第六十九話 キースウッド、心強い味方を得る!
「今日は、スープがいいかな」
人気のない夜の調理場に、一人の女性の姿があった。
ラフィーナのメイド、モニカである。
風鴉を離れて、ラフィーナのメイドとなって以来、聖女の夜食を作ることは彼女の大切な仕事となっていた。
ラフィーナの仕事は激務だ。
生徒会長をミーアに譲ったラフィーナであったが、依然として多忙だった。
ヴェールガの聖女の仕事は、儀式を執り行うことだけにあらず。時に学生の前で、神聖典の解き明かしをし、時に他国の重鎮と密談を行う。
先年のサンクランドと騎馬王国との緊張関係の緩和をしたこともその一環だが、大陸の平和と安定を維持するために、彼女の肩には重たい責任が常に圧し掛かる。
さらには、蛇のこともある。
その精神的重圧は、想像を絶するものだった。
そんなラフィーナだから、忙しくて食事をとれないことがある。その時に、夜食を用意するのが、モニカの仕事だった。
だが……、無論、何でもよいというわけではない。体によく、それでいて、美味しいものを。そうして、少しでも心と体を癒してほしい、というのが彼女の願いなのだ。
手早く野菜を切り、じっくりコトコト煮込むことしばし……良い匂いがしてきたところで……不意に、人の気配を感じる。
「誰っ!?」
鋭い声、と同時に、モニカは近くにあった野菜用のナイフを手に取っていた。逆手に持ち、いつでも対応できるよう、突如、出現した謎の気配に注意を向ける。
喉が渇いたから水を飲みに来た生徒……などと言う可能性も考えないではなかったが、気配を半ば消しているのを怪しく感じたのだ。が……。
「申し訳ない。脅かすつもりはなかったんだけどね」
「あなたは……キースウッド殿」
苦笑を浮かべつつ現れたのは、シオン・ソール・サンクランドの無二の忠臣、キースウッドだった。どうやら、彼のほうでも警戒していたらしい。
「このような時間に、食堂に来るとは……なにかありましたか?」
「いや、それはこちらのセリフですよ……モニカ嬢」
っと、キースウッドの目が、火にかけられた鍋に釘付けになる。
「モニカ嬢、それは?」
「……お野菜のスープですが」
「野菜の、スープ……!?」
ずががーん! っと衝撃を受けているキースウッドを見て、モニカは首を傾げる。
そんなに驚くようなことだろうか? と。
「こんなことを言うのは心苦しいのだが……もしよければ、一口そのスープをいただけないでしょうか?」
「……えっ……と? お腹が減ってるの?」
想定外のことを言われ、思わず素になってしまうモニカである。まぁ、夜中に食堂に来ている時点で、そうかな、とは思っていたが……。
「ああ、いや、そういうことじゃないんですが。なんといえばいいか……」
珍しく、慌てた様子のキースウッドに苦笑いを浮かべ、
「では、ラフィーナさまに、お持ちする前の毒見ということで」
モニカは、鍋からカップに、スープを移す。
ホカホカと湯気を立てるそれを、キースウッドは恐る恐るすすり……、
「す、すごい……! すごく、まともな味だ!」
「ええと……今、喧嘩を売られてる?」
またしても、素が出てしまうモニカである。
「ああ、失礼しました。そういうことではなく、とても美味しかったので、少し驚いてしまったというか……」
っと、ここでキースウッドは、やおら真剣な顔になり……。
「いや、この際だから、素直にお願いするのがいいでしょう。モニカ嬢、折り入ってお話ししたいことがあります。この後、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
大真面目な顔でそんなことを言うキースウッドに、モニカは神妙な顔で見つめ返し……。
「もしかして、口説こうとしてますか?」
「いえ、そういうことでもなくって……」
などと、大慌てで否定するキースウッド。
まるで、唐突に死地に現れた援軍に縋るような必死さに、モニカは思わず吹き出して。
「冗談ですよ、キースウッド殿。でも、ラフィーナさまの従者の中には、殿方に慣れていない方が大勢います。そのような方たちを誤解させるようなことは、言わないほうが賢明かと」
「なっ、なるほど……。それは確かに」
生真面目な顔で頷くキースウッド。それを微笑ましく思いつつ、モニカはスープに目をやった。
「そうですね。ラフィーナさまにスープを持って行った後でしたら、少し時間が取れますから、しばし、ここで待っていていただけますか?」
モニカの問いかけに、一も二もなく頷く、キースウッドだった。
さて……。
ラフィーナの部屋を辞したモニカは「いったい何事だろう?」などと首を傾げつつ、調理場に戻ってきた。
律儀に待っていたキースウッドは、さながら、救いの女神を見つめてくるような様子で、待っていた。
事情を聞いたモニカは、苦笑いを浮かべつつも……。
――ラフィーナさまが発起人ならば、失敗は許されない。それに、成功させてラフィーナさまも楽しむことができるようにしてあげるべきね。
少しだけ、気合を入れる。
「特別初等部の子どもたちが一緒だと人数が多いですね。グループに分けて一グループに一人、しっかりと教えられる人を付けてあげるのがいいんじゃないでしょうか?」
「なるほど……各個撃破、ということですか」
眉間に皺を寄せ、うむむ、っと唸るキースウッドに……。
「……キースウッド殿、言葉選びに気を遣う余裕を失ってますよ」
ものすごぅく冷静にツッコミを入れるモニカである。それから、ほんの少し首を傾げて……。
「もしかすると、キースウッド殿は、権謀術数の類は、あまり得意ではないのでは?」
「ははは、いずれはできればと思っているんですが……」
「恥じることではありません。サンクランドの騎士は、正々堂々、正義の刃にて敵を討つことを、一番に考えるべきでしょう。けれど……」
それから、モニカは静かに考え込んだ。
この後、キースウッドは知ることとなる。
風鴉の手練手管。相手の心を巧みに操る、諜報戦の神髄を。
諜報戦を制すもの、料理を制す。