第六十四話 ミーア姫の本質=キースウッドの妄想
――ふむ……、シオン殿下、油断したな。
闘技場の下で、キースウッドは冷静に試合の状況を見ていた。
――一初撃を止められるという自信、自らの才能におぼれたか。確かに、シオン殿下に防げない一撃なんか滅多にないんだろうが……。
アベルの斬撃を、間一髪で避けるシオン。一撃でも当てられれば、それで終わりという剛撃を、シオンは紙一重で避けていく。
その剣術センスは、天才の名に恥じないものだったが。
――しかし、まさか、アベル王子がここまでやるとはねぇ。
キースウッドは、アベルの剣の技量をしっかりと把握していた。彼はまず間違いなく凡人だ。
この学校に来た時点での彼の腕前は、天才シオンに遠く及ばないものだった。
にもかかわらず、アベルはシオンを追い詰めつつある。
――なるほど、この俺もアベル王子の実力を見誤っていたということかね。
ここにいたってキースウッドは、アベルの資質というものを正確に見極めることができていた。
アベルは自分というものを知っている。
才能のなさを冷静に分析できている。
そして、その上で諦めるのではなく、相手に勝つ方法を考え、それを実行してきた。
己を知り、相手を知り、未来へと向かう方法を知る。
それは、シオンの天才にも決して劣ることのない資質。
むしろこれからのレムノ王国には、より必要とされる才能であるだろう。
――王に必要な資質、か。なるほど、アベル王子がもしレムノ国王にでもなれば、あの国は強くなるな……。
才能の開花。優れた名君の誕生は、一平民としては喜ぶべきことなのかもしれないが……。
――シオン殿下に仕える者としては、いささか複雑だなぁ。将来的にレムノ王国との仲がこじれたら、厄介だ。
それにしても、とキースウッドは、視線を転じる。その先にいたのは、試合に釘づけになっているミーアだった。
――真に恐るべきは、ミーア姫、か。
この状況を作り出した者……。
もちろん、アベル王子の努力は称賛に値するものだ。その才も、正当に評価し警戒すべきものではある。
けれど、では、そのようにアベル王子を動かした者……、状況がこうなるように促し、流れを作った者の存在を、キースウッドは意識せずにはいられなかった。
「なるほど……、ミーア姫は、才を惜しむ人間か……」
ぽつり、とキースウッドはつぶやいた。
ここに至り、彼はようやくミーアの本質に思い至った。
ミーア姫は惜しんだのだ。
アベル王子の中に眠る資質、それが、兄やシオンにへし折られて、くすぶってしまうことを。
思えばあの時、シオンをダンスパートナーに選ぶことは、とても簡単なことだったのだ。仮にも帝国の叡智と呼ばれるミーアが、シオンの才能を見抜けないはずがないからだ。
にもかかわらず、ミーアはアベルを選んだ。
それはひとえに、彼の内に眠る才能を開花させるため……。
と、そこまで考えた時、キースウッドの背筋に冷たい戦慄が走った。
――いや、話はそう簡単じゃない。
才を惜しむ、それもまた王者の資質の一つ。
仮に敵国の将兵であっても、才能があり、己に忠誠を誓うならば重用する。それもまた、国を強くする立派な資質ではある。
しかし、それは、驚くべきことではない。
それならば、シオンやサンクランド国王でも持っている。
名君には珍しくない資質と言える。
……されどアベル王子は、別にミーア姫の従者ではないのだ。
出会ったあの時点で、レムノ王国とティアムーン帝国とは同盟国でもなければ、友好国でもない。
場合によっては敵対国になる可能性さえあるにもかかわらず、ミーアはアベルの才を惜しんだ。
だとすると、それは……、
――ミーア姫の視座は、国の違いにとらわれない、ということか?
敵国かどうかなど、ミーアにとっては些細なことなのだ。彼女は、ただ純粋に、そこに才を持つ者がいて、その才が腐ることを憂うのだ。
さらに言うならば、恐らく、彼女は才の大きさにさえこだわらない。
ティオーナに無礼を働いた者たちに対し、ミーアはとても寛容な態度をとった。
自分の頭を下げてまで、ラフィーナに赦しを求めたのだ。
その結果、赦された者たちは才無き身ながらも、ミーアの恩情に応えるため学業に励んでいると聞く。
――あらゆる人間を見て、その才が活かされないことを赦さない。それが帝国の叡智の本質か。
その視点は、己が主、シオンにすら勝るもの……、キースウッドは自分がミーア姫に心酔しつつあるのを実感する。
己が主はシオンのみ、と心を引き締めつつも、
――もしも帝国との仲がこじれるようなことがあっても、ミーア姫とだけは敵対しないように、殿下に進言すべきだろうな。
キースウッドは心に固く誓うのだった。
……無論、言うまでもないことではあるが、すべてはキースウッドの妄想である。
妄想以上でも以下でもない、妄想以外のなにものでもない。
ザ・妄想である。
しかしながら、誰にとっての幸か不幸か、彼がこの妄想からさめる確率は高くはなさそうだった。