第六話 芽吹き
今日は、久しぶりにあの男が登場です!
「しかし、ミーア、急にどうしたというのだ? 母上のことを聞きたがるなど、珍しいな」
不思議そうな顔をする父に、ミーア、少々、慌てつつ、
「ああ、ええっと……。そう! 実は、お父さまに紹介したい子がおりますの」
唐突にやってきたチャンスを掴むため、動き出す。
さて、どうやってパティの話を出したものか、と悩んでいたミーアだから、この機会を逃したりはしない。波が来れば乗っていくのがミーアのスタイルなのだ。
摂取した養分を頼りに脳みそをぎゅんぎゅん言わせながら、ミーアは考えをまとめていく。
「ベルと同じで、わたくしと少し似た顔の子なのですけど」
まず、父にとってのアピールポイントから話を始める。
「ほう! それはいいな。また、お前の妹姫が増えるということか」
冗談めかして笑う父に合わせて微笑みつつ、
「ええ。ですけど、その子の名前が、パトリシアって言うんですの」
「パトリシア……。母上と同じ名か」
「そうですわ。わたくしに似ていて、名前がパトリシアでしょう? もしかすると、お父さまが、お祖母さまの面影を思い出してしまうかもしれない、と思いまして」
ミーア、ここで、軽く印象操作を狙っていく。
万が一、父が、パティの正体に気付きそうになった時、納得できそうな理由を事前に提示しておくのだ。
「ははは。私はそう単純ではないぞ?」
どうやら、マティアスは、ミーアが冗談を言っていると思ったようだったが、それでも構わないのだ。もしも、パティに母の面影を見つけてしまった時に、そう言えば、あんなこと言ってたなぁ、と思い出してもらうだけで意味がある。
人は、疑問に対して、ちょうどよい解答が用意されていくと納得して、それ以上は考えないものなのだ。
――ふむ、これで、パティを白月宮殿に連れてくることができるようになりましたわ。一安心ですわね。
心地よい満足の内に、その日の晩餐会は終わりを迎えた。
さて、旅の疲れもあってか、ぐっすりたっぷり眠った翌日のこと……。
ミーアの部屋を一人の男が訪ねてきた。
「ご無事のご帰還、心よりお喜び申し上げます、ミーア姫殿下」
膝を付き、頭を垂れる青年文官……。
その眼鏡に……否、それをかける当人に、ミーアが絶対の信頼を置く男。ルードヴィッヒ・ヒューイットである。
「ああ、ルードヴィッヒ。ずいぶんと久しぶりな気がいたしますわ」
優しく微笑みかけるも、すぐにミーアは首を傾げた。
「それにしましても、ずいぶんとかしこまった態度をとりますわね。なにかございましたの?」
常になく硬い態度をとるルードヴィッヒに、ミーアはクスクスと笑い声をあげる。
「実は……ミーア学園のアーシャ姫殿下より連絡が入りました」
「はて、アーシャ姫殿下から……?」
なにかしら? などと首を傾げるミーアに、ルードヴィッヒは顔を上げ、ゴクリ、と喉を鳴らしてから、
「セロ・ルドルフォンさまと共同で、寒さに強い小麦を、見つけたと……」
その報せを聞いた時、さすがのルードヴィッヒも思わず、近くの椅子に座り込んだ。一緒にいたバルタザルもまた、腰を抜かしていたほどだった。
それほど、その情報は驚くべきものだったのだ。しかも……。
「それも……発見場所は、ギルデン辺土伯領で、だったとのことです」
それを知った時、ルードヴィッヒの脳裏をいろいろな光景が駆け巡っていた。
夏、港湾国から戻る途中のこと。唐突に、ギルデン辺土伯領に寄りたいと言い出したミーアの顔。
あの時の行動が、まさか、このような形で結実するとは、さすがのルードヴィッヒでもわからなかった。
セントノエルにいたミーアは知る由もなかったが……ここしばらく、ルードヴィッヒらは忙しく働いていた。帝国内に混乱を生まぬため、繊細な調整をしつつ、備蓄を流していく作業。フォークロード商会やペルージャンとの折衝をしつつ、時折、来る他国からの救援要請にも応じて……。
「本当に大丈夫なのか? ルードヴィッヒ……」
目の前には、じわじわと量を減らしていく食糧備蓄。聡明を以て知られるルードヴィッヒの仲間たちの中からも、ミーアの方針が正しいのか、懸念する声も出始めていた。
ルードヴィッヒ自身は、ミーアの考えの正しさを信じていた。食糧を巡って、他国と戦争にでもなれば、それこそ被害は甚大なものとなる。畑が焼かれでもしたら元も子もない。
だから、救援要請に応えて、備蓄を放出することは正しいはずで……でも、不安がないと言えばウソになる。
そんなタイミングでの新たなる要素。寒さに強い小麦の発見である。
もちろん、未だ発見に至っただけだ。それだけで、すべての状況を打開するほどではない。ないが……、
『寒さに強い小麦が作られた』という情報自体の価値は、計り知れない。
寒さに強い小麦が手に入る……そう考えるならば、人々は安堵する。
来年もまた、不作が続くのではないか? 飢饉が起こるのではないか? そのような不安を払しょくするだけの力を、その情報は持っていた。
「しかも、ギルデン辺土伯領を上げて、その小麦の栽培に力を入れたため、種籾はそれなりの量を用意できたとか……」
セロとアーシャは、徹底的にギルデン辺土伯領の小麦畑を調べた。辺土伯の協力も得て、寒さに強い種類の小麦を探し、種籾を作り、それを既存の小麦に替えて、すべて蒔いた。
とりあえず、増やせるだけ増やそうという行動。それは、翌年以降も寒さが続くから、既存の小麦では育たないという確信に基づいた行動。
ミーアの未来予測を完全に信頼しての行動だった。
ギルデン辺土伯、セロ・ルドルフォン、アーシャ・タフリーフ・ペルージャン。
自らの主が目を付け、集めてきた人材が、力をいかんなく発揮して、絶対的危機を乗り越える……すべてが繋がっていく光景に、ルードヴィッヒは思わず慄く。
そんな偉業を成し遂げつつも、涼しい顔で首を傾げているミーアを見れば、なおさらだった。
「ふふふ、セロ君たちは、期待通りに力を発揮しているようですわね」
ニッコニコと微笑んでから、ミーアは言った。
「ところで、ルードヴィッヒ。あなたに相談したいことがございましたの。できれば、ゆっくりとお話がしたいのですけど……」
そうして、ミーアは意味深な笑みを浮かべるのだった。