第二十一話 ケーキを野菜ケーキにすり替えよ!
「私が、月兎馬に相応しくないと……?」
確認するように、再びの問いかけ。
分厚く着込んだ貴族の常識、その合間からチラリと覗いた顔を、ミーアは見逃さない。
――ああ、これこれ。この顔、懐かしいですわ。なるほど、確かに、ヒルデブラントはこんなやつでしたわね。
ケーキに感動し、ケーキ職人になる……ではなく、ケーキそのものになろうとする……。一途かつ単純明快な男。それこそが、ヒルデブラント・コティヤールという人であった。
そんな彼が今、情熱を傾けるもの……それこそが「馬」だという。
――この情報、なにかに使えそうですわね。
そんな確信に基づいて、ミーアは再び頷いた。
頷きつつ……考え始める。
恋愛脳が唸りを上げる!
――ヒルデブラントの想いの向かう先は夕兎。良き馬……馬……。馬っ!?
ミーアはカッと目を見開いた。
――そうですわ。ケーキの食べ過ぎを防ぐには、ケーキの代わりの野菜ケーキを用意すること……。想いの方向をケーキから、野菜ケーキへと逸らすことですわ!
甘味脳が唸りを上げる!!
――ヒルデブラントの想いが『夕兎』、すなわちケーキに向かっているというのなら、その方向をずらして野菜ケーキ……すなわち、代替品へと移せばいい。馬の場合には、それができるのではないかしら?
実のところ、代替品を用意するということは、一度検討したことではあったのだ。
それは、つい先ほど。アンヌに手伝ってもらい、靴を履き替えた時のこと。
「時に、アンヌ……。一つ聞きたいのですけれど、もしも、あなたが誰かの縁談を破談させるとしたら、どんな手を使いますの?」
「破談ですか。うーん……」
アンヌは小さく首を傾げてから……。
「あまりミーアさまに相応しいやり方ではないと思うのですが、殿方に、魅力的な女性をけしかける……とかでしょうか?」
「ああ……ありましたわね。そんなお話が……」
それは先日、アンヌときゃあきゃあ言いながら読んだ恋愛小説のエピソードである。
悪役の少女が意中のイケメン王子を手に入れるべく立てた作戦。イケメン王子と恋仲の主人公に、王子の代替となる男をあてがって、仲を引き裂こうという試みだ。
ちなみに、それを仕掛けた悪役のご令嬢は、最終話で断頭台にかけられたりする。
その顛末を読んだ時に、思わずゾォっとしたミーアである。が……。
――この作戦は、破滅を招きますわ。とても使えませんわね……。
そう確信した。縁談を破綻させるために、誰か適当な女性にヒルデブラントを誘惑させ、望んでもいない縁談へと追いやったら、どんなことになるのか?
一人の女性の人生を犠牲にする作戦など、ラフィーナやシオンが許すはずもなし。まるで、断頭台の刃が落ちる音が、高らかに響いてきそうな話ではないか!
馬糞は踏んでも、断頭台トラップは決して踏みたくないミーアである……いや、馬糞も踏みたくないが。
けれど、アンヌは首を振る。
「あのお話はすごく後味が悪い結末でしたけど……例えば、ヒルデブラントさまに恋している女性を探し出すことができれば……どうでしょうか?」
「ふむ、なるほど。その女性が魅力的な人物で、ヒルデブラントを誘惑してもらえば……ヒルデブラントの側から、ルヴィさんとの縁談を断るということがあるかもしれませんわね」
女性がヒルデブラントに好意を抱いているのであれば、話は別だ。そうなれば、みんな幸せ。ラフィーナもニッコリ、断頭台退散、であろう。
「けれど、それも、ヒルデブラントのことを好きな女性というのがいないことには話になりませんわね。上手く見つかればいいのですけど……」
などと、すぐには使えないかなぁ、と思っていたミーアなのだが……事が馬への情熱となれば話は別だ。
代替品の用意をすることは、恐らく可能なのではないだろうか?
無論、夕兎の代わりの月兎馬を用意しよう、というわけではない。
そのように馬を扱うことは、騎馬王国の民にも、友である慧馬、小驪にも失礼。せっかく、いざという時に逃亡に協力してくれそうな彼らの機嫌を損なうのはよろしくない。
といって、慧馬や小驪を結婚相手の候補として紹介するのも、彼女たちを犠牲にする考え方だ。それも違う。そうではなく……。
――利用すべきは、ヒルデブラントの……乗馬への情熱ですわ!
それから、ミーアは静かに顔を上げた。
「ええ……そうですわね。ヒルデブラント。あなたの乗馬の腕前が月兎馬に相応しい物かどうか……大変、疑わしいところですわ」
やや煽り気味に言う。けれど、ヒルデブラントの顔に、怒りの色が浮かびそうになったところで、ミーアは小さく微笑んでみせた。
まるで、その怒りをいなすように……。
ヒルデブラントは、別に、敵ではないし、これは別に敵との戦いではない。
だからこそ、ミーアは悪戯っぽい笑みを浮かべて、言う。
「なにしろ、月兎馬、夕兎は、どこに出しても恥ずかしくない名馬ですわ。あなた、実際にあの馬を見たことがございますの? わたくしは、速駆けを競い合ったことがございますわよ?」
「なんと、そうなのですか?」
「ええ。セントノエルの乗馬大会でね。あれは、見事な馬ですわ。いかにレッドムーン家といえども、あれ以上の馬はいないでしょう。だからこそ、娘の縁談の相手に、ということにしたのでしょうけれど、あの馬に釣り合うとなると、なかなか大変なことですわよ?」
頬に手を当てて、ミーアは、はぁっとため息を吐いた。わざとらしく、演技めいた仕草で。
「きっと、マンサーナ殿も心配しているのではないかしら? 馬をプレゼントしたはいいけれど、はたして、しっかりと乗りこなしてくれるだろうか、とね。それに、わかっておりますわよね? この縁談、あなたはわたくしの身内の者として扱われるわけですけれど……。あなたの失態は、わたくしの失態になりますのよ?」
「それは確かにその通りですが……。では、どうしろというのですか?」
怪訝そうな顔をするヒルデブラントに、ミーアは微笑みを浮かべた。
「簡単なこと。あなたの乗馬の腕前をマンサーナ殿に見せて差し上げればよろしいのですわ。夕兎を借りて、競争という形で、ね」
それで、ようやく、ヒルデブラントの顔に理解の色が広がる。
そう、彼はこう思ったのだ。
ミーアが言っているのは、半ば冗談。その提案の主旨は、つまり、縁談を祝うための余興の提案なのだ、と。
「なるほど。それは楽しそうだ。しかし、夕兎に太刀打ちできる馬がいなければ、意味がないのでは?」
その言に、ミーアはニンマリする。
そう、お題目に過ぎないとはいえ、夕兎に相応しい実力を持っていることを、競馬で証明するためには、良き対戦相手が必要となるわけで……。ゆえに……。
「そうですわね。では……慧馬さんにお願いするというのはどうかしら?」
突然、話を振られた慧馬は、きょとん、と首を傾げる。
「我がか?」
「ええ。慧馬さんと蛍雷……。あなたたち以外に夕兎に対抗できる者はおりませんわ」
そう言って、ミーアは静かに慧馬の肩に手を置いた。
「いや、しかし、それならば別にミーア姫が乗っても……」
などと言う慧馬だが……それでは不味いのだ。
――まぁ、実際のところ、ヒルデブラントよりもわたくしのほうが、上手く馬を乗りこなせるとは思いますけれど……。
ちょっぴり高慢なことを考えつつも、それではダメなのだ、と首を振る。
ヒルデブラントを蹴散らすのは、騎馬王国の者でなければならない。騎馬王国の民の、圧倒的な乗馬技術を……ヒルデブラントに魅せ付けなければ、意味がないのだ! ゆえに、
「慧馬さん、運動不足だと言っていたではありませんの? それに……いつまでも、帝国に負け続けていてよろしいのかしら?」
ミーアは、あえて、挑発的なことを言った。
「なに……?」
眉をひそめる慧馬に、畳みかけるように、ミーアは言った。
「わたくしは、復讐戦の機会を与えておりますのよ? 騎馬王国の令嬢たる小驪さんは、帝国の姫であるわたくしに負けた。そして、あなたは今、そのわたくしの従兄弟のヒルデブラントと勝負する機会を得ておりますのよ? これは、小驪さんの友である慧馬さんが、帝国貴族に一矢報いる好機ではありませんの?」
「……むっ」
そう言われ、慧馬は押し黙る。けれど、すぐに、獰猛な笑みを浮かべた。
「なるほど。確かに、その通りであった。我としたことが、遠き異国の地で気が小さくなっていたらしい。復讐戦などと言われずとも、疾き馬と競い合うは、騎馬王国の民の誉れであったな」
そうして、慧馬が納得したのを確認してから、ミーアは改めてヒルデブラントに言った。
「ということで、どうかしら?」
話を振られたヒルデブラントは……。
「なるほど。それは、とても面白そうかもしれませんね」
ニヤリ、と勝気な笑みを浮かべた。