第十九話 対面、好青年
ヒルデブラント・コティヤール。
その青年に対してミーアは、特に良い感情も悪い感情も抱いていなかった。
前の時間軸、コティヤール家が帝室を裏切ることはなかった。
では、ヒルデブラントが最後まで帝室の味方をして、共に戦い共に死んだ忠義の人かと言うと、そんなこともない。
彼は、大飢饉に際して勃発した自領の内乱で、あっさりと命を落としてしまうからだ。
反乱を鎮めるのは貴族の役目。その戦いで命を落としたと聞いた時は、もちろんショックを受けたミーアであるのだが……。けれど、その後に続くさらなる衝撃の連続に、従兄弟の常識的な死の記憶は、簡単に薄れて行ってしまい……。
また、ヒルデブラント自身とも、子どもの頃に何度か顔を合わせたことがあるかなぁ? というぐらいの付き合いだったわけで……青年になった彼が、どんな人間になっているのかは、まったく知らなかった。
――ともかく、情報が必要ですわ。その過程で縁談を妨害するためのヒントが見つかれば上々ですわ。
なにしろ、政略的には旨味しかない以上、そちらの方面から破談に持ち込むことは難しい。
レッドムーン公マンサーナは、現在のところミーアを支持し、好意的な反応を示してはくれているが、それは、ミーアがなにをしても支持するということではない。
礼を失すれば機嫌を損なうことだってあるだろうし、ミーアの行動いかんによっては、敵対勢力につくことだって考えられる。
多大なメリットのある事柄を、なんの理由もなく妨害したとあっては、無能を疑われるかもしれない。
それを思えば、政略的な事にケチをつけるのは難しそうだった。むしろ、ヒルデブラントに……こう、なにか性格上の問題があるとか、不足があるとか……ケチをつけるポイントを探し出すほうが、まだマシなようにも感じるが……。
――ううむ……それはそれで難しいですわね。ヒルデブラントの恨みを買うことはできれば避けたいところ……。
今回、難しいのは、関係者が全員味方であるという点だった。
敵なればこそ、思いっきり蹴り飛ばせもするわけで。ヒルデブラントは身内、ルヴィは盟友、マンサーナは支援者、このような状況ではうかつにキックもできない。
各方面に気配りをしなければならず、実に頭が痛いところであるが……。
――しかし、ルヴィさんのためにも、頑張りますわよ。
今日のミーアは気合が入っていた。障害が多いほうが、恋は盛り上がるものなのだ。
燃え上がる恋愛魂を、荒い鼻息とともに吐き出してから、ミーアは、応接室の椅子に腰かけた。
……ちなみに、ミーアは靴を履き替えている。
帝国の叡智の右腕アンヌは、常に準備を怠らない。帝国皇女の専属メイドたるもの、いついかなる時にも、主の身なりを整えられるよう、心掛けているのだ。
部屋に通されたのはミーアとアンヌ、それに慧馬とアベルだった。
ミーアたち三人が席に着いたところで、改めて、ヒルデブラントが言った。
「さて。改めまして、コティヤール家へようこそ。歓迎いたします。ミーア姫殿下」
「ご機嫌よう、ヒルデブラント殿。ずいぶんとお久しぶり……と言うのも妙な感じがしますわね。先日、すれ違っておりますし」
などと微笑みつつ、ミーアは、アベルと慧馬を紹介する。
「おお、レムノ王国の王子殿下でしたか。これは、失礼を……」
深々と頭を下げるヒルデブラント。それから、一転、親しげな笑みを浮かべて、
「時に、レムノ王国といえば、武門の国。やはり、アベル殿下もかなり、剣を使われるのですか?」
「ええ。それなりには……」
初対面の印象に引きずられているのか、硬い表情で返したアベルであったが、それを一切気にした様子もなく、ヒルデブラントは朗らかな笑みを浮かべた。
「それは興味深い。私も帝国軍に属する身。もし機会があれば、レムノの剣を見てみたく思いますが……」
「ええ……それはもちろん……」
まるで敵意のない笑みに、毒気を抜かれたような顔で頷くアベルである。
ヒルデブラントは続けて慧馬に目を向けた。
「ところで、そちらの慧馬嬢は、お名前の響きから、騎馬王国の方とお見受けしますが……」
「いかにも。我は、騎馬王国、火の一族の族長代理。火慧馬だ。この度は、我が友ミーア姫の護衛として、はせ参じた」
「ほほう、やはりそうでしたか。であれば、もしや、先日、ミーア姫殿下がお乗りになられていた馬というのは……」
「ああ。我の愛馬だ。名を蛍雷という」
慧馬の答えを聞いて、ヒルデブラントは、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「やっぱりそうでしたか。いやぁ、実に素晴らしい馬でした。騎馬王国にはあのような馬がたくさんいるんでしょうか?」
「そうだな。各部族ごとに、一族を代表する馬を持っているものだからな。まぁ、我が蛍雷は月兎馬の中の月兎馬。並びうるものがそこまで多くいるとも思わないが……」
心なしか、慧馬はちょっぴり得意げに胸を張った。
「実は、私も乗馬に力を入れているのです。騎士たるもの、馬との絆を育むのは必須のことですし。庭でも乗馬の訓練ができるようにしているのですよ。ぜひ、手ほどきを願いたいものです」
そんなことを言いつつ、ヒルデブラントは爽やかな笑みを浮かべる。
それを見てミーア、思わず唸る。
――なっ、なんだか、隙がない好青年ぶりですわね。最悪、ヒルデブラントの人柄に問題を見つけてやれば、などと思っておりましたけれど……。なかなか難しそうですわ。
かつてない強敵を前に、恋愛脳天使ミーアの戦いは続く。
そういえば、CDドラマの試し聴きができるようになっているみたいです。
興味のある方はぜひ。