第十六話 変わる人々と、変わらなければいけないミーアと
「恐らく、ヒルデブラントは、領内に帰還したか……。いえ、帝都にある別邸のほうにいるはずですわね」
レッドムーン公爵家に挨拶に来て、そのまま帰還などということはしないはずだ。次男坊とはいえ、貴族家の人間は多忙だ。まぁ、ミーアを見てると、そうは思えないかもしれないが……多忙なものなのだ。うん。
もしかしたら、皇帝への拝謁もあるかもしれないし、叔母……すなわち皇妃アデライードの墓参りもするかもしれない。そのためには、少なくとも十日かそこらは、滞在しているはず。
「であれば、動くのは早いに越したことはありませんわ」
思い立ってからのミーアの行動は早かった。
アンヌに着替えを手伝ってもらった後、ササッと護衛の手配をするため、皇女専属近衛隊の詰め所へと出向く。
本来、ルードヴィッヒか、あるいは隊長のバノス、副隊長のルヴィ辺りを呼び出してするべきところだが……。今は時間が惜しい。
幸い、皇女専属近衛隊の詰め所は、宮殿のほど近くにある。問題はないだろう。
途中でアベルとも合流。護衛を買って出てくれた彼と、ウキウキ弾みながら町を歩いて……。
「ほら、アベル。あそこのお店は帝都で一番の……はっ!」
危うく目的を忘れそうになって反省。
足早に詰め所へと向かう。
辿り着いた詰め所は、活気で溢れていた。
現在の皇女専属近衛隊には、主に三つの勢力が存在していた。
もともと近衛隊に所属していた兵士とディオン・アライアの隊に所属していた兵士。
そして、もう一つの勢力が、レッドムーン公マンサーナが手配した、ルヴィのそば仕えの女性兵士たちである。その数は二十名。精鋭揃いだとのことだったが……。
「これは、ミーア姫殿下。ご機嫌麗しゅう」
その女性兵士が、話しかけてきた。凛とした空気をまとった、きびきびした女性である。
「ご機嫌よう。ええと、あなたは、レッドムーン公爵家の方かしら?」
「はい。レッドムーン公爵家より派遣されましたセリスと申します。本日は……ああ、もしかして、騎馬王国のご友人の方をお探しなのでは?」
「はて……? 騎馬王国の友人?」
なぜ、そんな話に? などと首を傾げるミーアを、その女性兵士は、厩舎に案内した。そこにいたのは……。
「あら、慧馬さん、こんなところにいましたのね」
呼ばれて振り返った慧馬は、嬉しそうな顔で近づいてきた。
「おお、ミーア姫。どこかに出かけるのか?」
ちなみに、今日の慧馬は、騎馬王国の民族衣装ではなく、帝国製のドレスを身に着けている。馬に乗る勇ましい姿しか知らなかったが、こうして見ると、どこかの貴族のご令嬢のように見える。
「ん? どうかしたのか?」
「いえ。その服、とっても似合ってますわ」
「ああ。これか……」
慧馬は、スカートを軽く摘まんで、ふわふわ揺らした。
「ん、んんっ!」
ふと見ると、目のやり場に困ったのか、アベルがそっぽを向いて咳ばらいをしていた。
「慧馬さん、レディがそういうことをするものではございませんわ」
「ああ、すまない。しかし、ふふ、似合うと言ってもらってすまないが、こういう服は、小驪のほうが好きだと思う。せっかくだから、あいつも、その内、呼んでやってくれ」
あの日……馬合わせの日に、慧馬と小驪は友誼を結んだらしい。
馬好き同士、通じるものがあったのだろう。
「しかし……良き馬がそろっているな。さすがは、ミーア姫の護衛部隊だな」
慧馬は、厩舎の馬たちを眺めながら言った。
「あら? 騎馬王国の月兎馬を知るあなたから見ても、そう見えますの?」
首を傾げるミーアに、慧馬は苦笑いを浮かべる。
「そうだな。以前までならば、馬鹿にしていたかもしれない。我も小驪と同じで騎馬王国の民の常識に従っていた……。駿馬こそが良き馬と決めつけていただろう。だが、あの日の馬合わせを見て、目が覚めた。あれは、良き馬合わせだった。我も血が騒いだ」
ギュッと拳を握りしめ、
「あの最後の坂を上るところは、今でも、目に浮かぶ。東風も、ここにいる馬たちも良き馬だ」
それから、慧馬は小さく笑みを浮かべた。
「小驪も我も、他の族長たちも、ミーア姫と出会って変えられた……。兄上も、あるいは……」
「ああ、そう言えば、聞いておりませんでしたけど、お兄さまは、今、どうしているんですの?」
怪我をしたということは聞いていたが、詳しいことは聞いていなかったミーアである。
火馬駆は、蛇導士を追跡する優秀な追手だ。あまり怪我が大きくなければいいのだが……。
「怪我が癒えるまでは、今までのような働きはできないだろう。まったく、我が兄ながら情けない限りだ」
ぷりぷりと怒る慧馬だったが、やがて、肩をすくめてみせた。
「まぁ、しかし、むしろ、兄上にはちょうどいいのではないかと思っている」
「ふむ……まぁ、そうですわね。たまには休むことも必要でしょうし……」
と言うミーアに、慧馬は首を振った。
「いや、そういう意味ではないのだ。兄上は、蛇導士を追うことはもちろんだが……それより先にすべきことがあるからな」
「はて……先にすべきこと?」
「ああ。蛇の巫女姫……ヴァレンティナと話をすることだ」
「ああ、そうか、姉さまと……」
黙って聞いていたアベルは、慧馬の言葉に驚きを見せるも、すぐに納得の頷きを返した。
「なるほど……そうかもしれないな……」
「聖女ラフィーナも賛同してくれたらしい」
「あら、そうなんですのね。ラフィーナさまが……。ですけど、それは危険ではありませんこと? 妹の慧馬さんに言うのもなんですけれど、狼使い、馬駆さんはかなりの剛の者ですし、巫女姫と会わせたりしたら、なにをするか……」
「我もそう思わなくもなかったのだが……聖女ラフィーナに言われたよ。ディオン・アライアがいるのは、なにも帝国だけではない、と……」
ブルルッと肩を震わせて、慧馬は首を振った。
「恐ろしいことだ……。あのような男がいろいろな場所にいるとは……」
ブルルッと肩を震わせて、ミーアも答えた。
「ええ、もっともですわ。実に恐ろしいお話ですわ……けれど」
っと、ミーアは心の平静を保つようにして、言葉を加える。
「まぁ、でも、それは言葉の綾というものではないかしら。ディオン隊長のような方が、そこら中にいたら、大変ですもの」
うんうん、っと二人で頷きあい、それから、慧馬は続ける。
「まぁ、なんにしても、これは良い機会だ。巫女姫と話すことができるというのであれば、それに越したことはない。そろそろ、兄上も向き合うべきなのだ。向き合って、そして……兄上もまた変わらなければならないと、我は思う。逃げることは許されない」
「そう……。まぁ、そうですわね」
慧馬が変わったように、小驪が変わったように……あるいは、ヴァレンティナも、馬駆も、変わることができるのだろうか?
願わくは、それが良い方向であればいいと、祈らずにはいられないミーアであった。
「ところで慧馬さんは、こんなところでどうかなさいましたの?」
「ああ。そうなんだ、実は、ここに蛍雷を預けているのだが、少し運動不足になりそうなのでな。羽透と遠駆けに行こうと思っていたのだ。もしよければ、ミーア姫もどうだ? アベル王子も一緒ならばちょうどよい。また軽く競争でもしてみるというのは……」
「そうしたいのはやまやまなのですけど、実はこれから出かけるところがございますの」
そうして事情を説明すると……。
「そうか。よし、そういうことならば無論、我も同行するぞ」
慧馬は、明るい笑みを浮かべた。
「どうだ? ミーア姫。あまり、体を鈍らせるのも良くない。馬に乗っていくというのは」
「ふむ……そうですわね」
ミーアはペロリ、と口の周りを舐めた。舌先に感じたのは、先ほど食べた野菜ケーキの甘味……。
――甘い物を食べたわけですし、運動もしておいたほうがいいですわね。
自らも変わらなければならないところがあるのではないか?
悔い改めるべき点があるのではないか?
……などと、湧き上がる切実な想いに押されるようにして、ミーアは静かに頷いた。