第六十九話 ミーア姫、冴え渡る3
ミーアのもとにルードヴィッヒが現れたのは、彼女が帝国に帰ってから五日後のことだった。
「……疲れましたわ」
父である皇帝への挨拶、大貴族への挨拶周りと、帰還記念パーティー。大帝国の姫君も暇ではないのだ。
「気楽な学園生活が懐かしいですわ」
早くも、学園に戻りたくなってくるミーアである。
忠臣ルードヴィッヒが訪ねてきたのは、そんな折のことだった。
「お久しゅうございます、ミーア姫殿下。ご無事のご帰還、心よりお喜び申し上げます」
相変わらずの不愛想。
むすっとしたその顔が、なんとなく懐かしい。
「あなたのほうも元気そうでなによりですわ、ルードヴィッヒ」
挨拶もそこそこに、ルードヴィッヒは、ミーアがいない間の帝国内政について報告を始める。
「足りませんわね……」
一通りの報告を受け、ミーアはため息を吐いた。
「確かに、食料備蓄は十分とは言えません。ですが、ミーア様、これ以上、穀物を倉庫に置いておくことは、無駄になる可能性がとても高いと考えます」
ルードヴィッヒとしては、ミーアの懸念には首を傾げざるを得ないところだった。
彼女の指定する分量は、いまだかつて存在しなかったような大規模な飢饉を想定しているとしか思えない。
数年間、まるで農作物が取れなかったとしても、民衆を食べさせることができる量……。
いくらなんでも、これでは心配が過ぎる。
むしろ財政破綻の危機の方が、よほど現実味を帯びた問題のように、彼には感じられた。
備蓄というのは言い換えるならば、農作物を倉庫で寝かせておくことだ。
何事も起きなければ、そこで使われたお金はそのまま無駄となる。保管しておく金だって必要になるのだ。それがわからないミーアではないはず。
にも関わらず、ミーアは浮かぬ顔をしている。
「ミーア様、俺はあなたのことを信じています。だから、納得はいきませんが、備蓄を増やせというのなら増やしましょう。ですが、他の貴族の方たちには説明する必要があるでしょう」
「どういうことですの?」
「ただでさえ、無駄遣いは控えるようにと、通達を出しています。下手をすると、姫殿下自身が無駄遣いをしていると揚げ足を取られることならないかと」
「確かにそうですわね。相手の失敗を探すのが上手い方たちですものね」
ミーアからすると、備蓄を増やすのは当然のことだった。
なにしろ、数年後に大規模な飢饉が襲ってくると知っているのだから。
現在の備蓄では足りないことが分かっているのに、説明できないことがもどかしかった。
「考え方を変える必要がありそうですわね」
ミーアは小さく息を吐き、頭を切り替える。
「ルードヴィッヒ、わたくしを信じてくださるというのなら、数年後に大飢饉が起こることを前提に考えてくださいな」
それを聞いて、ルードヴィッヒの瞳が、すっと細くなる。
「万が一の備えではなく確実に必要になるものと考えよ、と、そういうことですか?」
「そうですわ。その上で、聞きたいのですが、もし、食料をためておけないなら、飢饉が起きた時、どうするのがよろしいかしら?」
「普通に考えれば、商人を使って運んでくるしかないでしょう」
そう、ミーアもそのぐらいならわかる。でも……、
「それでは、やはり財政が破綻いたしますわ。飢饉の時の食料ほど高いものはございませんでしょう?」
「仕方ありません。需要が供給を上回れば価格が高くなる。ほしい人が多ければ多いほど物の値段が上がるのは自然なことですから」
「それも程度によりますわ」
小麦一袋で城が買える。それほどの地獄が帝国を襲うのだ。
――商人たちに足元を見られないようにするには、備蓄を増やす以外にはございませんが……。
それはできない。かといって、供給を増やすのも望み薄だ。
近隣の作物はほとんど全滅する。
例えば、帝国内の畑を十倍にしたとしても足りないし、それはあまり効率が良くない。
――そもそも、理不尽な話ですわ! 世界中からすべて、食べ物がなくなるわけではございませんのに!
ミーアは別に、学園で遊びほうけていたわけではない。
多少、恋愛にうつつを抜かしたりはしたが、きちんと勉強もしていたのだ。
ある時、飢饉について調べていたミーアは、自分が勘違いをしていることを知った。
飢饉は食料の絶対量の不足によって起きるのではない。物の流れが滞るから起こるのだ。
食べ物が"なくなる"わけではない。"届かなく"なるのだ。
だから、その食べ物を飢餓の地域に持っていき、高額で売りつけるなんて言う商売が成り立つわけで……。
「あっ、そうですわっ!」
その時、ミーアはひらめいた。ひらめいてしまった! グッドアイデアを。
そもそも、飢饉の時であっても商人から安く食べ物を仕入れられるなら、それで問題は解決するのだから……。
――お友達価格ですわ。お友達価格!
ミーアが思いついたことは実に安直で、割と自分本位なことだったのだが……。
「なるほど……」
それを聞いたルードヴィッヒは、数分の黙考の末、
「それは……、素晴らしい考えですね」
なぜか、感心の声を上げたのだった。