第十三話 労働、労働、ケーキ……ケーキ、ケーキ、野菜ケーキ!
さて、無事に子どもたちを白月宮殿に迎え入れたミーアは、自室で一息吐いていた。
「とりあえず、パティのことは、クラウジウス家の調べがつくまで、なんとも言えませんわね」
どうも、マティアスに聞いた限りでは、クラウジウス家の断絶は、謎に包まれた出来事であったらしい。
「形としては、跡取りに恵まれなかった、ということになるが……。いろいろと事情が錯綜しておってな」
マティアスは、そう眉間に皺を寄せた。
「始まりは、侯爵邸の焼失事件だったのだ。クラウジウス侯爵領内にあった館が燃え落ちてな。はじめは、野盗の襲撃か、他の貴族との抗争か、暗殺か……などといろいろな噂が飛び交ったが、調べていくと、侯爵家が莫大な借金を抱えていたことが判明したのだ」
肩をすくめつつ、マティアスは続ける。
「目ぼしい美術品などもすべて処分されていたが、さて、それは借金の返済に充てられたのか、それとも……」
「当主が借金から逃れるために、目ぼしい財産を持ち出して失踪したか、ですわね……なるほど。それは、外聞がよろしくはないですわね」
こう見えて、ミーアは帝国の姫なので、貴族心理に関してはそれなり以上に鼻が利くのである。
「クラウジウス家は、栄えある帝国侯爵家。そしてそれ以上に、我が母の実家でもある。事件が起きた頃は、すでに母上は亡くなられていたが……、捨て置くこともできまい。幸い、クラウジウス侯爵には跡取りもなく、裏から裏へと葬り去ってしまっても誰も困らない。ということで、青月省に命じて火消しに走ったというわけだ」
「なるほど。それでも断片的に漏れ聞こえる情報から、人々が妄想を膨らませて、呪われた家などという話になったのですわね」
聞いた時には呆れたミーアであったが、疑念は拭えなかった。
――暗殺という疑いは、莫大な借金と美術品の処分で簡単に捨て去られておりますけれど……実際のところはどうなのかしら?
つい最近、同じような工作をしたミーアには、その状況は実に怪しく見えた。
そう、人は“もっともらしい理由がわかると、それ以上は疑ってかからないもの”なのだ。
――これはやはり、もっと突っ込んで調べてもらう必要がありますわね。
そうは思うものの、調査はなかなかに大変そうだった。
まず、使える手勢があまり多くはない。
先代皇妃パトリシアの時間転移……という情報はトップシークレットだ。もちろん、時間転移のことは伏せるものの、それでも「なぜクラウジウス家のことを調べるのか?」などと疑問を持たれては大変だ。
迂闊に、木枠の穴に首を突っ込んでみたら、実は断頭台でした! などと言うサプライズイベントは避けたいところだ。
ちょっとした街角で待ち構えているのが断頭台というもの。ゆえに、調査には、信頼のおける人間のみを当てる必要があった。
さらに、文字の記録があまり信用できないことも問題だった。
――あの血まみれの日記帳のように、文字が書き換わる可能性がありますわ。
通常であれば、文献に当たればいいところを、確実を期するためには、人々の記憶に頼らざるを得ないわけで……。これもなかなかに大変な作業になるだろう。
そして、それよりなにより、なんと言っても、クラウジウス家は蛇の息がかかった家である。調査には慎重の上に慎重を期する必要があるのだ。
「とりあえず、ルードヴィッヒは、ジルベールさんに調査してもらうと言ってましたけれど……。少し心配ですわ。まぁ、ルードヴィッヒが大丈夫と言っていたから、大丈夫なのでしょうけれど……」
いずれにせよ、そちらに関しては当面ミーアにできることはない。なにしろ、帝国の叡智は、あまり、調べ物の役には立たない類いの叡智なのだ。
では、なんの役に立つ類いの叡智なのかというと、いささか答えに窮してしまうところなのだが……ともかく、少なくとも調べ物の役には絶対に立たないことは、疑いようのない事実であった。
ということで、ミーアは当面、別の問題を片付けようとしていた。
「とりあえず、パティの教育。それに、もろもろの報告にも目を通しておく必要がございますかしら……」
ルードヴィッヒから届けられた書類を手に取って、さらさらっと目を通していく。
細かいことは、すべてルードヴィッヒに一任しているものの、それでも、きちんと状況を把握している……ふりだけは、しておかなければならない。
「お前のことを見ているぞ!」というポーズは、人の心を引き締めるものなのだ。
人は、誰かが見ていなければサボるもの。ミーアは経験上よく知っている。
人は、基本的にサボるもの――サボるものなのだ!
だからこそ、きちんと見ているよ、とアピールするのは大切なことなのだ。そして、そのうえで……。
「ご褒美にケーキがあると知っていればこそ、頑張れる側面がございますわ。テスト前などは特にそう。だから、適度にケーキを与える。これが秘訣ですわ」
気を張り詰め続けてもいけないのだ。適度にご褒美と休憩を与えるのが大事だ。
頑張るためにはケーキが必要なのだ。労働、労働、ケーキ、このぐらいの配分が大事なのである。
「ふむ、しかし、ケーキばかりでは怒られてしまいますわね。ケーキばかり続けないで、きちんと野菜ケーキも混ぜなければ。ケーキ、ケーキ、野菜ケーキ……。適度に、野菜ケーキを混ぜる、この配分が大事ですわ」
労働とケーキの致命的な置換現象が起きていたが、それに気付くミーアではない。
とにもかくにも、そんなことを考えつつ、ミーアは書類に目を通し、滞りなく組織が動いていることを、ざっくりと……ふわっと把握する。
「各地の治安は若干悪化、と……。しかし、今のところ輸送部隊が襲われるようなことはないみたいですわね。皇女専属近衛隊とレッドムーン家の私兵の混成部隊とで、きちんと護衛ができているようですわ」
前の時間軸では、各地の略奪隊に、それはもう痛い目に遭わされたミーアである。
その辺りのことは早いうちから、ルヴィとバノスとに言い含めてあったのだが、見事に、護衛隊が機能しているらしい。
「うふふ、やっぱり、ルヴィさんを仲間に引き入れたのは正解でしたわね」
そう満足の笑みを浮かべている、まさに、その時だった。
「失礼いたします。ミーアさま、あの、ルヴィさまがいらっしゃっておりますが……」
アンヌの声に、ミーアはそっと顔を上げる。
「あら……ルヴィさんが……?」
すぐに、頭を真面目モードに切り替える。
皇女専属近衛隊の副隊長を務めるルヴィ・エトワ・レッドムーンは、目下のところ、最重要人物だ。いや、まぁ、四大公爵家の子弟というのは、誰も最重要な人間ではあるのだが……。その中でも、現状、ルヴィの重要度は群を抜いている。
そんなルヴィが訪ねてきたとあれば、姿勢を正すのは当たり前のこと。
「働きを労ってあげる必要もございますわね。ええ。もちろん、会いますわ。入っていただいて」
けれど、やってきたルヴィを見て、ミーアは唖然としてしまう。
「う……ぐぅ……み、ミーアさまぁ」
常の凛とした顔とは打って変わり、涙でグズグズの顔をするルヴィ。そのあまりの変化に、ミーアは言葉を失った。
「……まぁ、どうされましたの? あなたらしくもない」
尋ねつつも、新たなトラブルの到来を予感するミーアであった。