第二十二話 小麦と競馬
「ふむ、これは、上々の結果だったのではないかしら……?」
ヒルデブラントとの対談を終え、ミーアは、ほっくほく顔で白月宮殿に戻ってきた。
「あの単純なヒルデブラントですし、きっと、騎馬王国の乗馬技術に心を奪われるはずですわ」
もしそうなれば、騎馬王国の者を指導員に呼んで……などという、中途半端なことはしないだろう。彼は、美味しいケーキに出会った時にケーキになりたい男、ヒルデブラントなのだ。
当然、騎馬王国の素晴らしい技術を目の当たりにすれば……。
「騎馬王国の民になりたいと思うはずですわ」
もちろん、実際に彼が騎馬王国の民になるとは思わない。
――騎馬王国で、ヒルデブラントが魅力的な女性と出会えれば万事解決という感じはしますけれど、まぁ、実際には、その乗馬術を身に着けるために、数年間、留学をするような形になるかしら?
それは、ただの時間稼ぎかもしれないが……この際は、それでも構わない。
縁談を先延ばしにし、その間に、ルヴィとバノスの婚儀を進めてしまえば良いのだ。
「騎馬王国に行くのならば、その前にせめて婚約を……などと言う話になったら面倒ですけど……そこは、上手いこと言いくるめればいいだけのこと……。ふっふふふ、チョロいもんですわ」
そうして、ミーアは、わるーい笑みを浮かべる。
その顔を陰で見ていたパティが、ゴクリっと喉を鳴らしていたりしたのだが……もちろん、ミーアは気付いていないのだった。
そうして翌日、早速、ルードヴィッヒを呼んで相談したのだが……。
「この時期に……乗馬大会、ですか?」
顔を合わせて早々にそんなことを言い出したミーアに、ルードヴィッヒは怪訝そうな顔をした。
「失礼ですが、どの程度の規模のものを想定されておられますか?」
「そうですわね。大会というほど大げさなものではありませんわ。身内のお遊びみたいなもので……ただ……」
ミーア、ここで黙考する。
――形としては、レッドムーン公爵をお呼びしないといけませんし……当然、お父さまも見に来られるかしら? となると、それなりに護衛は必要ですわね。ふむ……。
ミーア、小さく頷き、
「レッドムーン公爵、それに、恐らくはお父さまも観覧されると思いますわ」
「皇帝陛下まで……。そう、ですか……」
ルードヴィッヒの顔が真剣みを増した。
ミーア、その顔を見て……ちょっぴり、まずいかなぁ? と思い始める。
――ふむ、仮にお父さまが、そうしたイベントごとに来られるとなると、警備は厳重にする必要がございますわ。目下のところ、わたくしが気軽に動かせる兵力は、皇女専属近衛隊のみ。けれど、彼らは、ここ最近、食糧輸送の護衛もしていただいておりますし……。これ以上、負担を増やすな、とルードヴィッヒに怒られてしまうかもしれませんわ。
かつての、クソメガネのお小言が脳裏を過ぎってしまうミーアである。なので、ちょっぴり慌てつつ、付け加える。
「もちろん、警備体制を整える必要がございますけれど、もしも、お父さまが参加される場合には、近衛隊を動員したらよろしいのではないかしら?」
それから、ミーアは、悪戯っぽい笑みを浮かべてみせて、
「皇女専属近衛隊のみなさんも、なにもせずというわけにはいかないでしょうけれど、ある程度、肩の力を抜いて……。ちょっとした息抜きぐらいに思ってもらえればいいのではないかしら?」
そう、あくまでも息抜きの提案。彼らの心の重圧を慮ってのことですよぅ、っとアピールを欠かさないミーアである。
「息抜き、ですか。休息については考慮しているつもりでしたが、なるほど。それは……盲点でした」
ルードヴィッヒは、わずかに目を見張りつつ、頷いた。
「わかりました。それでは、そのように取り計らいましょう」
眼鏡の位置を直しつつ、ルードヴィッヒは静かに言うのだった。
ミーアからの命令を受けて、ルードヴィッヒは動き出した。
乗馬の場所と警備の手配を終え、一息吐いたところで、タイミングよくディオンが訪ねてきた。
「ははは、なるほど。さすがは、姫さんだ。なかなか、簡にして要を得ているな」
ルードヴィッヒの話を聞いたディオンは笑みを浮かべる。
「しっかりと食べ、休息をとり、適度に肩の力を抜く。百人隊の連中は、その辺りのことは心得てるだろうが、実戦慣れしてない近衛やレッドムーン公の護衛なんかは、その辺りのことが下手かもしれない」
そんなディオンの様子を見て、ルードヴィッヒは穏やかな声で言った。
「食と楽……。その二つを与える者こそが良き統治者の指標である、と、我が師ガルヴは言った。さしずめ『小麦と競馬』と言ったところか。ミーア姫殿下が統治論を書いたら、一つの標語になりそうだ」
人は、ただ食べさせているだけでは健康たり得ない。ただ睡眠を確保するだけでも不足だ。
子どもは遊ぶもの。大人とてそれは同じ。人には娯楽という、楽しく、肩の力を抜く時間も必要なのだ。
今度、仲間たちに酒飲み話として聞かせてやろう、などとメモしておくルードヴィッヒである。それから、彼は眼鏡を指で押し上げて……。
「まぁ……もっとも、それだけではないのだろうな。帝国の、軍務に強いレッドムーン公と皇帝陛下をお招きする……。その意味は……」
「騎兵の強化……か。実際、国内の輸送部隊の護衛だけでも、なかなかの手間だが……このうえ国外まで視野に入れたら、手が足りない」
「ミーアさまには騎馬王国にも伝手がある。いずれ、あちらの力を頼ることになるとは思っていたが……。あるいは、今回のことはそのための下準備……なのかもしれないな」
「まぁ、いずれにせよ、僕は、姫さんのそばを離れないようにしておこうか。例の狼使いを退けたという敵も気にはなるしね」
かくて、忠臣たちの思惑と期待を載せて、乗馬大会の準備は進んでいくのだった。
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