第四十七話 ミーア姫、出陣! 乗馬デートに……
アベルに駆け寄ったミーア……であったが、すぐに不安になってしまう。
久しぶりに会ったアベルが……なぜか、怖いぐらいに真面目な顔をしていたためだ。
「どっ、どうしましたの? アベル、なんだか、お顔が少し怖いですわよ……?」
「え、ああ、いや、なに……。別に大したことではないんだが……」
アベルは、顔を両手でパンパンッと叩いてから、笑みを浮かべた。
「実は、君を乗馬デートに誘おうと思ってね」
「…………はぇ?」
突然のことに、ミーア、きょっとーんと首を傾げる。
「もちろん、時間があれば、なのだが……」
「うぇ、あ、もちろん、ございますわ。ええ、というか、作りますわ、時間ぐらい」
それから、ミーアはチラリとラフィーナのほうを見る。っと、ラフィーナは苦笑いしつつ、お腹のところで両手をギュッと握りしめ「がんばって!」と口の動きだけで伝えてくれた。
ミーアは、こくり、とそれに頷き……、
「それでは、準備もございますし、そうですわね。半刻……いえ、一刻後に厩舎で待ち合わせ、ということでいかがかしら?」
「わかった。楽しみにしているよ」
そうして、アベルと別れたミーアは、廊下をツカツカと歩き……。
小走りになり……。
全力疾走になる!
走りつつ、自分のドレスに鼻を近づけてクンクン……。
――汗臭くはないですけれど……念のためですわ!
ミーアは、凛とした顔で、
「アンヌ、急ぎ、湯浴みをしますわよ! それと、乗馬用の服の準備をお願いいたしますわ!」
専属メイドに指示を飛ばす。その様は、さながら戦を前に動き出す大将軍のごとく。
「かしこまりました!」
応! っと気合の入った声で答えるのは、将軍の最も信頼する軍師、アンヌであった。
そして、彼女はその信頼に完璧な形で応えてみせた。
ミーアをお湯に浸け、きゅっきゅと磨き上げ、その後、乗馬服を身に着けさせるその手際、さながら古強者のごとく……。
迅速を極めつつも、丁寧かつ繊細なその手腕に、ミーアは思わず瞠目する。
――ああ、あの、ケーキを宙に飛ばしていたアンヌは、もう、ここにはいないのですわね……。
などと感慨に浸っていたところで、アンヌは言った。
「ご準備が終わりました、ミーアさま」
「ありがとう、アンヌ。助かりましたわ」
ふぁっさ! と洗い立ての、サラサラの髪を風に躍らせつつ、ミーアは颯爽と歩き出す。
「それでは、参りますわよ、いざ、厩舎へ!」
こうして、ミーアの決戦は静かに幕を上げるのだった。
――ふむ、思えば、こうして厩舎に来るのは久しぶりな気がしますわ。
最近はすっかり忙しくって、馬に乗っている余裕もなく……馬たちともご無沙汰になっていたミーアである。
――腹いせに、くしゃみでも吹っ掛けられないといいのですけれど……。
などと警戒しつつやってきたミーアは、そこで首を傾げた。
「あら、荒嵐がいない……。いったい、誰が……?」
馬龍が卒業して以降、荒れ馬である荒嵐に乗りたがる人は、めっきり減ってしまっていた。なにしろ気分屋の荒嵐である。乗りこなすことは、大陸有数の騎手を自任する(自任する!)ミーアであっても、並大抵のことではない。
御するだけでも一苦労、楽しい乗馬など到底望むべくもない馬なのである。
ゆえに……荒嵐は、てっきり寂しい思いをしているのでは? と思っていたミーアであったのだが……。
「おや、ミーア姫。これから、遠乗りか?」
不意に声。振り向くと、そこには、荒嵐を引いて歩いてくる少女の姿が……。それは、
「あら、慧馬さん。セントノエルに来ていたんですのね。乗馬に行っておりましたの?」
騎馬王国への復帰を果たした火の一族、その族長の妹である火慧馬だった。
彼女は荒嵐の首筋を撫でながら、
「せっかくだから、聖女ラフィーナに頼んで乗らせてもらったのだ。なかなか良い馬だ。足の逞しさ、筋肉の付き方と言い、申し分ない。さすがは、ミーア姫の愛馬だな。我が愛馬、蛍雷にも負けぬ見事な馬だ。ふふふ、なかなか乗るのには苦労したが、堪能させてもらった」
賛辞の言葉に、荒嵐は、誇らしげに、ぶーふっと鼻を鳴らした。
ひくひくする鼻を見て、思わず身構えるミーアだったが……荒嵐は「なにやってんだ?」と怪訝そうな顔で見つめてくるばかり。
「ん? どうかしたのか?」
不思議そうな顔をする慧馬に「なにしてるんでしょうね?」などと、首を傾げてみせる荒嵐。実に利口そうな顔をしていやがる!
――むっ! なにやら、わたくしに対する時と態度が違うような気がしますわ!
微妙に釈然としない気持ちになるミーアであったが……気持ちを落ち着けるべく、ぶーふっと一息。それから、改めて慧馬に向き直る。
「ところで、今日は、どうなさいましたの?」
「ああ、実は先日、兄から連絡が入ってな。その報告と、それから、林族の馬龍から聖女ラフィーナへの文も預かっている」
「あら、馬龍先輩から、ラフィーナさまに? なにかしら……?」
「わからないが、まぁ、そこまで緊急のことではなさそうだったな。気にしなくっても良いのではないか……?」
などとつぶやきつつ、ふと、なにかを思い出したかのように、きょときょと、と辺りを見回し始める慧馬。
「……ところで、あの男は、いないだろうな?」
「あの男……? ああ、ディオンさんですのね? ええ、彼には帝国で仕事をしていただいておりますわ」
「そうか……。いや、しかし……あの男は狼以上に神出鬼没。油断は禁物だ」
一瞬、ホッと息を吐いた慧馬だったが、すぐに首を振り……。
「恐ろしいモノが来る前に我は行こう。聖女ラフィーナが待っているだろうしな……。ミーア姫も、乗馬を楽しむといい」
そう言って、いそいそと去っていった。
「ふむ、未だにディオンさんのことが怖いんですのね。まぁ、気持ちはよくわかりますけれど……慣れればそれほどでも……いや、やっぱり怖いものは怖いですわね……」
「すまない。待たせたかな?」
とそこに、ちょうどタイミングよくアベルがやってきた。そちらに目を向け、ミーアはニッコリ笑みを浮かべる。
「いいえ、わたくしも今来たところですわ」
「それならば良いのだが……。ああ、それはともかく……」
んっ、んん、っと喉を鳴らしてから、アベルは言った。
「その服、とてもよく似合っているね。乗馬服を新調したんだね」
「うふふ、ありがとう。嬉しいですわ」
少しばかり体が大きくなった(横に=FNYではない。縦に、である。身長的にである。成長である。断じてFNYではない!)ミーアは、つい先日、乗馬用の服を新調したばかりである。ちなみに……。
『ふむ、せっかくですし、少しきらびやかなものを……』
などと不穏なことをつぶやくミーアを、アンヌが全力で止めた結果、決まったデザインであった。
ミーアの乗馬技術が非常に優れたものであることを疑わないアンヌではあるのだが……同時に、ミーアがよく馬から落っこちることをも知ってもいる。
ゆえに、騎馬王国でミーアが身に着けたような服を着てくれるのが、理想と言えば理想。ということで、できるだけ機能性が高く、落ちた時にダメージが少なそうなものをチョイスし、そのうえで……。
「ミーアさま、その時々に相応しい格好というものがあると、私は思います。いかに美しい水着であっても、乗馬の時に着ていたら笑われてしまいます。いかに良い乗馬服であっても、ダンスパーティーに着ていけば白い目で見られます。そして、いかに美しい服であろうと、乗馬の邪魔になるような飾りが付いたものは……」
頭にルードヴィッヒを思い浮かべ、説得するアンヌ。その言葉を聞き、アンヌの顔に幻の眼鏡を見て取ったミーアは、
「なるほど……確かに、そうでしたわ。この服は、いざという時に馬に乗って逃げる際にも身に着けるもの。であれば、もっと機能的なものを……」
コロッと幻想の権威に負けて、アンヌの進言を受け入れたのだった。
――アベルも気に入ってくれたみたいですし、うふふ、さすがは恋愛軍師アンヌですわ。
心の中で、忠義のメイドに称賛を送りつつ、ミーアはアベルのほうを見た。
「それで、今日は、どちらに参りますの? やはり、ノエリージュ湖の湖畔がよろしいかしら?」
「そうだな……。いや、今日は森のほうに行ってみるのはどうだろうか?」
アベルに言われ、ミーアは、うふふ、っと笑った。
「いいですわね。緑が芽吹いていて、とっても気持ちいいと思いますわ」
上機嫌に、歌うような口調で、ミーアは言うのだった。