第五十話 火の粉の内に……
アベルとのデートで心の栄養をたっぷり摂ったミーアは、学園に戻ってきた。
大切に気遣ってくれるようなアベルの言葉は、まるで、甘いあまーいお砂糖のごとく、ミーアの心でじんわり溶けて、ぽっぽとその体を温かくする。
「うふふ……久しぶりのデート、最高でしたわ。それに、これからのヒントもいただけましたし、さすがはアベルですわ」
などとホクホクしていたミーアであったが……、廊下で出くわした光景に、思わず目を疑った。
例のクレメンス少年たちと、ヤナ、キリル、パティが並んで話していたのだ。
しかも、ただ話しているのではない。クレメンスと、その取り巻きと思しき二人の男子の前に立たされるようにして、ヤナたちが立ち尽くしていた。いや、先頭にいたヤナは、頭を下げさせられていた!
――あいつ、またイジメてますの!?
フンヌ、っと憤怒の息を吐きだし、歩き出したミーアであったが……会話が聞こえそうになったところで、思わず立ち止まり……慌てて、近場の空き教室に入る。
そうして、耳を済ませれば……。
「あの……ありがとう、ございます。助けてもらって……」
ヤナの、困惑したような声。対するクレメンスの声も、微妙に歯切れが悪く……。
「いや、僕は、別に……」
などと、チラリとヤナのほうを見て……その前髪の下に覗く顔を見て、微妙に気まずそうに目を逸らした。
こっそり覗き見しつつ、ミーアは小首を傾げる。
――はて、これは……?
「というか……だ。お前たちがきちんとしていないと、ミーア姫殿下にご迷惑がかかるんだぞ。もっとしゃんとしろ。お前たちが受けた非難は、ミーア姫殿下への非難になるんだ。だから、不当な評価を受けた時にはきちんと抗議しろ。それでも、なにか言ってくるやつがいれば、それは、我ら帝国貴族への宣戦布告だ。僕たちだって、黙ってはいない」
――あら……もしかすると、クレメンス君は、ヤナたちを助けたということかしら?
会話を聞いていると、どうもそのようである。
要するに「銀の祭具を盗みやがって」とヤナたちをイジメた生徒から、クレメンスらが守ってやったのだ。
――というか、彼が言ってるのは、きちんと抗議をして、ダメそうなら自分たちが助けてやる、というのを極めて婉曲的に言っているのかしら……?
脳内で、クレメンス語を解読したミーアは、ふっと笑みを浮かべ、シュシュっとその場を後にする。
――ふぅむ、弱き民をかばおうとするあの姿勢、あれは……ラフィーナさまには良いアピールになりますわね。
うんうん、良いことだ、と頷いてから、ミーアはふと顔をしかめる。
――けれど……逆に、危険性もはらんでおりますわね。
なにしろ、ミーアの見たところ、パティへの疑いは濃厚だ。もしも、これで、パティが犯人でしたということが判明してしまったら、特別初等部をかばっている面々は立場を失うことになる。
恥をかかせやがって、と、その怒りは燃え上がるだろう。
――それに、ラフィーナさまや生徒会だって、非難を浴びることになりますわ。そして、下手をすると、怒りがわたくしへと向くこともあるはず……。
今でこそ、ずいぶん柔らかくなってきたラフィーナであるが、もしも、彼女が怒ったりしたら、やっぱり怖いに違いない。
獅子は、一見すると可愛く見えるもの。けれど、その口の中には、鋭い牙を持っている。
――これは……やはり、早いうちに手を打つ必要がございますわね。
先手先手の行動がいかに大切か、ミーアは身に染みてよくわかっている。
革命を起こさせないためには、その火が火の粉レベルの時に消してしまうこと。もっと言えば、火が付く前に水をぶっかけて周りを湿らせることが大事である。
海月の化身ミーアは、水分とお友だちなのである。
――ヒントはありますわ。大丈夫、大丈夫。
自分に言い聞かせるように、ミーアは要点をまとめていく。
――まず、パティが実際にやらかしたという前提で考えるなら、バルバラさんや蛇に責任を押し付けると言うのは得策ではありませんわ。
なにしろ、ミーアが連れてきた少女が犯人なのだ。いくら特別初等部を守るためとはいえ、ラフィーナはきっと眉をひそめることだろう。シオンあたりは、さらに厳しい目を向けてくるはずだ。
――そもそも、パティ自身が蛇の教育を受けた者なわけですし、その罪を他の蛇に被せるというのは理屈が通りませんわ。いずれにせよ、罪のない人間に罪を着せることは、蛇に突っつかれる恰好の材料になりそうですわね。
貴族、王族の高慢さは、蛇に晒すべきではないウイークポイントだ。だから、ユリウスの案は使えない。
かといって、真犯人を明らかにして特別初等部の疑惑を解くことも不可能。
ならば、どうするか……。
――真犯人は明かさず、特別初等部に向いている攻撃の矛先を逸らす。さらには、仮にパティがやらかしたと明らかになっても問題ない、という状態を作り出す。それが大事ですわ。
特別初等部の者たちが犯人じゃない、と断言するのは危険だ。それで真犯人がパティだとバレてしまったら、ミーアは「自分が連れてきた子が犯人だということを隠すために、特別初等部が無実であると主張したんだ!」と責められかねない。
それはぜひ避けたい。ということで……。
「やはり……全校集会で説明する必要がございますわね!」
覚悟を決めると、ミーアはラフィーナのところへ急いだ。