第四話 右腕に託して1
帝国騎士の一団とすれ違い、ほどなくして一行は帝都ルナティアに到着した。
本来、帝国の姫の帰還は、国を挙げての一大行事……ではあるものの、さすがに、セントノエルに通うようになってからは、できるだけ簡素に済ますようにしている。
なにしろ、お金がかかるわけで……。毎年、夏と冬、二度の帰還の度に、盛大なパレードなどやっていては、国庫が簡単に払底する。特に冬などは誕生祭の時期とも近いため、大きな負担となる。
ミーアからしてみれば、お出迎えを豪勢にしてもらった結果、断頭台が近づいてくるわけで……。言ってしまえば、ギロちんの行列に出迎えられているような気分だったのだ。
ということで、帝都に入る少し前、簡素な馬車に乗り換えて、こっそり、バレないように、帰ってきたミーアである。
かつて、商人の一行に扮してレムノ王国への潜入すらやってのけたミーアである。帝都に、こっそり帰ってくることなど、わけないのだ。
「ここが……帝都?」
馬車の中、あたりをキョロキョロと見回すパティに、ミーアは、ニッコリ笑みを浮かべる。
「ええ。そうですわ。パティはまだ帝都に来たことはなかったのかしら?」
「はい。ずっとクラウジウス領にいましたから……」
「そうなんですのね。では、軽くわたくしが案内して差し上げますわ。この夏の間には、いろいろと回る機会もあるでしょうし……あ、こちらの賑わっている地域が新月地区ですわね」
ルードヴィッヒの施策により、今の新月地区は帝都の他の場所に負けないぐらいの活況を見せている。いや、むしろそこは、新たな成長地域として、他の地域以上の熱量を持った場所になりつつあった。
今も、商人の乗った馬車だろうか、数台の馬車が入っていくのが見えた。
町行く人の顔も明るく、生気に溢れている。
そして、そこは、ミーアの支持基盤の一つでもあった。
「新月地区……?」
きょとん、と首を傾げるパティ。それを見て、ミーアはハタと気付く。
――あ、そうですわ。パティの時代には、もしや、新月地区ってなかったのでは?
ミーアは帝都の歴史を知らない。新月地区ができた由来も、そこが貧民街となった由来も。
この町が、どのような歴史を辿り、どのように形成されてきたのか、まるで知らなかったのだ。
――くぅ、ぬかりましたわ。なるほど、こういう時のために、歴史を学ぶことが必要なんですのね。
改めて勉強の大切さを実感するミーアである。もっとも、“こういう時”というのは、あまりあることではないと思うのだが……まぁ、歴史を学ぶことは大切なので、結果オーライといったところか。
そうして、なにか誤魔化す言葉を……と思っていた時だった。
「すごいね、パティお姉ちゃん。ここが帝都なんだね」
嬉しそうに、キリルがパティに話しかけた。
パティは……ほんのわずかばかり、その顔に笑みを浮かべる。
「うん。私もはじめてきた」
それから、パティはヤナのほうに目を向けて……。
「ガヌドス港湾国も、こんな感じだったの?」
「いや、ガヌドス港湾国は、もっとずっと小さかった。すごい、帝都って、こんなに大きいんだ」
ヤナは呆気にとられたように外の光景を眺めていたが……。
「ミーアさまの言った通りだ。世界は広いんだ」
ポツリと、小さな声でつぶやいた。
一方で、パティの疑惑の目を逸らせたことで、ホッと安堵するミーアである。
――やはり、ヤナたちを連れてきて正解でしたわね……。
そんなこんなで、町を進むことしばし。
「あっ、見えてきましたわよ?」
やがて、一行の前に、一軒の家が見えてくる。
その家の前には、壮年の夫婦と、子どもたち、アンヌの家族が並んで待っていた。
先に降りて、両親に話をするアンヌ。続いてミーアが降り、一通り挨拶を済ませたところで、今度は、子どもたちのほうに振り返った。
「あなたたちには、しばらくここに泊まってもらいますわ。ここは、わたくしの信頼するアンヌのご実家ですの」
すでに、アンヌとの打ち合わせは済んでいた。
セントノエルを出る前のことである。
「アンヌ、あなたには、とりあえずいったん、ご実家のほうに行っていただきたいですわ」
「お気遣いいただきありがとうございます。ミーアさま、でも……」
と、言葉を続けようとするアンヌを片手で制し、
「誤解させてしまったのなら、申し訳ないのですけど、これはあなたのために言っていることではありませんの。むしろ、お願いですわ」
「お願い……?」
「そうですわ。あなたの実家でパティの面倒を少しの間、見ておいていただきたいんですの」
パチパチと目を瞬かせるアンヌに、ミーアは静かに頷いた。
「ここだけの話ですけど、パティは極めて重要な子なんですの。正体のほうは、まだ確信が持てないので詳しくは言えないのですけど……もしかしたら、ベルに近い存在なのかも、と思っておりますわ」
「ベルさまに……ということは、パティさまも、ミーアさまのご関係の……?」
「そうかもしれない。だからこそ、わたくしは、蛇から解放したいと強く思っておりますの。でも、パティに話を聞いてもらうためには、蛇として振る舞うほうが都合が良い。この辺りの事情がわかっている者に、パティのそばにいていただきたいんですの」
それはミーアの本音だった。
パティのことはまだ、わからないことが多い。けれど、先日見た悪夢がパティに由来するものであれば……そして、あの悪夢が、ただの夢でないとするなら……。
――か、考えるだけでも、恐ろしいことですわ。
一切夢に見ないということは、未だにその歴史を辿る可能性が残っているか、もしくは、まったく存在しない歴史か、ということだ。
例えば、ミーアが天馬に乗って空を駆ける、などと言う夢は、記憶の欠片として出現することはない。あり得ないことだからだ。
つまり、記憶の欠片として夢で見た世界というのは“あり得る可能性が高いけど、潰えた世界”ということになる。潰えたこと自体は喜ばしいが、問題は“あり得る可能性が高い”というほう。あり得る可能性が高いということは、それに類似した可能性はまだ残っているかもしれないからだ。
クッキーで毒殺される可能性が消えても、キノコ鍋で毒殺される可能性が残っているかもしれないのだ。
――あの、イエロームーン家が敵に回る可能性……。確かに、パティはイエロームーン公爵と面識がある、みたいな話を聞いた記憶がありますし。恐ろしいですわ。パティの扱いは慎重にすべきですわね。
腕組みしつつ、ミーアは続ける。
「もちろん、お父さまに話して、すぐに白月宮殿に移れるようにしますけれど……。それまでの間、あなたのお家で面倒を見ていただきたいんですの」
ミーアの言葉に、アンヌは、静かに頷いた。
「わかりました。このアンヌ、命に代えましても、必ず……」
「……ああ、いえ、そこまででなくっても平気ですわよ? もう少し気楽でも……」
鼻息荒く言うアンヌに、若干慌てて止めるミーアであった。
そうして、打ち合わせ通りにパティとヤナ、キリルの三人をアンヌの家に預ける。
パティは文句を言うかと思っていたが、意外にもすんなりとそれを受け入れた。
――ベルはともかく、パティは平民の家に泊まることに抵抗があるかと思いましたけど……。
首を傾げつつ、ミーアは白月宮殿へと向かう。
――さぁて、お父さまをどうやって言いくるめたものかしら……?
などと、頭を悩ませながら……。