プロローグ 休暇の終わり~ミーア姫、ついに優位性(チート)を失う……失う?~
夏休みを目前に控えたある日のこと。
ミーアの部屋で、ベルが上機嫌に鼻歌を歌っていた。
目の前のお茶菓子をパクリと食べてから、ベルはニッコニコ顔で言った。
「剣術大会が、あんなにも迫力があるものだとは思いませんでした」
拳をグッと振り上げ、体を弾ませるベル。やんちゃ坊主のような仕草からは、帝国の姫の気品は一切感じられなかった。微塵も、感じられなかった!
「ああ、やはり、シオン王子は格好いいです。それに、お祖父さまもなかなか……。うふふ、こんな素晴らしいものが見られるなんて、過去に戻って来られて良かったです」
今年の剣術大会の決勝は、シオン対アベルの戦いになった。
サンクランドでの復讐戦とばかりに、シオンの剣が冴え、激闘の末に膝をついたのはアベルのほうだった。
「格好良かったなぁ。シオン王子。あのお見事な剣さばき、最高でしたね」
憧れの天秤王シオンと、祖父アベルとの一騎打ちを見られたベルは、心の底からの満足感に浸っていた。
そんなベルに、ミーアは小さくため息を吐き、
「ところで、ベル。もうすぐ試験ですけれど、お勉強は進んでおりますの?」
「え……?」
ミーアの問いかけに、ベルはかっくーんと首を傾げて……、もう一度。
「えっ……!?」
二度見した!
「いや、そんなことはじめて聞きました! みたいな顔をされましても……。知ってますわよね? 夏休み前の試験のこと……。以前は、そのせいで、セントノエルに居残りになったわけですし」
「もっ、もちろん知ってますよ? 知ってますけど……あれ? だって、ボクは、休暇のつもりで過去に行けばいいって言われて……。だから、その前にみっちりお勉強をさせられて……あ、あれ?」
解せぬ……という顔で、しきりに首を傾げるベルに、ミーアは苦笑いを浮かべる。
「みっちりお勉強させられたなら、別に問題ないじゃありませんの?」
「ミーアお姉さま……、そのような口車に、ボクが乗せられるとお思いですか? そのような、卑怯な誤魔化しを見抜いてこそ、帝国の叡智の孫娘と言えるのではないでしょうか?」
キリリッとした顔で言うベルである。ミーアは、はぁ、っとため息を吐き……。
「いいえ。テストできちんと良い点をとってこそ、帝国の叡智の孫娘を名乗ることができるのですわ! いいですこと、ベル!」
そこでミーアは静かな視線をベルに向け、胸に手を当てて……息を吸って、吐いてから!
「あなたの休日は、終わりましたわ!」
厳かに告げる!
「今日、たった今! 終わりましたわ!」
悲痛なる宣告を受け、ベルは稲妻に打たれたように、かくんっとその場に崩れ落ちた……。
そのまま泣き崩れるかと思われた、瞬間、ハッと顔を上げる。
「今……聞こえました。エリス母さまのお声が……」
それからベルは、そっと胸を押さえて……。
「ああ……そうでした。ボクは帝国の叡智の血を継ぐ者……ミーアベル・ルーナ・ティアムーン。ここのところすっかり忘れかけていましたが、ボクはこの誇りを胸に、雄々しく戦わなければならないのですね……」
切り替えの早さは祖母譲りのベルである。
そんな感じで、勉強頑張ろう! などと拳を振り上げるベルだったが……それにツッコミを入れる余裕は、残念ながらミーアにはなかった。
なにしろ、今回のテストはミーアも危ないのだから。
そう、ミーアは今年で十六歳。前時間軸においては、すでに、学業などと悠長なことを言っていられなかった時期。セントノエルにはもう、通えていなかった時期なのだ。
すなわち、ミーアはついに、ついに! 前時間軸でのアドバンテージを使い果たしてしまったのだ!
もう、かつてのように、前時間軸で勉強した知識をもとにテストで無双するなどということはできない。クラスメイトにドヤァ顔でお勉強を教えることもできないわけで…………わけで?
…………いや、そうだっただろうか?
本当に、ミーアは前時間軸の勉強を生かして……この時代で楽をしていただろうか? クラスで一番の成績を楽々とって、テスト結果で無双していただろうか?
否……、答えは断じて否である。
そもそも、ミーアには、勉強におけるアドバンテージなどというものは、存在しない。セントノエルに入学して以来、ミーアには、前世の学術的優位性などというものは、一切存在していないのだ!
……まぁ、つまり、なにが言いたいのかと言えば、今回もいつもと同程度に、テスト勉強で苦労するよ、ということで……。
ベルをどうこうしている余裕はないのだ。いつものことなのだ。
「ぐぅ……特に今回は悪い点は取れませんわ。初等部の子どもたちにも示しがつきませんし……。しかし……さすがは、高等部ですわ。暗記範囲が多い。ふむ……これは、逆に、暗記パンケーキをたくさん食べるチャンスなのでは……? というか、そう考えないと、やっていけませんわ。うぅ……」
などと涙目になりつつ、食堂で勉強しようと教科書を抱え上げるミーア……であったのだが。
「……ミーア先生、特別初等部で試験前の特別勉強をするのですが、行ってきてもいい?」
そうパティに聞かれて唐突に閃く! 悪魔の閃きが……。
「ふむ……特別初等部。そういえば、ユリウスさんのお勉強の教え方は、とってもお上手でしたわね」
優しげなユリウスの顔が思い浮かぶ。彼ならば、幼い子どもにするように優しく教えてくれるだろうし、場合によっては、ズルいことも教えてくれるかもしれない。こう、楽に暗記する奥義などを……。
「ふむ……さりげなく、特別初等部の子どもたちと並んでテスト勉強してたら……うっかりわたくしにも教えてくれるかもしれませんわね。ふむ、せっかくですし、ベルも誘って……」
その思い付きは、ミーアにはとても素敵なものに思えたから……。
翌日、ミーアは、上機嫌にお願いに行くのだった。
ちなみに「特別初等部の子どもたちに交じって勉強したい!」というミーアに、当初は驚かされたユリウスであったが、すぐにその意図を察する。
――なるほど。ミーアさまは率先してご自分の姿を、子どもたちに見せようというのか。ご自分であっても試験前には勉強しているのだ、と。
帝国の姫にして、生徒会長であるミーアでさえ、試験の前には苦労しているということを見せれば、子どもたちもサボりづらい。
むしろ、自分たちもしっかり勉強しなければ、という気になるではないか。
――そういうことならば、手を抜くことはせず、厳しく見て差し上げるのが肝要か。
ユリウスは眼鏡の位置をスゥっと直すと、わずかに瞳を鋭くし……。
「わかりました。ミーア姫殿下。それでは、みっちりお勉強を見させていただきます」
「ええ……。お願いします……けど……あら? なんだか、ユリウスさん、目つきが怖いですわね……。なんか、クソメガネじみた迫力が……妙ですわね……」
などと戸惑いの声を出すミーアを尻目に、試験の準備は進んでいき……。
今回も無事に、試験を乗り切り、ぐったりするミーアとベルなのであった。
こうして、無事に夏休みを迎えることができると思われたのだが……。
そこで新たな問題が起きた。それは……。