第六十八話 気味の悪い違和感
セントノエル学園は夏休みに入った。
多くの生徒が帰路につく中、ミーアもまた帝国への馬車の中にあった。ガタゴト揺れる馬車にて、ミーアは久しぶりに血染めの日記帳を再び読み直すことにした。
もしかしたら、未来が変わっているかも、なんて期待していたミーアだったが。
「ですわよねぇ……」
思わず、ミーアは落胆のため息を吐く。
日記帳は、未だにミーアが断頭台で処刑されることを示していた。基本的な部分は変わらない。
飢饉が起こり、革命が起こり、帝室は滅ぼされるのだ。
もちろん、多少の変化はあった。
前の時間軸では、帝室への非難一辺倒だった民衆だが、新月地区の住民を中心に、若干名の義勇兵が立ち上がった。
帝室全体のためではなく、ミーア個人を助けるための部隊だったようで、近衛兵との連携により、革命軍にかなりの被害を出していた。
ほかにも、住民たちの中には、それなりの数、ミーアの助命を訴える者がいたらしい。
そのおかげかはわからないが、ミーアをめぐる境遇も改善された。幽閉される場所が地下牢から、城の一室に変わったし、料理長の温情で食事はマシになった。
それどころか処刑される前日は、最後の晩餐で大盤振る舞いだったらしい。黄月トマトのシチューが絶品だった、などと日記に書いてあるのだから相当である。
あるいは、シオンの反応。従者から強く勧められたこともあり、彼は多少なりともミーアの処刑に反対してくれたらしい。
逆にミーアの行動によって悪化したこともあった。
アンヌはミーアを助け出そうとした挙句、失敗。一家離散で、本人は罪人として捕らえられてしまう。
アベルもまた、ミーアを助けようと帝国に潜入までしてくれたらしいが、見つかり、大勢を道連れに討ち死にしている。
これにより、レムノ王国との仲もこじれて、帝国はさらに苦境に陥ることになる。
「……あまり、愉快なことではございませんわね」
日記の記述は、アベル王子の訃報に動揺したのか、震えるような字で記されていた。微妙に字が滲み、ページが濡れたことを思わせるのは恐怖で汗が垂れたからか、それとも……。
そのような微妙な変化こそあれ、結果は変わることはなかった。
――飢饉は、以前よりはマシになっているようですが。
革命の一番の原因は、やはり変わらずに食糧不足のようだった。ルードヴィッヒに指示している食料備蓄で、多少は改善したものの、やはり飢餓が起こるのは防げないようだった。
備蓄がまだ足りないのだ。
――それに、辺境の少数部族との争い。
日記帳に記されていたのは森の民、ルールー族との地域紛争だ。
これは前の時間軸でも起きていたのかもしれないが、ミーアはほとんど記憶にない出来事だった。その当時のミーアは興味がなかったので、事件の原因などはわからない。
けれど、この事件の何がまずかったのかは、今となってはよくわかる。
――ルールー族……、ティオーナさんの従者の出身部族なんですのね。
リオラ・ルールー。
彼女の出身地に対して行われる非道な行為、そこにミーアが絡んでいたとすれば、ティオーナが悪印象を抱いても無理のないことだった。
この事件がもとで彼女との仲がこじれてしまうと、日記にも書かれている。
逆に言えば、この事件さえ何とかできれば、少なくともティオーナは敵に回らないかもしれない。
――ルドルフォン家の所領の農作物は魅力的ですわ。もしも友好関係が築ければ、食糧事情はかなり改善されるはず。
それだけには頼れないが、大きな要素であることには変わりはない。
――それはそうと、この記述は気になりますわね。
それ以上にミーアが注目したのは、革命がおこるきっかけとなる事件。
ルドルフォン辺土伯の拉致事件である。
食糧不足であえぐ民たちに、自身の保有する食料を分け与え、人気を集めていた辺土伯に対して嫉妬した皇帝が起こした事件と、日記には書かれている。
それに怒った民衆が一斉蜂起し、革命の火種となる、と。
それは、前の時間軸においても、変わることのなかったきっかけの事件。
けれど、思えばミーアは不思議だったのだ。
確かに父である皇帝は、並み居る貴族たちと比べても清廉潔白とはとても言えない。
けれど民衆の人気を集める貴族がいたからといって、それに嫉妬するかというと、疑問が残る。
――そもそも、お父様は、わたくしの好感にしか興味がない方ですし。
可愛い娘に乞われれば戦争も辞さないが、それ以外はおおむね無害な人。頭に超が付くぐらいの親馬鹿、それがミーアの持つ父親に対するイメージである。
無害なだけであって、有益ではないところが問題といえば問題だが、少なくとも悪い人ではないのだと思う。
――この事件、なんだかお父様らしくないですわ。
疑念はミーアの脳裏にこびりつき、気持ちの悪い感触を残した。
まるで何者かが革命がおこるように事件をでっち上げたかのような……。あるいは、運命を司る神が帝国の滅亡を望んでいるかのような、なんとも不吉な予感。
お腹からせり上がってくるような、気持ちの悪さ……。
その名状しがたい感覚を、あえて説明するとすれば、それは……っ!
「うう、気持ち悪い……」
そう、馬車酔いである。
揺れる馬車の中で、じっと文字なんか読んでいるもんだから、ミーアはすっかり酔ってしまったのだ。
「……あ、アンヌ、アンヌぅ……気持ち悪い」
日記を読むからと、御者台に行ってもらっていた忠義のメイドに助けを求める。
涙目でうずくまるその姿には、セントノエル学園で一目置かれる智者の面影は、どこにも見当たらなかった。




