第五十五話 帝国の叡智ミーアのイケナイ妄想
発言を終えて、ミーアは、そっと眼鏡を外す。
ふぅ、っと一息吐き一礼。それから優雅に踵を返し席に着いた。
入れ違いにラフィーナが壇上に立ち、その後のことをまとめてくれている。
「今、ミーアさんが言ったとおり、私たち生徒会は、特別初等部の子どもたちを擁護する。彼らは盗難に関わっていないと完全に信じているけど、もしも仮に、悪に手を染めていたとしても……私たちは彼らを許します。もちろん、今後、そういったことには関わらないよう教え、また、関わらなくてもいいように状況を整えて、ね」
心地よい疲れと、胸を満たす達成感に浸りながら、ミーアはボンヤーリと、ラフィーナの話を聞いていた。
「お疲れさまです。ミーアさま」
そっと、傍らにアンヌが近付いてきて、コップを渡してくれた。冷たいヴェールガアップルジュース、爽やかな酸味と心地よい甘味が口の中に広がり、ミーアは、ほふーうっとため息を吐く。
「ありがとう、アンヌ。たっぷり話したから、喉が渇いてましたの。さすが、気が利きますわね」
「お褒めいただき、ありがとうございます。それと……あの、お見事な演説でした。ミーアさま。私、感動してしまいました」
「あら、ありがとう。他のみんなも、そうならばよろしいのですけれど……」
そう言って、ミーアは改めて、会場へと視線を移した。
雰囲気は、ミーアの見たところ悪くはなかった。どうやら彼女の言葉は好意的に受け入れられているようだった。
次に、特別初等部の子どもたちのほうを見ると……なんと、ヤナが泣いていた。
おそらく、気を張っていたのだろう。幼い弟と二人きりで生きてきた彼女にとって、今回の裁定がどのような意味を持つのかは想像に難くない。そして、その緊張の糸が切れてしまったのだろう。
いつもは強気な目をしているヤナだが、その瞳からは、ぽろぽろ、ぽろぽろと涙が流れ落ち、それを懸命に両手で拭っていた。
そして、そんな姉を弟キリルが心配そうに見つめている。
……それが、会場の雰囲気を、ミーアにとって有利なものにしていた。
身綺麗にすれば、割と可愛い少女であるヤナ。そして、その弟で、こちらも可愛らしい顔立ちをしているキリル。
後ろ盾を持たない中、懸命に頑張ってきた姉と、その姉を頑張って励まそうとしている健気な弟に……同情と庇護欲を掻き立てられない者はいない。
さらに、釣られるように他の子どもたちも泣き出していた。けれど、彼らは、決して声を出さなかった。その泣き声を、唇を噛みしめて堪えていた。
それは踏みつけにされた弱き者たちの姿だった。
泣き声を上げ、少しでも煩わしいと思われれば殴られる。だから目立たないように、できるだけ、恐ろしいモノに見つからないように、と身を縮こまらせる。
過酷な環境で身についてしまった習性、そんな彼らの姿は、貧民街に足を踏み入れたことがないであろう貴族の子どもたちの目には、とても哀れに映った。
薄汚れた塊でしかなかったものが、はじめて、自分たちと同じ人として、自分より弱く小さい子どもとして……彼らの目に映った。
ゆえに、もはや彼らを責めようという空気は霧散してしまっていた。
一方でミーアもまた、子どもたちの涙を見て思うところがあった。
感慨深げに唸ってから、ミーアは……、
――ふぅむ……わたくしの話に感動しましたのね。人を泣かす力があるというのは、言葉に力がある証拠……。
などと満足し……、さらに、
――わたくし、やっぱり詩歌の才能があるのではないかしら?
ちょっぴり調子に乗った!
――大勢の者たちを感動させる物語を書く、あるいは、詩を書く才能……。自分では気付きませんでしたけれど……そうですわね。今度、エリスに協力していただいて……。
などと、うっかりポエマーへの道を開いてしまいそうなミーアである。
――ともあれ、このまま収まってくれれば、御の字ですけれど……。そのためには、やっぱり犯人が名乗りでないとダメですわね。
ミーアは、子どもたちが過去に罪を犯したとしても、それを仕方のないこととした。それは、彼らが住む地域の領主の責任によるところも多いと言及した。セントノエルに来たばかりの彼らの精神も、おそらくはそれまでの経験が影響を及ぼしているのだと訴えた。
……だが、それはあくまでもすでに犯した罪に対してのこと。その罪を認め、名乗り出ることというのは、また別の次元の話だった。
全校集会が終わった後、犯人が名乗り出なかった場合には……やはり、非難の火は消えないだろう。
「下賤なる民の子は、ミーア姫殿下のありがたいお心を受けてもなお、罪を認めようとしない!」などと、一部の者たちは言い出しかねないからだ。
――もしも、子どもたちが犯人の場合には、名乗り出て、銀の祭具を差し出してくれないといけませんけれど……。パティが犯人の場合には、なにも言ってこなさそうですわね。ほかの子が犯人の場合には、きちんと名乗り出てくれそうですけど……。まぁ、犯人が名乗り出ても、彼らの前に名前を明かすということはしなくてよさそうですし。ただ、犯人は見つかったとだけ言えば、その後はみんなが勝手に想像してくれるかもしれませんわね。
そこで、ミーアは改めて安堵の息を吐いた。
――なんにしても、わたくしがすべきことは終わりましたわね。はぁ、今日は疲れましたわ。いっぱい頭を使いましたし。
そうして、ミーアは……なんだか自分で自分を褒めてあげたい気分になってきた。
――これは、ご褒美に、とびきりあまぁいケーキを用意して、それをお腹いっぱい食べてしまってもいいのではないかしら? 今までは甘いものはできるだけ我慢していましたけれど……こう、クリームいっぱいの美味しいやつをお腹いっぱい、食べてしまっても構わないのではないかしら? 今日はとっても頑張りましたし……自分に優しくしてもいいのではないかしら?
などと、イケナイ妄想にふけっていた時だった。
壇上から降りたラフィーナに、静かにモニカが歩み寄った。しばし会話をしてから、ラフィーナはミーアに歩み寄り……。
「ミーアさん……。犯人が動いたわ」
「…………はぇ?」
ミーアの「ご褒美に甘い物をたくさん食べる妄想」は、こうして、泡のように弾けて消えるのだった。
今週はスピーチを頑張ったミーアの出番がやや少なめかも……。