第二十八話 新しい靴と不穏な気配
ミーアたちがやってきたのは新月地区だった。
かつての貧困地区、今では帝都一の賑わいを見せる地区の一角に、その巨大な建物は建っていた。通常の商店、五、六軒分はありそうな大きさの建物は、新月地区の中では、ひときわ目立っていた。
「ミーア、このお店は……?」
驚いた様子で建物を見上げるアベルに、悪戯っぽい笑みを浮かべて、ミーアは言った。
「わたくしの知人のお店ですわ。さ、中に入りましょうか」
躊躇うことなくズンズンと、ミーアは店内へと足を踏み入れた。
「これは、ミーア姫殿下。ご機嫌麗しゅう」
「お久しぶりですわね。店長さん」
出てきた男に、ミーアはニッコリ笑みを浮かべた。続けて……。
「オーナーのシャロークさんは、息災かしら?」
こう言った。
そう、この店は、かの大商人シャローク・コーンローグの帝都支店なのだ。
実を言えば、女性用の乗馬靴というのは、割とニッチな商品だった。なにしろ、基本的に帝国では、馬に乗る女性というのが少ない。騎馬王国ならいざ知らず、お客の数が、圧倒的に少ないため、ほとんどは職人に直接発注するオーダーメイドで。
既製品を取り揃えておくようなビジネスが成立しないのだ。
だから、ミーアの今回のショッピングは、いささか無謀な試みであった。
にも関わらずミーアがそれを断行したのは、この店があったからだった。
この店を開く際、シャロークは言っていたのだ。
「ミーアさまにごひいきにしていただくために、いろいろと品を取り揃えておきましょう。手に入りづらい乗馬用の装備なども準備しておきますので、ぜひ、いらした際にはお申しつけください。そして、周りのご令嬢にもぜひ一言宣伝してもらえれば……」
などと……。
シャロークがここに店を構えた理由は、もちろんミーアとの関係を良好に保つためであろうが……。それだけではなく、ミーアの絶大な人気をも計算に入れたものであったのだろう。
ミーアがひいきにしている店という評判は、売り上げに有利に働く。
ミーアへの恭順を誓ったシャロークであるが、そこはそれ。完全に商人の利を捨てたわけでは決してないのだ。
そしてミーアは、その抜け目のなさをこそ頼もしく思う。
――ふふん。それでこそ、シャローク・コーンローグというものですわ。
そうして、店長と雑談しがてら、ミーアはアベルを紹介する。
「今日はこちらのアベル王子が、わたくしに乗馬靴をプレゼントしてくださると言うので、来ましたの。良いものがあれば嬉しいのですけど……」
「はい。無論、取り揃えてございます。すぐにご準備いたしますので……」
そう言いつつ、素早く店内に下がっていく店長を見ながら、アベルは感心した様子で頷いた。
「しかし、ミーアは相変わらず、味方を作るのが上手いな。君の叡智にかかれば、大陸すべての王たちと人脈を築くことも可能なんじゃないかな?」
「ふふふ、それはさすがに買い被りというものですわ。シャロークさんとのことも、わたくしはただ、ペルージャンの美味しいご馳走を食べて、ダンスしただけですもの」
などと、華やかな笑みを浮かべるミーアであった。
さて、奥に入った店長は、三人の店員と共に戻ってきた。全員が山積みの箱を抱えている。そうして、ミーアたちの前で、箱から靴を取り出していった。
「まぁ、こんなにたくさん……」
目の前に並べられた乗馬靴に、ミーアは感心の声を上げた。その数は、五十は下らないだろう。しかも、デザインや色合いなどが微妙に違っていて、同じものが一つとなかった。
「ふぅむ、すごい数ですわね。しかも、これ全部、わたくしとサイズが合うんですの?」
「はい。シャロークさまの命により、ミーア姫殿下のサイズのものをいろいろと取り揃えてございます。微調整で合わせられます」
「おお、さすがは商人王ですわ……ふむ……」
腕組みするミーアに、アベルが苦笑して、
「せっかくだから、履かせてもらったらどうだろう? 乗馬の時には足首を使うから、できるだけその部分が動かしやすいほうがいいと思う」
「ああ。そうですわね。デザインだけではありませんものね……。ええと、アンヌ、いいかしら?」
「はい。かしこまりました」
恋愛脳補正により、いつもより1.5倍近く素早さを増したアンヌの手を借りて、ミーアは一つ一つブーツを試着していく。
履き心地を試し、さらに、足首をぐいぐいっと動かしてみる。
「ふむ、動かしやすさは問題ないですわ。アベル、これはどうかしら?」
「そうだね……。ううん……」
アベルは、腕組みしつつ、ミーアの格好を眺めて、一歩下がってから眺めて……。
「ああ、君の美しさをとてもよく生かしたデザインだと思う」
「まぁ! お上手ですわね、アベル」
ミーア、一瞬でテンションが上がる。
声がウキウキとスキップを始める。
「では、こちらはどうかしら?」
靴を履き替え、タターンっと華麗にステップを踏むミーア。
「いいね。ダンスにも使えるんじゃないかな。君のステップがとっても素敵に見える」
「まっ! アベル、とっても口が上手いですわ! そんなに褒めてもなにも出ませんわよ?」
などと言いつつ、ニッコニコのミーアである。ウキウキ、ふわふわ、その体は弾んでいた。
「では、これはどうかしら?」
「はっはっは。なんだか、ミーアが履くと、どれも素晴らしい物に見えてしまって、判断に迷うな」
「んまっ! アベルったら、ホントにお上手ですわね!」
実に、なんともラブラブバカップルな光景が展開していた。
そして……恐ろしいことに、それを止める者はなかった……!
店員も、アンヌも、優しい笑みを浮かべたまま、二人のラブラブっぷりを眺めていた!
「やれやれ……これは……ちょっと場違いな感じだな……」
ただ一人、苦笑いを浮かべたディオンは、そっと店の外へと向かった。
「あれ? ディオンさん、どちらへ?」
アンヌの問いかけに肩をすくめてから、
「ああ……ちょっと胸やけ……じゃない。周りのことが気になるから、店の周囲を見回ってるよ。なにかあったら、呼んでくれ」
ディオンは店から出て行った。
さて、楽しい楽しいショッピングデートを終えて、ミーアは店から出てきた。
ほくほくと、その頬は赤く上気している。
「うふふ、感謝いたしますわ。アベル、とっても素敵な靴を選んでいただきましたわ」
無事に靴を買い、上機嫌に鼻歌を歌うミーア。それを見て、アベルも優しい笑みを浮かべる。
「それは良かった。気に入ってもらえれば幸いだ」
っと、その時だった。不意に、アベルがミーアを見つめる。っと、息つく間もなくミーアの肩を抱き寄せた!
「はぇ? あ、え? アベル? なにを……?」
急なことに、口をパクパクさせパニックになるミーアだったが、構わず、アベルはそばにいたアンヌの腕も引いた。
「きゃっ……」
彼にしては乱暴な手つきで、主従を抱き寄せてから、アベルはディオンのほうに目を向けた。
「ディオン殿、今……」
周囲に鋭く視線を動かしながら、ディオンに尋ねる。
その様子を見たディオンは、感心した様子で頷いて……。
「ああ。気付かれましたか。なかなかやりますね、アベル殿下。大丈夫、矢などは飛んできそうもありませんよ」
涼しい顔で、ディオンが言った。
「確かに、先ほどまでこちらに殺気を向けてくる者たちがいたようですがね……。てっきり矢でも射かけて来るかと思ったが……、どうやらなにもせずに帰って行ったようですね」
それを聞き、アベルは驚愕に目を見開いた。
「本当ですか? ディオン殿。それで、敵はどんな姿を?」
「さて……。そこまでは。恐らくですが、無理して、こちらを攻撃しようという意図もなかったんじゃないですかね。まともにやりあえば、僕にかなわないと知っているか、もしくは、なにか別の企みがあるのか……」
ディオンは、ふーん、っと鼻を鳴らし、
「まぁ、すでに気配も消えました。このまま、僕が白月宮殿までエスコートすれば問題ないと思いますよ」
そうして、ディオンは威嚇するように、獰猛な視線を周囲に向けた。
「まぁ、仕掛けてくると言うなら、久しぶりに剣の時間を満喫するだけですよ。ははは」
何気なくディオンの顔を見て、ミーアは……思わず、背筋に鳥肌が立つのを感じた。
――ああ、慧馬さんを連れてこなくって良かったですわ。あんな顔見たら、眠れなくなってしまいそうですもの。
などと、友のことを心配するミーアだった。




