第五話 ミーアパパのうろ覚え
「ただいま戻りましたわ。お父さま」
ところ変わって、白月宮殿、謁見の間。
アンヌの家を出たミーア一行は、そのまま白月宮殿へと向かった。
同行者は、アベルとミーアベル、シュトリナ、慧馬。それに従者としてリンシャもついてきている。
そうして、一同は、皇帝マティアスの前に出ることになった。
マティアスは、ミーアの挨拶を受けて、うむ……と威厳たっぷりに頷いた後、
「よくぞ戻った。マイスイートミーア!」
そんなことを言った! 口から娘愛が溢れ出していた!
「ちょっ、お父さま……」
慌てるミーアの抗議を華麗にスルーし、マティアスは視線を転じる。その先にいたのは……ベルだった!
「さて、ベル嬢も久しぶりだな。息災であったか?」
皇帝公認のミーアの妹分、ベルは、嬉しそうに頷いて。
「お言葉、痛み入ります。陛下」
なにやら、しかつめらしい顔を作り、ものすごーく賢そうなことを言った。
それを聞き、マティアスは、ふふふ、っと笑い、
「そうかしこまることもあるまい。ミーアはそなたのことを妹として扱っていると聞く。ならば、私にとっても娘のようなもの。気軽に、パパと呼んでも……」
「お父さま……。内外にいろいろな誤解を招くようなことは慎んでいただきたいですわ」
などとお小言を言いつつも、ミーアは決意する。
――もしも、ベルがわたくしの孫娘、つまり、お父さまにとってはひ孫になるのかしら……? ともかく、それに気付かれたら、大変なことになりますわ! 絶対にベッタベタに可愛がるに違いありませんわ。あら? でも、その場合、わたくしへのベタベタが少し減って、むしろ、助かるのでは……?
などと、ミーアが思案に暮れている間にも、話は進んでいく。
次にマティアスが目を向けたのは、アベルのほうだった。
「そして、よくぞ、参られた。レムノ王国の王子よ。歓迎しよう」
そう言って、マティアスは……ギロリとアベルに視線を送る。それは「まだ、お前なんぞに娘はやらんぞ……」という強い主張のこもった視線で……。それを受けたアベルは、そっと頭を下げ、
「ありがたきお言葉にございます。陛下」
静かに言うのだった。
さて、挨拶が終わった後、アベルは、白月宮殿に残ることになった。ベルとなぜかシュトリナも、宮殿内の部屋で過ごすことになった。イエロームーン公爵家は、帝都に別邸を持っているが、もちろん、そこに帰るような真似はしない。
夏休みをお友だちとエンジョイする気満々のシュトリナなのである。
それはさておき、その夜のこと。
ミーアは久しぶりに、父との食事をとることになった。
久方ぶりの料理長のディナーに舌鼓を打った後、ミーアはパティのことを話すことにする。
「ところで、お父さま、パトリシアお祖母さまのことなんですけど……」
「うん?」
パティのことを相談する前に、先に聞いておきたいことがあった。それは、ほかならぬ、祖母、パトリシアのこと。
「お祖母さまって、いったい、どんな方だったんですの?」
「珍しいな。ミーアが母上のことを聞きたがるとは……。呪われたクラウジウス家の出身だが、いいのかな?」
「うぐ……」
ミーア、思わず、呻く。
そう、幼い頃のミーアは、そのせいで、祖母の話をほとんど聞かなかったのだ。
「ふふふ、まぁ、母上は、呪われた、などと言う言葉が全く似合わぬほど、私には優しい人だった。幼い頃の私は、ずいぶんと甘やかされて育ったと、今にして思うよ」
思わぬことを聞かされて、ミーアは瞳をパチパチさせる。
――パティ……。息子に甘いって……。
思わず、パティの無表情を思い出し、小さく首を傾げる。
――あまり、イメージに合わないような……。
「それにしても、ふふ。久しぶりに、思い出してしまった。甘やかされて育てられた私は、ずいぶんと、母上に反発したものだったよ。あの当時、私は母が決めた結婚相手――つまり、お前の母アデラのことだ、ですら気に入らんでな。まだ会ってもいないのに、絶対にこの相手とは結婚しないと言っていたものだが……」
「まぁ、お父さまが? 信じられませんわね」
母にベタ惚れの父の姿しか知らないミーアは、ついつい驚いてしまう。
「母が決めたという一事が我慢できなんでな。それまでも、外での女遊びを厳しく諫められていてな。それもあって、ずいぶんと反発したものだが……。あの時は、母にしては珍しくずいぶん慌てていたな……。いや、我関せずといった様子だっただろうか? いつも冷たい母だったが……いや、あれは夢か?」
ふとここで、父は首を傾げた。
「だが、そもそも、アデラを探してきたのは、私だったか……? いや……」
眉間に皺を寄せたマティアスだったが、ふと苦笑いをし、
「いかんな。どうも、年のせいか記憶が曖昧だ。ともあれ、私は連れられてやってきたアデラを見て、一目惚れしてしまったというわけだ」
照れくさそうに頬をかきながら、マティアスは言った。
「あの時は、心の底から母に感謝した」
「アデライード母さまを、見つけてきてくれたことに、ですの?」
「それもあるが、女遊びを厳しく戒めてくれたことにも、だ。おかげで、私は最愛の人を唯一の人とすることができた。私にとって、アデラ以上の者もいなければ、アデラ以下の者もいない。彼女がただ一人、私の愛を注ぐべき女性、我が愛を独占した女性なのだ」
それから、マティアスは優しげな笑みを浮かべる。
「唯一の例外は我が娘ミーア、お前だが……。お前とアデラが溺れていたら、私は迷いながらもアデラを助けるであろう」
堂々とそう宣告する男、皇帝マティアス・ルーナ・ティアムーン。妻への愛に溢れるこの男は、大変、純情一途な性格をしていた。
そんな彼が、けれど、そこで顔をしかめる。
「だが……同時に複雑な気持ちもあったのだ。ずっと反発していたが、結局は、母の言うことがすべて正しかった。そう思うと、気恥ずかしいというか、素直になれなんでな。どこかぎくしゃくしたまま、謝ることもできず、母は逝ってしまった。それが今では、少しだけ心残りなのだ」
そんな父の後悔を聞きながらも、ミーアは思わず考えてしまう。
――記憶が曖昧……。これは要するに、パティの存在によって、過去自体が揺らいでいる、ということなのではないかしら?
さらに、疑問はもう一つあった。
――パティは、蛇から解放されたのかしら?
少なくとも、父が言っていた、息子に甘いというのは、蛇の印象からは縁遠い気がするが……。
「ふむ、ちなみに、お祖父さまという方は、どんな方でしたの?」
「父か……。父上は、そうだな……。どちらかと言えば陰気な性格だったが……。それでも母上のことを心から愛し、大事にしていたようだ」
それから、父は何かを思い出したのか、ふふ、っと小さく笑みを浮かべ、
「実はな、ここだけの話、父から聞いたことがある。若い時の父は、この世を儚み、いつ死んでもおかしくなかったそうだが……。母に会い、心を救われたのだそうだ」
「いつ死んでも……」
「ははは。我が父ながら、相当であろう? だが、まぁ、私が一途なのも、その血によるものかもしれんな」
そうして豪快に笑う父を横目に、ミーアは、じっと考える。
先代皇帝の姿は紛れもなく、初代皇帝が望んだ、ティアムーン帝国皇帝の姿だ。
――つまり、初代皇帝から続いてきた呪いを断ち切った者が、お祖母さま……パティだった、ということになりますわね。
初代皇帝の思惑を考えるのならば、ティアムーン帝国の皇帝は、世界を憎み、滅ぼすような性格が好ましい。まさにその性格だった先代皇帝の心を、パティは救い、子どもにもその絶望を継承させなかったのだ。
――ということは、わたくしのこれからの行動次第では、パティを蛇から解放することができる、と考えるべきかしら……。ふむ……。
難しい顔をして唸るミーアであった。