第六十話 マカロン探偵ミーアのミルクな推理
ミーアは、五つ目のマカロンを口に放り込む。
アンヌに怒られないよう、そのペースは緩やかなものだった。
ミーアだって少しは成長するのだ。口の中で、じっくりと、舌の上でじんわり味わえば、甘味というのは長持ちするもの。だから、少ないお菓子でできるだけ甘味を長く楽しむことを、最近のミーアはモットーとしているのだ。
それはともかく、ユリウスの話は続く。
「この島に来る少し前のことです。一人の男が接触を図ってきました。彼は、私に言いました。お前の母親は生きている。セントノエル島に幽閉されている……、と」
そんなユリウスの独白を聞きつつ、ミーアは口の中に、微かな不快を覚えた。
――口の中の水分がマカロンに持って行かれておりますわね。下手に声を発すると、咳き込んでしまいそうですわ……。
舌の上でマカロンを転がして、甘みを楽しんでいたツケが、ついに回ってきてしまったのだ!
っと、そんなミーアの異変に気付いていたのか、タイミングよく、アンヌがコップを置いてくれた。
なみなみと注がれた白い液体、それは、甘い香りを放つホットミルクだった。
マカロンには牛乳。味と栄養とを考えた、アンヌの見事なチョイスである。
「ありがとう」
瞳で語りかけつつ、ミーアはコップに口をつけて思う。
美味しい。風味からすると、今朝絞ったものだろう。新鮮そのもののミルクで口の中を満たしつつ……けれど、ついつい思い出してしまうのは贅沢なことで……。
「騎馬王国の……」
うっかり口に出しかけて、慌てて言葉を呑み込み……そうして、改めて思う。
――騎馬王国の、あの美味しいミルクが懐かしいですわね。また、心行くまで飲んでみたいものですわね。
なぁんて、満足していると……。
「騎馬王国……っ! そうか。くそ、気が付かなかった。ユリウス殿、もしかすると、あなたに近づいた男というのは、騎馬王国風の格好をしてはいなかったか?」
鋭く舌打ちしつつ、シオンが声を上げる。かつて弟を罠にはめた存在、あの男がまた関与しているのか、と、勢い込んで尋ねると、
「ええ。仰るとおり、騎馬王国の訛りを持つ男でした……。彼の言うことは、胡散臭いと思いましたし、恐らく彼が私を利用しようとしていることはわかっていました。けれど……私は、事情を聞かずにはいられませんでした」
結果、彼が知ったのはバルバラの悪行。王族、大貴族への非礼。
「男は言いました。これだけのことをしてしまったら、母は確実に処刑されるだろう、と。そして私ならば、母を助けることができる。その手助けをしてやっても良い、と……」
それは、まさしく蛇の囁きだった。相手の欲求を巧みに読み取り、都合の良いように誘導する、蛇の所業だった。
――なるほど。蛇は、すでにバルバラさんの息子が生きていることを知っていた。けれど、それを話してしまうと彼女は、息子を取り返すことだけに生きる者になる。蛇ではなくなってしまう。だからこそ、情報を隠した、ということですわね。理屈は通りそうですけれど……。
それでもなお、ミーアの頭には微妙に引っかかるものがあった。やはり、パティの存在が、どうしても気になるのだ。
「酷い……」
ユリウスの話を聞いて、眉をしかめるティオーナと、その傍らでふんふん、っと怒ったように鼻を鳴らすリオラ。他の生徒会メンバーも、みな不快げな顔をしている。
ミルクで口の中をスッキリさせたミーアも、周りをチラリと確認して不快げな顔をしておく。
和を乱すことを嫌うミーアは、周りの空気に合わせる術を持っているのだ。
「それにしても、さすがだな。ミーア。よく、その男が例の男だと気付いたな」
シオンの言に、当然とばかりに頷いたのはミーア……ではなく、その隣に佇んでいたラフィーナだった。
「ミーアさんなら、造作もないことよ。ユリウスさんが、セントノエルに来るまでどこにいたのか、そして、サンクランドを出た例の男が、どこに向かったのか。それに、このやり方……。いくつかの推理を重ねれば、おのずと答えは見えてくる」
そうして、ラフィーナは友人の叡智を誇らしげに語る。
「ミーアさんならば、このぐらいの推理、簡単に組み立ててしまうわよ」
そのラフィーナの言葉を、否定する者は一人もいない。
「ミーアお祖母さま、すごい……」
ベルまでが、瞳をキラッキラさせている!
対するミーアはすまし顔で、
「いくらなんでも、それは……買いかぶりが過ぎるというものですわ。おほほ」
などと笑って誤魔化しつつ、
「ええと、それで、あなたはバルバラさんを助けるために、この島に来たんですわね?」
問いかけに、けれど、ユリウスは疲れた顔で首を振る。
「母がしたことは許されないことですから、最初から助け出そうなどとは思いませんでした。あの人は、処刑されて当然のことをした、と私は思っておりました。だから……私が求めたのは、もっと些細なことでした」
そうして、ユリウスは笑った。
「未練がましい男と思われても仕方のないことですが……ただ、一目会いたいと思った……。私の望みは、それだけだったのです」
「ただ、会いたい……」
その言葉に頷いたのは、ベルだった。
かつて親を失い、育ての親であるアンヌとエリス、忠臣ルードヴィッヒとディオンを見送ったベルは、その渇望を知っている人だ。
普段の能天気さは、鳴りを潜め、とても真剣な顔で、ベルは聞いていた。
「私にとって、子どもたちに教えることは、やりがいのあることでした。世界を幸せに変える、その手助けをしているのだという手応えが確かにありました。私の周りにいた幾人かの方からの信用も、私にとっては貴重なものでした。その想いに応えたいとも思っていました。けれど……幼き日の執着とは……母への愛慕とは、恐ろしいものです。死んだと思っていた母に会える。否、今を逃せば、本当に二度と会えなくなってしまう。そう思ったら、止まることができなかった」
これまでの話しぶりを聞いていて、ミーアは思った。
このユリウスという男は、理性的な男だ、と。
彼のかける眼鏡が、そのイメージに多少影響している感がなくもなかったが、ともかく、ミーアはそう思ったのだ。
そんな理性的で、自分を治める術をきちんと心得ている、そんな男ですら、蛇は操ってしまう。彼の、唯一捨てきれぬ執着。母への想いをえぐり、利用したのだ。
男は、いくつになっても母親に憧れる……などと言う次元の話ではなかった。
ユリウスの目の前に示されたそれは、母と会話できる、文字通り最後のチャンスだったのだ。
「私は、母の復讐のため、子爵家を潰し、父を惨めな死へと追いやった。これにより、私の復讐は叶いましたが、逆に思ったのです。私は、母の復讐を奪ってしまったのかもしれない、と。私が子爵家を潰してしまったから、母は復讐の相手を失い、暴走した。今なお、その怒りに囚われて、死の瞬間まで、解放されることはないのかもしれない」
そこでユリウスはラフィーナを……、次いでミーアを見た。
「それは、あまりにも悲しいことではありませんか? 母が処刑されるのは仕方なきこと。だがせめて……今なおその心が復讐に囚われたままであったなら、解放してあげたかった。ただ、それだけが、私の望みなのです」
眼鏡の奥、いつも穏やかな光を湛えていた瞳が、今は少しだけ鋭さを増していた。
「ラフィーナさま、ミーア姫殿下、お人柄を見込んでお願いします。母と話させてください。その後、いかようにも処罰を受けますから、どうか……」
頭を下げるユリウスを眺めながら、ミーアは思っていた。
――ふぅむ……。まぁ、蛇にありがちな話だと思いますけど……これは上手くするとバルバラさんを無害化させられるんじゃないかしら……。それに……。
ミーアが思い出したのは、パティのことだった。
――あの時、あの子はバルバラさんを可哀想だと言っておりましたわ。もしも、わたくしたちがバルバラさんを助けたら、案外すんなりと蛇からの転向を促すことができるのではないかしら?
いずれにせよ、その再会をパティに見せてあげようと思うミーアであったが……。
本日、ワクチン二回目です。コメント返しできるかしら……などとドキドキしつつ。
また、一週間前に次の週の原稿を書いているため、今週は大丈夫なのですが、副作用が酷いと来週の投稿が急きょお休みになるかもしれません。
ご了承いただけますと幸いです。