第四十三話 低きに流れたその先に……
ミーアは、いつになく絶好調だった。
気持ちよく、自らの背中を押す流れに身を委ね、すいすい、ぷかぷか、気持ちよーく浮いていた。ご満悦な様子で鼻歌など歌ってしまうほど、上機嫌だったのだ。
いつものように、自らを押し上げる波がないと悟るや否や、低きに流れることにより、流れに乗る、などと言う離れ業をやってのけたミーアである。
さらに、その流れは、徐々に徐々に速く、力強くなっているように感じられた。
その兆候は、初日、キノコ狩りを終えたところで現れていた。
午後の時間いっぱいを使ってキノコ狩りを満喫したミーア。るんるんで、キノコを食堂に運び込みつつ、
「ふぅむ、なかなかいい感じで採れましたわ。うふふ、すっかり、わたくしが楽しんでしまいましたわね……あら? これ……もしやラフィーナさまに、怒られないかしら?」
などと、若干、不安になったりしていたのだが……ちょうどそこへ。
「ミーアさん……」
「ひっ……!」
タイミングよく、ラフィーナが出現した!
朗らかな笑みを浮かべ、つかつかと歩み寄ってきたラフィーナに、ミーア、若干ビビる。けれど……ラフィーナはそのまま、ひっしとミーアの手を握りしめた。
「あっ、ら、ラフィーナさま、わたくし、まだ手を洗っていないので、汚れてしまいますわ」
などと言うのも聞き流し、ラフィーナはジッと、ミーアの目を見つめて……。
「聞いたわ。ミーアさん、お昼のこと……」
感動に、瞳をウルウルさせつつ言ったのだ。
「……はぇ?」
「貴族の子弟と、孤児の子どもたちを一緒のテーブルに座らせて、一緒にランチを食べさせたこと、テーブルマナーを貴族の子弟たちに教えさせたこと……噂になっているわ」
そうしてラフィーナは、ニコニコと微笑んだ。裏表のない、年相応の、普通の少女のような笑みだった。
「さすがね、ミーアさん。素晴らしいわ。セントノエルに通う生徒たちは、特別初等部の子どもたちを扱いかねている。よく知りもしないのに蔑み、疎外しようとしている。その解消のためには、お互いに知り合うことが必要。だから、一緒に食事をするのは理想的よ。ぜひ、続けていっていただきたいわ」
それを聞き、ミーアは悟る。
――ふむ、どうやら、キノコ狩りではめを外し過ぎたことへのおとがめはなさそうですわ。それに、帝国貴族の子弟へのおとがめもなし。ふふふ、狙い通り……。
心の中でにんまーりと、してやったりの笑みを浮かべたミーアは、さらに、ここで天啓を得る。
「あ、そうですわ。どうせならば、あの昼食会をラフィーナさまの名で恒例のものにしてしまうのはいかがかしら?」
「? どういう意味かしら?」
きょとん、と首を傾げるラフィーナに、ミーアは、にんまーり、と……朗らかな顔で続ける。
「学院の生徒たちと特別初等部の子どもたちとの昼食会を恒例化してしまったらどうか、という話ですわ。特別初等部の子たちだけで固まって座っていては、いつまでたっても学園の異物のままですし、ここは少し強引にラフィーナさまのお名前で、昼食会を強制にいたしますの。そうですわね、生徒会のメンバーも巻き込んで、生徒会と特別初等部の食卓に、他の学生も招く形にするというのはいかがかしら?」
生徒会、特にラフィーナやシオンのネームヴァリューをエサに、他の学生たちを引き寄せる作戦である。さらに、生徒会の他のメンバー、ティオーナやラーニャは、自国の農民たちとの関係が深い。特別初等部の生徒たちに対しても、特に抵抗はないはず。
さらにさらにクロエに関しては、話題がない時には、豊富な本の知識を用いて、話題を作ってもらえばよい。
「題して、聖女の昼食会ですわ」
「それは……とても良い考えだと思うけれど……一つだけ気になることがあるわ。ミーアさんの功績を私が奪い取ってしまうのは……ちょっと……。それに生徒会を動員するのであれば、生徒会長のミーアさんの名前でするのがいいのではないかしら?」
ラフィーナは、困り顔でそんなことを言う。けれど、ミーアは静かに首を振る。
ミーアにとって、それは当然の判断だった。なにしろ、ミーアの思考の基本線は、栄光を独占することではない。リスクを分散することだ。
貴族子弟と子どもたちとの食事会がいかに素晴らしいものであったとしても、一定のリスクはある。そして、なにか問題が生じた時、その責任を問われるのは、発案者のミーアなのである。
であれば、ミーアとしてはむしろ、その責任を誰かに押し付け……ではなく、分かち合いたいのだ。
ゆえに、これはラフィーナの名によってしなければならない。責任の一端を、ラフィーナにも一緒に背負ってもらいたいのだ。ぜひ!
「……ここはぜひともラフィーナさまのお名前で」
そのミーアの言葉に、ラフィーナは神妙な顔で頷いて、
「そう……つまり、ミーアさんは、このことをも大陸に広めたいと言うのね。セントノエル学園生徒会長でも、ティアムーン帝国皇女でもなく……ヴェールガの聖女の意向として……今回の交流食事会のようなことを推奨すると……そう表明すべきだ、と、ミーアさんは言っているのね?」
確認するように言った。
――うん……?
一瞬、ラフィーナの言っている意味がわからなかったミーアであるが、まぁ、ラフィーナがやってくれるならば問題あるまい、と頷いておく。
生徒会長としての呼びかけであれば、学校の中に留まる。帝国皇女としての呼びかけであれば、帝国内の貴族にとどまる。
けれど……聖女ラフィーナの名でその呼びかけをすれば、どのようなことになるのか……。その影響力にまで、考えが及んでいないミーアであったが……。
ラフィーナは、小さくため息を吐き、感銘を受けた様子でつぶやいた。
「さすがはミーアさん……。私は、まだまだね……。これで聖女だなんて……おこがましいわ」
「あら? そんなことありませんわ。ラフィーナさまは頑張っておりますわ。わたくし、きちんと存じ上げておりますわ」
この時のミーアは……冴えに冴えていた。ミーアを押し流す流れは強く、ゆえに、海月ミーアはスイスイと勢いよく流れていく。
一瞬、沈んだ顔をする友だちにきちんと気付いたミーアは、すかさず励ましの言葉をかけたわけだが……この時の言葉選びは絶妙だった。
ラフィーナが「いい人」と言い切ってしまうのはまずい。事実でなかった場合、それはあまりにも見え透いたおべんちゃらになるし、事実であったとしても、今のラフィーナの心理状態によっては受け入れがたい言葉にもなるだろう。
「ミーアさんにいい人と思われてる。もっと、いい人にならなきゃ!」
などと自分を追い詰める結果になったら最悪だ。
ゆえに、ミーアは言ったのだ。「頑張っている……」と。
これならば、問題ない。なにしろ、ラフィーナが頑張っているのは事実だし、自分が頑張ってないと言う人は、あまりいない。
たぶん、あのベルにそう言ったところで、否定しないだろう。あのベルだって、自分は頑張っていると思っているはずで、だから、ラフィーナも、たぶん否定しないはずだ。
ラフィーナが落ち込んだ様子を見せたのは、頑張っても結果が出なかったためだ。そんな相手に、とりあえず、努力を認める言葉をかけ、その上で……。
「わたくし、きちんと存じ上げておりますわ」
万が一の保険も忘れない。
もしかしたら、本当は頑張ってないかもしれないけど、私の目には頑張ってるように見えてるよ、私だけは知っているよ……と、ミーアは言うのだ。
そうして、その評価を〝個人の感じ方レベル”に限定してしまう。これにより、嘘やお世辞と受け取られる可能性を潰しにかかる。それは個人の感性だから……ミーアの目にそう映ったことを否定することは、ミーア自身にしかできないのだ。
そんな計算し尽くされた言葉にラフィーナは、一瞬、言葉を失い……、
「ありがとう……」
ぽつり、とつぶやくように言った。
それから、くるり、と後ろを向いて、
「すぐにミーアさんの提案通りにするわ。聖女の昼食会、特別初等部の子たちと一緒に食事をすること、全校生徒に推奨するわ」
そう言うと、そのまま歩いて行ってしまった。
さて、そんなこんなで、特別初等部の動き出しは、実に見事に成功していた。
当初、初等部の子どもたちを蔑視していた貴族の子弟たちだったが、今はわずかばかり、その態度を軟化させていた。
ラフィーナの呼びかけに馳せ参じた生徒たちは数多く。競うようにして、特別初等部の子どもたちとともに食事をするようになった。
瞳をキラキラさせつつ、ラフィーナのほうに目を向ける帝国貴族の子弟たちを見て、ミーアは、ちょっぴり釈然としないものを感じたが……。
――なんだか、わたくしの時と、ずいぶん、態度が違うような……ふむ……まぁ、気のせいですわね!
深くは考えないようにして……。
「さすがです。ミーアお姉さま」
「うん? ええと、なんのことですの? パティ」
「この昼食会のことです。貴族と平民は、食卓をともにしないもの。ましてや孤児となど……。ミーアお姉さまは、そんな秩序を破壊し、混沌を生み出そうと言うのですね」
などと、パティとも相変わらず不穏な会話が続いていたが……まぁ、それも、とりあえずは置いておいて。
ともかくミーアは絶好調だったのだ。
授業のほうも順調だった。ユリウスの授業進行は適切で、一部の子どもと、見学にやってきたミーアが眠そうにしている以外は、しっかりと授業が執り行われていた。
子どもたちにとって、とても良い学びの場となっていた。
……そう、絶好調だったのだ。ミーアは流れに、激流に乗っていたのだ。間違いなく……。
ただ……残念なことに、ミーアは気付いていなかったのだ。
それが、楽しい波乗りではなく、激流下りであったことに。
激流の先にはたいてい、どでかい滝が待っているもので……。
「ミーアさん、少しいいかしら?」
その日、廊下を歩いていたミーアは、ラフィーナに話しかけられた。
上機嫌な顔で首を傾げたミーアは耳打ちされた瞬間……思わず、口をぽっかーん、と開けた。
「……はぇ? ぎ、銀の祭具が盗まれた!?」
かくて、ミーアの目の前に巨大な滝が姿を現したのだった!