第二十三話 ちょっぴり番外編、その頃、皇女専属近衛隊では……
「ふぅ、やれやれ……」
その日の夕方近く。皇女専属近衛隊の詰め所に、遠征に行っていた一部隊が戻ってきた。
皇女専属近衛隊は、現在、十人を一つの部隊にして活動していた。
食糧の輸送に際しては、その輸送量によって、一ないし二部隊の編成で護衛に当たっている。
現在、国内の治安は、そこまで悪化していない。ゆえに、精兵たる彼らが十人も集まれば、まず問題は起こらなかった。
精兵……そう、皇女専属近衛隊は、すでに精兵と呼んでも差し支えがないほど、練度を高めていた。
実戦慣れしていなかった近衛隊出身の者たちは、編入された旧ディオン隊によって鍛えられた。代わりに、旧ディオン隊の者たちは、近衛隊出身の者たちから礼節を教わり、皇女の軍としてのわきまえを備えるようになった。
最初は互いに少なからぬ反発があった両部隊だったが、バノスのとりなしと、なにより皇女ミーアの盾であるという誇りが、彼らの結束を強めた。
そこに加わったのが、レッドムーン公爵家から派遣された女性兵士たちだった。力に劣る彼女たちだが、それでも、その剣の技はみな素晴らしく、それ以上に弓の腕前が実に見事だった。どうやら、レッドムーン家では、弓の名手たるルールー族の者を教導者として迎え入れているらしい。
かくて、皇女専属近衛隊は、腕利きの弓兵をも揃えたバランスの良い部隊となっていた。
たとえ十人と言えど、そこらの盗賊にどうこうできる戦力では、決してなかった。
だからなのかはわからないが、輸送隊が襲われることは今まで一度もなく、今回も誰一人欠けることなく、帰還を果たしたのであった。
そんな部隊の一員たる年若き兵、エルンストは、厩舎に馬を戻したところで、ため息を吐いた。
帝都に帰るまでが遠征。帝国の叡智、ミーア姫の兵たる自覚を持つことを心掛けよ。
先輩兵士から言われた言葉を律儀に胸の中で反芻しながら、今回の遠征を振り返る。
「うん……今回もしっかりやれただろう」
護衛のみならず、相手方の貴族の私兵とのやり取り。道中に立ち寄った村での立ち居振る舞いなど、一つ一つ思い出しながら、満足げに頷く。
と、そこへ……。
「お疲れさま。なにか、問題は?」
話しかけてくる者がいた。凛と澄んだ声、そちらに視線を向けると、そこには、妙齢の女性の姿があった。
「ああ、これは、セリス殿」
彼女は、レッドムーン家から派遣された私兵たちのリーダー格の女性だった。
この皇女専属近衛隊への編入時期が近かったから、比較的よく話をする間柄だった。
生真面目な態度と、職務に対する真摯さに、エルンストは敬意と好感を持っていた。命を懸けた戦場の仕事だ。背中を預けるに値する、信用のおける相手というのは、それだけでも好意の対象になり得るのだ。
わずかに笑みを浮かべ、エルンストは姿勢を正した。
「特に問題はなかったよ。警戒のし過ぎじゃないか、なんて言っている者もいるぐらいだ」
それを聞き、セリスがわずかに顔をしかめる。
「あなたも同意見か?」
問われ、エルンストは静かに首を振る。
「いや。食糧が不足すれば治安は簡単に悪化する。食糧の輸送隊を襲おうという者たちも出て来るかもしれない」
そして、輸送隊が襲われれば、食糧の供給が滞り、新たな飢饉が起こり、治安はさらに悪くなっていく。
負の連鎖が始まる。
エルンストが肌で感じる現状は、決して楽観視できるものではなかった。
大きな岩が山の上から転がり始めれば、それが落ちるのを止めることは困難。ゆえにこそ、岩が転がる前から、しっかりと押さえておく必要があるのだ。
「警戒しすぎぐらいのほうが、労力が少なくて済む、ということはあるからなぁ……」
彼の言葉に、セリスは深々と頷き。
「私も同感だ。そして恐らく、ミーア姫殿下もそうなのでしょう」
それから、ふと難しい顔をして腕組みした。
「ただ、わからないことが一つあるのだ。実は、過日、ここにいらっしゃったのだが……」
「ここって……この詰め所にミーア姫殿下が?」
目を丸くして驚くエルンストに、セリスが頷いてみせた。
「それは、惜しいことをしたな……。俺が、ここに召集された理由をお聞きしたかったんだけど……。ところで、ミーア姫殿下はなにをしに?」
「視察と労いを兼ねて、と言ったところかな。あの方は、平民にも、とても温和な態度で接してくださる方だから」
訪問の時の様子を思い出すように穏やかな笑みを浮かべるセリスである。
「まぁ、それは良いのだが……その後で、あの方の右腕たるルードヴィッヒ殿がいらしてな。ミーア姫殿下の命により乗馬大会を開くと言い出されて……。警備の相談をされて行かれた」
「じょ、乗馬大会……? それはまた……。確かに……。こんな時期にそんなことをなさろうというのは、理由がわからないな」
よりによって、この非常時に乗馬大会とは、暢気すぎるのではないか、と……エルンストは首を傾げる。
「いったい、何を考えておられるのか……」
などと、二人で顔を見合わせていると……。
「わからないか?」
話を聞いていたのか、厩舎で馬の世話をしていた男が話しかけてきた。
皇女専属近衛隊の馬の世話を担う馬番、ゴルカである。ちなみに、ミーアの騎馬王国行きにも同行した男である。
普段、無口で、気難しげな顔をしていることの多い彼であるが、今は、微かに笑みを浮かべていた。
「さっき、セリス殿が言っていた通りだ。ミーア姫殿下は、我々を労ってくださろうとしているのだ。あの方は、そういう方だ」
「労う? しかし、仮に乗馬大会を開くとなれば、我々も警備に駆り出されるのでは?」
それでは労働量が増えるだけではないか? と首を傾げるエルンストに、ゴルカは小さく首を振った。
「体を休めるばかりが休養ではないということだ。肉体の疲れに比して、心の疲れというのは、なかなか回復しないものだからな」
皇女専属近衛隊に派遣された文官は、非常に優秀な人物だった。
兵の疲労が増えれば、仕事上のミスも増えるということを、きちんと熟知していた。
それゆえ、休息をきちんと取れるように、無理のない予定を組んでいたのだが……。
けれど、帝国が依然として危機的状況に置かれていることに変わりはない。そのことを嫌というほど知る隊員たちには、心が休まる余裕がない。
「ミーア姫殿下は、乗馬大会という娯楽を提供することによって、我々の心を回復させようとされているのだろう。特に、エルンスト、お前のように、いつでも肩に力を入れているような堅物のな」
ゴルカはエルンストの肩をポンっと叩き、
「お前は、騎馬王国には同行しなかったから知らないだろうが……姫殿下の馬合わせ、あれは、実にお見事な勝負だった。馬を愛する者の中で、あの光景に興奮しない者はいなかっただろうな」
そうして、ゴルカは懐かしげに瞳を細めて言った。
「今回の乗馬大会、おそらくミーア姫殿下ご自身も出られるのだろう。またあの騎乗が見られるのは楽しみで仕方ないな」
……知らず知らずのうちに、ミーアに対する期待が高まっているわけだが……。
まぁ、いつものことであった。
書籍番外編のキャラもそれぞれの場所で頑張っております。