことも、ベルは気にかかっていた。
――もしかして、二度とボクが殺されないようにって……守る力を欲したとか……?
そんなことすら思ってしまうベルである。
「ベルちゃん?」
きょとん、と首を傾げるシュトリナに、ベルは小さく微笑みを浮かべた。
「ううん、なんでもありません。ただ、ボクがここですべきことってなんだろうって、悩んでるだけです」
ベルは改めて、目下のところの問題点に思考を移す。
女帝ミーアの帝位を継ぐ者……それこそが、未来からやってきたベルに期待された役割だった。
女帝ミーアの施策、それを最も間近で、直接、余すところなく目の当たりにすること……。
それは、ベルの権威をなににも増して高めるものだった。
時間転移を経験する予定のベルは、女帝の地位を継ぐ者であると、誰もがみな思っていた。
だから、この過去の世界への転移は、言ってみれば留学のようなものだった。
ミーアのもとで、しっかりとその功績を眺めつつ、ちょっぴり遊ぶ休暇のようなもの……そんなつもりで、ベルはやってきたのだが……。
「ボクの時間遡行にも意味があるなんて、思ってもいませんでした……」
突然、指摘された事実。それに驚いたベルは急いでヒントを求めた。のだが……。
「ううん……ルードヴィッヒ先生の日記帳に書かれているかと思ったんですけど……」
ルードヴィッヒの日記帳、それは、極めて有効な世界の観測記だった。
ミーア皇女伝の記述が書き換わったことを知ったルードヴィッヒは、自らの日記帳の記載も容易に書き換わることを予測して、現実で起きた出来事だけでなく、夢で起きた出来事をも、すべて書いてまとめることにしたのだ。
これにより、日記を書いていた時間軸が消え、別の時間軸の流れが主流となった時にも、以前までの記述自体は夢の記録という形で残るのではないか? と、そう考えたのだ。
だが……。
「ボクのことは、なぁんにも書いてません……。うーん、ルードヴィッヒ先生ならば、なにかヒントぐらいは書いていてくれるかと思ったのに……。うう、やっぱり、ルードヴィッヒ先生、厳しいです」
……ミーアが聞いたら「どこが厳しいんですの!? 大甘ですわっ!」などと、ぷりぷり怒り出しそうなことを口にしつつ、ベルは両手で頭を抱えた。
「うーん……。ボクがすべきこと……というと、やっぱり、パトリシア大お祖母さまのこと、でしょうか……。とりあえず、パトリシア大お祖母さま……、いいえ、パティと仲良くなることが先決かもしれません」
なにしろ、元の時代に戻ってしまえば、パティとは二度と会うことができないのだ。
パティと出会い、話ができるのは、ベルが過去に飛ばされ、同時にパティが未来に飛ばされてきた、この状況しかあり得なかったわけで……。
そこには、いかにも、なにかヒントがありそうな気がする。
ベルの、メイタンテイとしての勘が冴え渡る。
「よし、そうと決まれば……リーナちゃん。これから一緒に、子どもたちと遊びませんか?」
「ベルちゃんとみんなで遊ぶのは大歓迎だけど、なにをして遊ぶの?」
「ううん……そうですね」
ベルは、小さく首を傾げてから、
「ああ……今の時間なら、エリスか……さんが、大図書館でお仕事をしているはずです。いろいろお話を聞くのがいいかもしれません」
かつて、ベルにとっての一番の娯楽は、エリスの書いた物語を読むことだった。それは、今のベルにとっても変わらないことだった。
「早速、子どもたちを誘って行ってみましょう!」
ぴょーんっと起き上がると、ベルは、さっさか部屋を出た。
白月宮殿、大図書館。その一角に、皇女ミーアのお抱え作家、エリス・リトシュタインの仕事場があった。
「小説を書くのに調べ物をする必要があるでしょうし、せっかくですから、ここで仕事をすればいいですわ!」
などと言う、ミーアの一言で、あっさり確保されてしまったスペース。そこは、一人で仕事をするには、いささか広すぎる空間であった。
……実のところこれには、いざという時、リトシュタイン家の人々を連れて、お城に逃げ込めるようにとの、ミーアの配慮があったりする。
ミーアが帝都にいるならば、近衛兵に命じて、アンヌの家族を避難させることも可能だが、セントノエルにいたのでは間に合わない。だから、エリスに会いに来た、という名分で城に入れるように、状況を整えたのだ。
さて、そんな広い仕事場にて……。エリスは急な来客に驚いていた。
「ええと、ベルさま……これは?」
隊長ベルを筆頭に……実質は保護者シュトリナに率いられた三人の子どもたち。パティ、ヤナ、キリルは、初めて見る大図書館に目をまん丸くしていた。
「こんにちは、エリスか……さん。実は、子どもたちが退屈していそうだったので、なにか、お話を聞かせてあげようと思いまして……」
「お話、ですか。確かに、ここにはたくさん本がありますけど……」
っと、エリスは小さく首を傾げた。
白月宮殿の大図書館には、子どもが喜ぶような面白いお話は、ほとんどなかったからだ。けれど、ベルは小さく首を振ってから、
「エリスさんの書いた物語とか、それに、ミーアお姉さまの偉大なる功績のお話を聞かせてもらおうと思ったんです」
それを聞き、エリスの眼鏡が、きらーんっと光った。
「なるほど。ミーアさまの……。うん、それは、とてもいいことですね。そうですね。それでは、始めにミーアさまのダンスのお話をしましょうか」
エリスはそっと眼鏡の位置を直してから話し始める。
「ところで、みなさんは、ミーアさまがとってもとってもダンスがお上手だということは、ご存知ですか?」
「当然です! ミーアお姉さまと言えば、やっぱりダンス。知ってますか? ミーアお姉さまが本気で踊ると、宙を舞うと言われていて……」
ぺらぺらっと得意げに語るベル。その話を聞いて、おおー、と驚きの声を上げる子どもたち。キラキラ、目を輝かせるキリルとヤナ。さらには、パティまでもが、興味深そうにふんふん、っと頷いていた。
「うふふ。詳しいですね、ベルさん。それじゃあ、こんなお話はどうでしょうか? これは、私の姉であるアンヌから聞いたお話なのですが……」
そうしてエリスは話し出す。
帝国の叡智ミーアにまつわる……伝説級の与太話を……。
ところで、ミーアのダンス上手は、別に生来のものではない。
もちろん、もともとそれなりの才覚はあっただろうが、それ以上に大きかったのはやはり日々の鍛練であった。
ミーアに課された練習は、一般的な貴族令嬢に比して、いささか厳しい物であった。けれど、ミーアはお姫さまにはダンステクが必要! と言われれば「まぁ、そんなもんか……」と疑うことなく受け入れていた。
特に不満もなく、きびしーいレッスンを受け入れてきたわけだが……。その厳しい、きびしーい! レッスンが、はたして、誰の命令によるものだったのか……。
そして、誰のせいであったのか……?
ミーアは知る由もないのであった。
タイムパラドックスグルグル。
ダンス上手が先か、厳しい練習が先か……。
それはさておき、来週は少し投稿が変則的になります。
具体的には月曜日にはミーア不在の話になります。
年内最後の金曜日の投稿には、きちんとミーアが登場する……予定ですが。