第四十二話 ボーイズトーク、白熱する!
さて、アベルたち一行がセントノエルに戻ってきたのは、初等部の生徒が揃って、さらに七日が経った頃だった。
本来はもう少し早く帰る予定だったのだが……。
「うふふ、楽しかったね。ベルちゃん」
「はい。とっても。うふふ、また行きたいですね、街歩き」
ヴェールガ公国名産の、巡礼用の麦藁帽を被った二人のご令嬢がニコニコ笑みを交わしている。さらに、その後ろに澄まし顔で立つリンシャも……お揃いの帽子を被っている!
そんな楽しそうな乙女たちに、アベルは思わず苦笑いを浮かべる。
良い旅だった……。そう思う。
姉、ヴァレンティナの反応は、予想外のものだった。
これまで何度、会いに行っても冷笑的な表情を浮かべるばかりで、一度として、自分の言葉が届いているようには思えなかったのに……。ベルを見た時の、あの呆然とした顔、あの時、確かに姉は意表を突かれた。
そして、生じた隙を縫って、確かに、ベルの言葉は、姉の心に届いた。
――これにより、姉上がどのように変わっていくのかはわからないが……。それでもいい。なにも変わらないよりは、変わっていったほうが……。
もちろん、すぐにどうこうなるものだとも思っていない。時間が必要であろうことはわかっていた。だから、アベルは気長に構えていた。
――あるいは、より悪い方向に変化してしまうかもしれないが……。
姉が自ら命を絶つ……そんな危惧がないわけではなかった。だが、それはそれで仕方のないことなのかもしれない。
――ヴァレンティナ姉さまは、許されないことをした。ミーアの言いようではないが、蒔いた種は自分で刈り取らなければならない。それが良いものであれ、悪いものであれ……。
だから……アベルはただ祈るのみだ。
姉が短慮を起こさないように。そして、ベルとの再会が、良い変化を与えるように。
それから、セントノエル学園に改めて目を向けて……。
「ミーアは元気かな……」
アベルは小さくつぶやいた。
しばらく会っていなかったからだろう。今すぐにでも、彼女の顔が見たかった。
そんな願いが叶ったのか、学園に入ってすぐに、彼は愛しい人の姿を見つけた。
思わず嬉しくなって、声をかけようとして……。だけど……。
「ミーア……」
名を呼ぶ声は、尻すぼみに消えていく。
なぜなら、ミーアが走っていったから。とても真剣な顔で……。そして、その向かう先に立っていたのは、穏やかな笑みを浮かべる眼鏡の男で……。
思わず、息を呑む。
見覚えのない男は、親しげにミーアに頭を下げ、二人は足取り軽く行ってしまう。アベルは、それを見送ることしかできなくって……。
「いや……なにを考えているんだ、ボクは……」
そこで、彼は我に返る。
不安に立ち止まり、口をつぐんでいては、かつての自分となんら変わりはない。
諦めに身を委ねることはもうやめた。こういう時に、前に出ないでどうすると言うのか。
アベルは顔を上げて歩き出す。そして、真っ直ぐにミーアの後を追い……追い……かけはしなかった!
アベルが向かったのは、シオンのところだった。
直接、ミーアのところに行く勇気は……まだなかった!
「ああ、アベル。帰ったのか」
男子寮の部屋にいたシオンは、爽やかな笑みを浮かべて友の帰還を歓迎する。が、すぐに首を傾げた。
「どうかしたのか? 顔色が優れないようだが……もしや、姉君になにか?」
「いや、姉は元気だったよ。まぁ、元気というのも妙な話だが……ともかく変わりなかった」
アベルはため息混じりに言った。
「でも、ベルを見て、少し思うところがあるようだったよ。彼女を連れて行って良かった」
「そうか。まぁ、それならばいいんだが……。その割には、浮かない顔をしているな。なにかあったのか?」
心配そうに眉根を寄せるシオンに、アベルは小さく首を振る。
「そんなこともないんだけどね。ただ、その……帰ってきてすぐにミーアを見かけてね」
そうして、つい先ほど見かけた光景のことを話してみる。と、それを聞いたシオンは……思わずといった様子で吹き出した。
「ははは。それならば心配はいらないさ。その眼鏡の男は、特別初等部のユリウス殿だ」
「特別初等部の?」
「そうなんだ。実は、特別初等部のほうで問題が起きたから、我ら生徒会で火消しに走ってるところなんだよ。実際、ここ数日、かなり忙しくってね」
「ああ……なるほど。そう言うことだったか……」
安堵のため息を吐いたアベルだったが……。
「しかし、アベル。あまり、ミーアを放っておくのも良くないぞ」
一転、真面目な顔で、シオンが指摘してくる。
「いや、そんなことは……」
と、首を振ろうとするも、シオンの追撃は、彼の剣術のように鋭かった。
「そもそも、そんな風に不安になるのは、自分自身の中にそんな気持ちがあるからじゃないか?」
「ぐっ……」
思わず、アベルは言葉を呑み込んだ。それが……図星だったからだ。
姉のことで忙しくしていることもあって、前よりミーアのそばにいる時間は減っていた。それに、少し前までのミーアは、ベルを失ったことで元気がなくなっていた。だから、そばにいて支えなければ、と強く思っていたのだが……。
ベルが帰ってきたことで、その思いが少しだけ薄らいだことも事実で……。
「ミーアに寂しい思いをさせている、ないがしろにしているという気持ちが、自分の中にあるからじゃないのか?」
そう言われると……返す言葉もないアベルである。
「確かに、そうかもしれない……」
さすがは、シオンだ、相変わらず鋭いな……などと考えているアベルであったが……。言うまでもないことながら、シオンには今まで恋人なるものがいたことは……ない!
けれど、そんな様子は一切なく、シオンは堂々たる口調でアドバイスする。
「ミーアもここ最近忙しかったからな。デートにでも誘ってやるのがいいんじゃないか?」
「デートか……。言われてみれば、確かに最近、遠乗りにも行っていないし、誘ってみるか……」
っと、腕組みしつつ考え込むアベルに、シオンは重々しく頷いて……。
「それがいい。それで彼女の良いところを十個、順位づけて(ランキングで)言ってあげるといい」
……おかしなことを言い出した!?
「順位づけて?」
聞きなれない言葉に、アベルが首を傾げる。っと、シオンは少し得意げな顔で……。
「実は先日、恋愛小説というものを読んだんだ。ああ言ったものは、初めて読んだのだが、なかなか興味深かったよ。それでそこに載っていたやり方なんだが……」
心なしか、得意げな顔で話し始めるシオン。ちなみに、その人生初の恋愛小説とやらだが……ミーアからティオーナへ、ティオーナからシオンへと渡った、ミーアのお抱え作家が書いたものである……。
お抱え作家が、想像力と妄想力をフルに使って書き上げた、お砂糖十倍増しのあまぁい逸品である!
「女性と付き合う時には、演出が大事だと、前にキースウッドに聞いたことがあるんだが、なるほど、こういうことか、と膝を打ったよ。なぁ、そうだっただろう、キースウッド?」
「え? あ、ええ。そうですね」
どこか上の空で、キースウッドが頷いた。
実際のところ、彼が教えたのは、サプライズでプレゼントを渡す、と言った程度の演出であって、相手の好きなところを十個ランキング形式で発表しろ、などというトンデモなレベルのものではないのだが……。その間違いを正す余裕は、キースウッドにはなかった。
なぜなら、彼は彼で大変だったからだ。聖女ラフィーナに馬サンドイッチを教えるという大役を担う日が、間近に迫っていたのだ。なので、
「演出は大事ですよ。アベル王子。女性は、そう言うのが大好きですから」
などと、適当なことを言ってしまっても、仕方のないことなのだ!
「そうか……。なるほど、参考になるな。助かるよ、シオン」
生真面目な顔で頷くアベル。前時間軸ならばいざ知らず、剣術に恋に愚直な彼は、親友の助言をありがたーく胸に刻んでしまって……。
「ははは。なに、君とミーアの仲がこじれたら、俺も困るからな」
爽やかな笑みを交わす二人の王子。
……とんでもないことが起ころうとしていた!
一方、ミーアはと言うと……。