第十七話 ミーア姫、訪問する
厩舎を離れたところで、
「これは、ミーアさま、ようこそおいでくださいました」
少し焦った様子でルヴィが出てきた。どうやら、門衛をしていたセリスという女性に呼ばれたらしい。
ルヴィは、ちょぴーっとバツが悪そうな顔で、ミーアに耳打ちする。
「先ほどは失礼しました。どうも私は……自分の恋の話になると、取り乱してしまって……。ミーアさまのように、いつでも落ち着いていられたらいいのですが……」
しゅんと肩を落とすルヴィに、ミーアは優しい笑みを浮かべた。
「別に気にする必要はありませんわ。わたくしのように、いつでも泰然自若としているためには、修羅場をくぐる必要がございますわ」
修羅場をくぐっていることは、否定のしようもない事実ではあるのだが……泰然自若に関しては若干の疑問の余地がないではないミーアである。
「ところで、皇女専属近衛隊になにか御用ですか?」
「ええ。ここ最近の働きを労いに。それに、働きぶりを少々見学させていただこうと思っておりますわ」
ミーアは、それから悪戯っぽい笑みを浮かべて……。
「あとは、ついでにヒルデブラントに会いに行くので、その護衛の手配を、と思いまして」
「え……? ひ、ヒルデブラント殿に、ですか……?」
ギョッと顔を引きつらせるルヴィに、ミーアは静かに頷いた。
「ええ。話を聞くつもりですわ。あなたの悩みを解決するためには、いろいろと考えなければならないようですし」
そんなこんなで、建物に入ったところで、ミーアは目を丸くする。
「ミーア姫殿下、ようこそおいでくださいました」
「ミーア姫殿下に敬礼!」
建物内にいた近衛兵たちが、みな整列し、姿勢を正して廊下の両側に並んでいたからだ。
「あら、仕事の手を止めさせてしまって、申し訳ないですわね」
穏やかな、優しい笑みを浮かべるミーア。彼らは忠勤の士。ルードヴィッヒの報告書を流し読みした限りでは、本当によく働いてくれている。
笑顔どころか、特別給金を与えてもいいのではないか? ぐらいに考えているミーアである。
そのまま、ミーアは近くの部屋に立ち寄った。せっかくだから、見学しようというのだ。
突然のミーアの訪問に、兵士たちは慌てた様子で、道を開ける。
部屋の中央、大きな机。その上に置かれた玩具の駒のようなものを見て、ミーアは首を傾げる。
「これは、なにをしておりますの?」
「はっ! これは、兵の連携の確認をしております。この駒が馬車。そして、こちらの小さな駒が我々で……」
聞かれた兵士がしゃんと背筋を伸ばして答える。
「なるほど……。馬車の台数や兵の人数により、動き方が異なるのですわね」
ちなみに、この戦術シミュレーションは、ルードヴィッヒの兄弟弟子によって提案されたものである。頭脳派集団であるガルヴの弟子たちにより、皇女専属近衛隊の練度は、かなり底上げされていた。
「こちらの板はなにかしら?」
「これは、隊をいくつかに分けて、ローテーションを組んでおります。この一番上の金の枠がついているのが、栄えあるミーア姫殿下の護衛担当でして……」
「なるほど。そんなことまで……。これはなかなかに大変ですわね」
「幸い、ルードヴィッヒ殿の手配で、文官が派遣されてきています。そちらの方にすべて担っていただいておりますので……」
などと、やり取りをしながら、興味深げに詰め所の中を見て回って後、ミーアは廊下の端まで歩いたところで、振り返った。
「いつもご苦労さま。みなさんの働きに、わたくし、敬意を払いますわ。今は大変な時ですけれど……頼りにさせていただきますわね」
それから、静かに頭を下げると、ミーア一行はルヴィの執務室に入って行った。
接客用の椅子に座ってから、ミーアは少しだけ唸る。
――ふぅむ……。しかし……少し硬い表情をしている者が多いですわね。なんだか、生真面目な方が多い気がしますわ。労働量はただでさえ増えておりますし、適度に休みを取ってもらえるといいのですけど……。あるいは、憂さ晴らしができるような何か……やはり、ここは、甘い物が必要かしら……?
そんなことを思いつつ、ミーアは、腕組みするのだった。
さて……ルヴィの部屋に消えたミーアを見送ったところで、兵たちは思わず、と言った様子で肩の力を抜いた。
「緊張したな……」
「ああ。緊張と言うか……感動した」
近衛兵たちは、口々に、そんなことを言う。
ミーアを訪問したバノスと同様、彼らもまた、ミーアの叡智っぷりを肌で感じている者たちだった。
一般の民は知らない。今、この国の裏でなにが起きているのかを。
あるいは、直接的に危機に接した者たちの中には、気付いている者がいるかもしれないが、多くの帝国の民は知らないのだ。
この帝国が、大陸が、大きな危機に接していたことを。
そして、その危機を回避した者こそが、ほかならぬ、自分たちの皇女殿下であるということを。
けれど、ここにいる兵たちは、それが、どれほどのことであったのかを、すべて知っているわけで……。
「なんでも、ミーア姫殿下がこの危機を予測したのは、齢十二の時。新月地区を訪れた折であったとか……。いやまぁ、さすがに、これは嘘なんじゃないかと思うんだが……」
ある者がこう言えば、
「権威付けのための嘘だろうと関係ないさ。ミーア姫殿下の命令で食糧が蓄えられ、遠き異国から輸入し、そして、民の間で不足した時には惜しげもなくそれを分け与えているのだ。その事実が変わることはない」
「ああ、まさに、その通りだ」
最後には、こう頷きあうのだった。
彼らの親類縁者の中にも、ミーアの備蓄に救われた者は、決して少なくない。
ミーアの意向で、その功績が表に出ることはないが……それでも、彼らの心に芽生えているのは、なんとも言えない誇らしさだった。
「ミーア姫殿下の名を汚さぬよう、我らは振る舞わなければならぬ」
自らが、皇女専属近衛隊であるという、燦然と輝く誇りを胸に抱きながら、今日も彼らは仕事に励むのだった。