第六十七話 ダレカの誤算
バルバラは、サンテリに引き立てられて、その場から去って行った。
――ぐぬぬ……最後にとんでもない情報を置いて行ってくれましたわね……。
それは、新たなる蛇の情報……。その蛇が、ヤナたちに所縁の民族、ヴァイサリアンであるということ。
バルバラのことが片付いた瞬間に現れた大きな問題を前に、頭がモクモクしそうになるミーアであったが……。
――いえ、違いますわね。今は少なくとも一つの問題が片付いたことを喜ぶべきですわ。そして、目の前の問題をきちんと解決させることこそが肝要。新しいものは、また改めて考えれば良いですわ。
明日のことは明日の自分に任せよう! と割り切って、ミーアは改めて現状を整理する。
とりあえず、バルバラのことはこれで問題ないだろう。今後のことは、ラフィーナの沙汰を待つことになるが、恐らく、それほど酷いことにはならないだろう。
――優しい獅子になったラフィーナさまであれば、そんなに酷い判断はしないと思いますわ。あのベルが許されてるぐらいですし、大丈夫に違いありませんわ。あとは……。
そうしてミーアが視線を向ける先、一人残ったユリウスの姿があった。彼には、まだ、するべきことがあるのだ。
ユリウスは、ゆっくりと歩いて子どもたちの前に出る。そうして……。
「本当に、申し訳なかった」
静かに頭を下げた。それから、彼は語りだした。
彼自身の罪を……。
先ほどの女性が自分の生き別れの母親であること。
彼女が罪を犯し、このセントノエルに捕らえられていたということ。
母と会うために、自分が銀の大皿を盗んだということ。
一切の言い訳もなく、ただ淡々と事実を告げていくユリウス。そして、
「私は、君たちに嫌疑がかかった時、疑いを晴らすことができたのに、それをしなかった。その結果、君たちの身を危険に晒すことになった。これは言い訳のしようもなく、私の罪だ。本当に申し訳なかった」
そのユリウスの言葉に、子どもたちは呆気にとられた様子だった。
それも仕方のないことかもしれない。なにしろ、いろいろなことがありすぎたのだ。
事情を理解するだけでも、一苦労だろう。
ミーアにとって誤算だったのは、ヤナのことだった。
彼女もまた、黙ってユリウスのことを見つめるばかりになっていた。
――ああ、これは……予想外ですわ。
ミーアは、ぐむっと唸った。
先日の大浴場で、きちんとヤナに言い含めていたつもりになっていたが……。
――新たな蛇がヴァイサリアンの関係者だっていう話の影響力が大きすぎたみたいですわね。
自分たちと同じ、額に目の刺青を持った男が暗躍している。その情報は、ヤナにとって少なからずショッキングなものだったのだろう。
――こうなれば、ここはなにか、わたくしが……。
キリリと凛々しい顔で、一歩踏み出そうとしたミーアであったが……、すぐに立ち止まり、頭からボフンッと煙を出す。
――だ、ダメですわ! なにも思い浮かびませんわ!
バルバラの話をまとめるのに、すでに甘い物を使い果たしてしまったミーアは、菓子欠状態になってしまったのだ。
そうして生まれた沈黙、どのように流れるか、全く読めない状況の中で、声を上げたのは……。
「でも……ユリウス先生は、お母さんに会うためにやったんでしょ?」
ヤナの弟、年少組のキリルだった。
お兄さん、お姉さんたちがなにも言えずにいる中、キリルは、一生懸命に言葉を紡いでいく。
「ボクは……、ボクだったら、もしも、お母さんに会えるなら同じことやっちゃうと思う。それに、お姉ちゃんとはなればなれになっちゃって……それでもしも、もう一回、会えるんだって言われたら、わるいことだって、やっちゃうと思う」
「キリル……」
思わぬタイミングで口を開いた弟を、ヤナはビックリした顔で見つめていた。
「だから……ユリウス先生は、わるくないと思う」
その声は、尻すぼみに消えて行って……。けれど、確かに、子どもたちの心には届いたらしかった。
「うん……。俺もユリウス先生は悪くないと思う」
「私も……」
カロンが口火を切り、他の生徒たちが後に続く。
ユリウスは、子どもたちの反応を見て目を丸くしていた。何かを言おうと口を開くも、そこから言葉が紡がれることなく……。ただただ、黙って、彼らの言葉を受け止めていた。
一方で、ミーアは、自分が間違っていたことを悟った。
許すの許さないの……そういうことを言う必要はなかった。ヤナを誘導する必要など、なかったのだ。
この子たちは、きちんとユリウスの気持ちがわかる。だって、彼の抱えた母親を慕う気持ちは、この子たちの中にもあることだから。
年長の男の子たちは意地を張るかもしれないけれど、キリルは、その気持ちを偽らなかった。お母さんに会う方法があるならば、なんだってやる。もう一度、会えるなら……と。
――うふふ、ヤナに気を使って、お姉ちゃんにも、と付け足すところが、可愛いですわ。
幼いキリルの気遣いに、ちょっぴり母性をくすぐられる、ミーア(25)お姉さんである。
そうして、子どもたちが口々に声をかける中、満を持して口を開いたのは……。
「あたしは……、まだ、ユリウス先生に教わりたい」
クラスの長である、ヤナだった。
その洞察は、非常に鋭かった。ヤナは、仮にユリウスが許されたとしても、彼がこのままセントノエルに留まることは許されないと察していた。
そして、その話が出る前に先手を打ったのだ。
――やっぱり、あの子、とっても鋭いですわ……。
ミーアは思わず瞠目し、そのやり取りを見守ることにする。
「あたしは……あたしたちの気持ちをきちんと理解してくれる、ユリウス先生がいい。きちんとあたしたちの話を聞いてくれる、自分に悪いことがあったらちゃんと謝ってくれる、ユリウス先生がいい……」
それから、彼女はラフィーナのほうに向かって頭を下げた。
「ラフィーナさま、ユリウス先生を、特別初等部の先生から変えないでください」
「うーん、そうね……」
と、そこで、ラフィーナは難しい顔をした。
――あら、妙ですわね。てっきり、すぐに了承の返事をするかと思いましたけど……。
ミーアは首を傾げる。が、考えてみれば、それも当たり前かもしれない。彼は彼で、盗みを働いたのだ。情状酌量の余地はあるとはいえ、このまま、というわけにはいかないはずで……。
しばし考えていたラフィーナだが、その顔がパァッと輝いた。
「あっ、そうだわ。それなら、こういうのはどうかしら?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、ラフィーナが言った。
「このまま元通り、というのもなかなか難しいと思うの。だからね……」
にっこり上機嫌な笑みを浮かべると、ラフィーナは……。
「子どもたちと一緒にお料理会を開くというのはどうかしら?」
恐ろしいことを……言い出した!
「…………はぇ?」
流れ矢を受けて、思わず出たその声が、誰のものであったのかは定かではなかった。
今週、来週は軽い遊び回になるかな、と思います。たぶん。