第六十五話 帝国の叡智の裁き(表…………面張力)
「それでも……僕は……母さまと、再びお会いできて、とても嬉しい」
「ああ……これは、なんて……」
感動的な親子の再会に、ミーアは思わず、瞳をウルウルさせていた。
――ああ、よかったですわ。これは実に素晴らしい。
うんうん、っと満足げに頷いてから、ふと、ミーアはパティのほうを見る。
パティはジッと、二人の再会を見つめていた。
――うふふ、パティもこれなら納得してくれるんじゃないかしら? 見事なハッピーエンドですし……。
などと思っていたミーアであるのだが……その敏感な嗅覚が違和感を嗅ぎ取る。見つめているパティの視線……そこに、かすかに心配そうな色を見つける。
――はて? なにか、心配することがあるかしら……?
辺りを窺うと、そのそばにいたシュトリナも、なにやら、不安そうな顔でバルバラのほうを見ている。
パティならばともかく、シュトリナまで、となると、さすがにミーアも不安になってくる。
ミーア、しばしの黙考。その後、一つの答えに至る。
――ああ、そうですわ。わたくしとしたことが、これは少々詰めが甘かったですわね。きっちりと確認しておく作業を失念しておりましたわ。
それは、ミーア自身もよくやらかすことなのだが……。「これって、結局、どういうこと?」 とわからなくなってしまうことは往々にして起こり得ることだ。
目の前で起きていることの意味を、きちんとその場で確認しておかなければ、後々で問題になってしまうことは多い。互いの認識というのはしばしばズレるもの。
相手がミーアとは違うものを状況から読み取っている可能性だってある。
ゆえに……。
――ここは、あえて、ユリウスさんが生きていた、というのがどういうことなのか、しっかりと言葉にして、バルバラさんにわからせおく必要がありますわ。
ミーアは、静かに頷いてから、キリリッとしかつめらしい顔をした。
「バルバラさん、あなたは蛇から解放された。あなたは、すでに蛇ではない」
そう、まずはそれを確認しておかなければならない。
バルバラはすでに、蛇になる理由がなくなっている。蛇として活動する理由はどこにもないのだ。
だからこそ、ミーアは言いたい! 心から、訴えたいのだ。
「もう、蛇じゃないんだから、大人しくしてましょうね……」
と。
そのことを、きっちりとわかっておいてもらわなければならないのだ。
「あなたは、生き方を変えなければなりませんわ」
これも、あえて口に出して、確認しておく。
あなたは、もう蛇ではありませんね? では、これからは、蛇として生きるんじゃなくって、生き方を変えなきゃダメですよね? と……バルバラにきっちりわからせるのだ。
さらに、抜け目なく言っておく!
「バルバラさん、あなたは、ユリウスさんと暮らしなさい」
これにより、バルバラはユリウスの顔を見るたびに、自分はもう蛇ではないことを、嫌でも確認することになるのである。
さらにさらに! ミーアの配慮は続く。
――人は暇だと、ろくなことを考えないものですわ。生真面目なわたくしですら、授業中に、グッとくる、アベル宛の恋文の文面を完成させよう、などと益体もないことを試してしまったわけですし。
ちなみにバレずには済んだものの、後で文面を読み返し……もしも、これ教師に見つかってたら……などと青くなったミーアである。
――ともかく、なにもやらせずにおくのは危険ですわ。バルバラさんが悪だくみをする隙がないように、なにか、役割を与えるべきですわね。
そうして、ミーアは言ったのだ。
「ユリウスさんの手伝いを苦役としなさい」
すなわち、残された人生を、ユリウスの監督のもとで生きよ! と。
――ユリウスさんは、一時期、悪に染まったとはいえ、信頼できる方。あの眼鏡がその証明ですわ。
ミーアの眼鏡に対する信頼は揺らぐことはない。
他に、なにか確認し忘れていることはないか? と考えていると、不意にバルバラが口を開いた。
「私を、許そうというのですか?」
――許す……はて?
ミーアは首を傾げて……それから、ハッとした顔でラフィーナのほうを見た。
――これは……もしや、刑罰が軽すぎたかしら? 確かにユリウスさんの手伝い、子どもの世話というのは、普通の囚人に与えられる仕事としては軽いものかもしれませんし……。バルバラさんはリーナさんの世話をしていたのですから、慣れてるし、ちょうどいいと思ったのですけど……。
それに、離れ離れになっていた子どもと一緒に生活してもいいよ、というのも、少々、甘い裁きだろう。以前、ティオーナ監禁事件の際、ラフィーナから「優しいわね!」などと笑顔で言われた時のことを思い出し、ミーア、震える。
さらに、バルバラに一番恨みがあるのは、なんといっても、シュトリナである。
この場で、ミーアが勝手に「許す!」などと、言えるはずもない。
試しに、そちらを見てみると……なんと、シュトリナはバルバラのほうをジッと見つめて震えているではないか!
――ひぃい、い、怒りに震えておりますのね。これは、危険ですわ!
ということで、ミーアは自身の言葉に軌道修正をかけることにする。すなわち、
「許すなどと……。あり得ないことですわ!」
許すなど、とんでもない! きちんと罰を受けてもらいますよ! と強調しておく。
「あなたに恨みを持つ者が復讐し、天で神があなたを裁くでしょう。あなたの罪は消えない」
仮に、自分が与える罰が軽くっても、ちゃんと罰が下るよ。大丈夫よ? と予防線を張りつつ……。
「その時までには、わずかなりとも時間があるでしょう」
厳しく言いすぎると、今度はバルバラが自棄になって暴走するかもしれない、と思い、できるだけ優しい顔をして、バランスを取っておく。すなわち、
「神様とか、復讐者とかに弁解できるように、良いことする時間はあるよね?」と言い足しておくのだ。「自分はこんないいことしてるから、許してね!」と言えるよう、きちんと行動しておきなさいね? というのだ。
そうしておいて……、
「あなたは、すでに蛇ではない!」
もう一度、確認する。
繰り返し確認することは、とても大切なことなのだ。そのうえで、
「罪人として裁きを受け入れ、ユリウスさんの母として、彼の良き行いを手伝うこと」
罪人として殊勝に生きなさい。でも、そう生きることは、亡くしたはずの息子と生きられる、とても良い時間でもありますよぅ! と。
バルバラを納得させるために言って締めに、
「それが、これからあなたがなすべきことですわ!」
断言するのがとても大事だ。
人というのは、断言されると「あれ? そうかも?」と思ってしまうもの。
流れが来たら、その流れに流されていくものなのだ。
水の流れというものを、海月ミーアはよく知っているのだ。
かくてミーアは、うっかりさんな孫娘ベルに見せつける。
各方面に対する気遣いの極致――将来的に自身が危険に接する面積をできるだけ小さくしようとする……そのために手を尽くす、いわば表面張力的な戦術を。
水の心というものを、海月ミーアをよく知っているのだ。
ミーアの言葉を黙って聞いていたバルバラは……返事をしなかった。けれど、その顔から、険が消えているのを見て、ミーアはホッと安堵して……、安堵しかけて……。
「私を……セントノエル島に渡らせたのは、巫女姫とは違う流れの蛇。額に、瞳の刺青を入れた男」
「……はぇ?」
突如、出現した新たな波に、あっという間に呑まれていくのだった。




