第四十八話 ミーア姫、あまりのツラさに……ニヤニヤしながら耐え忍ぶ!
「うふふ、実に爽やか。風が、すごく気持ちいいですわ」
空を見上げ、ミーアは穏やかな笑みを浮かべた。青く澄み渡る空、白い雲は陽の光に淡く輝き、穏やかな温もりが地上へと降り注ぐ。
初夏の暑さに、時折そよぐ風が実になんとも心地よい。
ぱから、ぽこら、と平和な足音を立てる二頭の馬。アベルが乗るのは花陽、そして、ミーアは……なんと、荒嵐の子、銀月に乗っていた。思わず、はいよー! などと叫びそうになったミーアである。
……ちなみに、荒嵐は、ミーアの顔を見て、ものすごーくやる気のなさそうなため息を吐いていた。
「まぁ、よほど慧馬さんに走らされて、疲れておりますのね」
などと言うミーアが、最近、ちょっぴり食べ過ぎな己を省みることはなかった。大丈夫だろうか……? 夏はどんどん迫っているのだが……。
さて、銀月に初めて乗ったミーアは、その足取りに思わず笑みを浮かべた。
――あら、この子もなかなかやんちゃですわね。ふふふ、しっかりと荒嵐の血を引いていそうですわ。
品の良い花陽とは違い、力強く、溢れるような力が、その背中から伝わってきた。
――なかなか良い馬ですわ。うふふ、持って帰りたいぐらいですわね。
などと上機嫌に笑いつつ、ミーアは少し前を行くアベルを追いかける。
やがて、見えてきたのは森だ。秋には黄色く染まる森も、今は生命力に溢れる緑一色に満ち満ちていた。
木漏れ日が照らす道に馬を並べれば、自然、二人の間には穏やかな空気が流れる。
「いい天気で良かったですわ。先日までの荒れた空が嘘みたいですわね」
微笑むミーアに、アベルは、
「ん? ああ、うん。そう、だね……」
なにやら、微妙に上の空。どうも、考え事でもしていた様子だったが……それで、ミーアはちょっぴり不安になってしまう。
なにしろ、アベルは、真っ直ぐな人だ。
今までのデートでは、いつでもミーアのことを気遣ってくれていたし、こんな風にボーっとすることはなかったのに……。
――アベル、どうかしたのかしら……?
思えば、先ほどからアベルの様子がおかしい気がする。なんだか、妙に表情が硬いというか……緊張しているというか……。
――お義姉さまのことで、なにかあったのかと思いましたけれど……そういう感じでもございませんし……。いったいなにが……?
ミーアは、ジィっとアベルを見つめて……見つめて……見つけるっ!
アベルのすこぅし赤く染まった頬、真っ直ぐ前を見つめているようで、ちら、ちらっと、時折、こちらを窺う瞳の動きっ!
そうして、観察眼姫ミーアは、看破する!
――あら、アベル、もしかして、デートが照れくさいのかしら? いえ、でも、それも妙ですわ。デートならば今までに何度かしたことがございますし……。となると……。
そうして、ミーアの恋愛脳がぎゅんぎゅん唸りを上げる! 唸りを上げて……っ!
――馬に乗る王子さまと二人きりで乗馬デート……。人気のない森の中で……王子さまは緊張した雰囲気……ふむ。このシチュエーション……どこかで…………ハッ!?
やがて、ミーアは、真相にたどり着く!
――こっ、これは、エリスの恋愛小説で見たシチュエーションにそっくりですわ! っということは、も、もしや、この後……。
さらに、ミーアのひねり出した真相は……。
――結婚を申し込まれてしまうのですわねっ!?
……ちょっとした飛躍を遂げた!
さらにさらに! 飛躍した思考は空を飛び、月へと届かんばかりに上昇していく!
――だ、だから、あんなに緊張していたんですのね……。いえ、しかし、そんな急に……。こっ、困りますわ。わたくし、急に言われても……。
などと、ぐにぐに、身をよじっていたミーアは……。
「ミーア、君に伝えたいことがあるんだ……」
馬を止め、こちらを振り向いたアベルに、思わず、ぴょんこっと飛び上がった。
その動きに「なんだよぅ?」とばかりに、銀月が振り返るが……そんなこと、気にしている余裕などなく。
――あ、ああ、アベル、まさか……こっ、ここで?
緊張にかっちーんと固まるミーア。そんなミーアに、アベルは……アベルは……。
「ミーアの良いところを十個、ランキング形式で発表してみようと思う」
なんか、おかしなことを言い出した!
「…………はぇ?」
別の意味で、かっちーんっと固まったミーアに、アベルは優しい笑みを浮かべた。
「実は、ミーアが最近大変だったと聞いてね。元気もないみたいだったから、少しシオンと相談したんだ。それで、アドバイスをもらって……」
「ほう……シオンにアドバイスを……」
ミーアの脳裏に、爽やかな笑みを浮かべるシオンの顔が思い浮かんだ。
――そういえば、ティオーナさんから、エリスの原稿を回してもらったって言ってましたっけ……。そして、確かにそんな話もございましたわね。恋人の良い出しをする、みたいなシーンが……なるほど、なるほ……ど。
ぐんにょーり、と一気に脱力するミーア。その姿は、さながら、浜辺に打ち上げられた海月のごとく、実に良い感じにしんなりしてしまう。
それは、銀月が「おっ? 走りやすくなったぞ」と足取りが軽くなってしまうぐらいの、理想的な『海月乗り』の姿勢だった。
けれど……次の瞬間、ミーアは思い知ることになる。
『あっ、これ……ヤバいですわ』と。
そうなのだ、ミーアは油断していたのだ。
まさか、気になる男の子に褒められまくることが、こんなにも、気恥ずかしいことだなんてっ!
「では……発表していく。ミーアの良いところ、第十位。食べる姿が美しい」
「あら……アベル、意外にマニアックな……」
食べる姿とは……そんなところ褒められても……っと苦笑いのミーア。対して、アベルは真面目な顔で言った。
「いや、ボクは、大貴族が料理の美味しいところだけ食べて、大部分を捨てているのを見たことがある。あれは、とても醜い。料理人にも、農民にも敬意を欠く姿に見えたんだ。だけど、ミーアは残さず綺麗に食べ、その料理を心から楽しんでいた。その姿は、とても美しいと思ったんだ」
などと、大変、誠実な答えを返されてしまい、ミーアの体が強張る。
そんなところまで見られていたのか、という気恥ずかしさ。同時に……臆面もなく美しいなどと褒められたことにより……。
――はぇ?
戸惑い、そして顔がジワリ、と熱くなってくる。
けれど、そんなミーアに気付かず、アベルの言葉は続く。
「ミーアの良いところ、九位、とても努力家で、根性がある」
ごふっと……ご令嬢らしからぬ呻き声を上げるミーア。まぁ、大体ミーアの上げる声は、ご令嬢らしからぬものがほとんどなので、いつものことと言えばいつものことなのだが……それはさておき。
「勉強や乗馬に水泳。なんだかんだで頑張って、できるようにしてしまう。その姿は、尊敬に値するし、ボクも見習いたいと思っている」
そうして、真っ直ぐに見つめられて、ミーアは、けふっと咳き込む。アベルの澄んだ瞳、凛とした顔を直視できずに、ミーアは、けふけふっとさらに咳き込む。
――こっ、これは……ヤバい。ヤバいですわ……。
実際、なかなかの破壊力だった。
そしてさらに厳しいのは、アベルの言っていることが、あながち間違っていないことだった。
これが例えば、ダンスをしてると空を飛ぶとか、天馬を駆る姿が美しいとか、そんな誤解に基づいた評価であるならば……まだ耐えられる。
けれど、努力家だ、などと褒められた日には、大変である。
『この人は、本当のわたくしを見てくれている。わたくしの頑張りを見てくれてる!』
などとついつい思ってしまい、頬がますます熱くなっていく。
そして……ランキングはまだ九位なのだ! あと、まだ八個も発表に耐えなければならない。
こっ、これは、ツラい! ツラいですわ! などと頬を押さえつつ、口元がニヤニヤしてしまうミーアである。
……まぁ、それも仕方のない話。ここまで真っ直ぐ、かつ真摯な態度で褒められた経験は、一度もなかったのだから。一度たりともなかったのだから!
頭がポヤーンとしてくる中、アベルの声は続く。
「第八位、立ち向かうべき状況、引けない状況にあっては勇敢なところ。でも、これに関しては少し心配だ。できれば、あまり危険なことはしてほしくないと思うのだが……それが無理ならば、せめて、ボクを一緒に連れて行ってほしい。必ず、君のことを守るから」
「アベル……」
そうして、続いていくアベルの言葉。彼の目から見た自分自身の姿……。
アベルが、少なからず本当の自分を見てくれていたこと……。それに気付いた時……ふと、ミーアは思った。
――あら? これ……今回の問題にも使えることなんじゃないかしら? 本質を見る……。本質を……大切に……。
目の前に微かに見えた灯、それを手放さぬよう、ミーアは懸命に頭を働かせ始める。
すでにギュンギュン回っていた恋愛脳だったから、回転数を上げるのは容易なことだった。
ミーアの様子に気付いたのか、アベルは、ちょっぴり苦笑いをしつつ、言葉を止めた。
そうして、ミーアが思考の中から戻ってくるのを、ただじっと見守ってくれるのだった。
実は、今日、ワクチン一回目です。
なので数日間コメントに返信がなければ、お察しください。
副作用、怖いなぁ……。
むしろ、注射針……怖いなぁ。