第三十七話 飴になりたい、ミーア姫
さて、アンヌの奮闘により、麗しの生徒会長に化けたミーアと、身綺麗になったパトリシアは、朝食を食べ終えて、生徒会室へと向かった。
そこで、子どもたちを迎えるのだ。
他の生徒会メンバーと合流し、待つことしばし。やがて、老齢の修道女に付き添われて、六人の子どもたちがやってきた。
こわごわと、緊張も露わに、辺りを見回す子どもたち。そんな彼らを見ながら、ミーアは、事前にもらっていた資料を、頭の中で反芻する。
――ふむ、確か事前にもらった資料だと、パティと同じく十歳の男の子が二人、女の子が一人。その女の子の弟が七歳。八歳の女の子が二人……だったかしら?
年長の十歳児がパティを合わせて四人、年少の七、八歳の子が三人。ちなみに名前のほうも、きちんと覚えている。
あなた、誰でしたっけ? と言ってしまった時に、相手の心証をどれだけ害するか、身に染みてわかっているミーアである。
ともあれ、顔のほうはわからないので、誰が誰かなぁ? などと思いながら、全員の顔を見渡してから、
「はじめまして。みなさん。わたくしは、ミーア・ルーナ・ティアムーン。この学園の生徒会長をさせていただいております、ティアムーン帝国の皇女ですわ」
堂々と胸を張り……、
「どうぞ、よろしくお願いいたしますわね」
完璧な皇女スマイルを浮かべる。完璧! 完璧である!
男子たちは、思わず頬を染め、女の子たちも、ふわぁっと思わず見とれている。
外面はとっても良いミーアである。
なにしろ、笑みを浮かべる、言葉をかける、この辺りは無料である。無料で相手の好感度を稼げるというのなら、やらないのはもったいないではないか。
もちろん、ミーアとて統治者の心得を知らぬわけではない。
『民に侮られるのは、民に嫌われるより悪いことである』と。
愛され慕われるより、恐れられたほうが良い。それは、帝国に古くから伝わる統治論である。
だが……同時にミーアは知っている。それの行き着く先がどこであるか……。
その教えを順守した自分たちがどんな目に遭ったのか……。
――恐れられる、それは、自身に力があるうちは有効でも、力が弱まった時に致命的な状況を呼び込む両刃の剣ですわ。
いついかなる時でも自身の権勢を維持できるとは思えないミーアである。没落を知るミーアは、いつでも備えを怠らない。
――要はバランスが大事ですわ。甘い物ばかり食べていては体に悪いけれど、口に苦い良薬ばかりでは、人生に彩りがなくなってしまう。バランスよく、何でも食べるのが大事ですわ。
目の前に並べられた皿を、満月のごとく円を描き、ぐーるぐーる、とバランスよく食べる。これこそが、ミーアが見出したバランスの良い食事法である!
俗にいう≪満月食べ≫は、帝国の叡智ミーアが生み出したというのは、とても有名なことである。
まぁ、それはともかく。
目の前にいる子どもたち、彼らは、蛇の予備軍。つまりは、貴族や王族に不信感を持ち、不満を持ち、諦めを持っている貧しい子どもたちだ。いわば「恐れ」の供給が過多な子どもたちなのである。
ならば……バランスを取り、ミーアは慕われる態度をとる!
――わたくしは、常に力を誇示して恐れられるより、力を失った時に助けてもらえる親しさをこそ、求めたいですわ!
恐れられるのは、周りの貴族連中に任せておく。その連中を従えておけば、自然と恐れの部分を満たすことは可能! ミーア個人は愛されて慕われる、それこそが理想!
これが、ミーア式統治論である。
ちなみに、貴族連中を従えるにあたっては、ルードヴィッヒら女帝派の面々の活躍が不可欠であったりするのであるが……。
ともかく、ミーアは、精一杯愛想を振りまいた挨拶の後、子どもたちの顔を見ながら、
「それじゃあ、とりあえず、お互いに自己紹介をしましょうか……」
と、そこでミーアは気付く。
手前の二人の子どもたちが、顔が見えないほど前髪を伸ばしているということに。
「ふむ、それにしても、あなたたち、前髪が少し長いですわね。前が見えづらいと授業に支障がありそうですし、切ったほうが……」
と言いつつ、近場の少女に手を伸ばした。
「あっ! さっ、触るな!」
次の瞬間、少女が、ばっとミーアの手をはたいた。
「あっ……」
反射的に手を引っ込めるミーア。
「あなたっ! なんてことをっ!」
血相を変えた修道女が慌てた様子で、少女に近づいてきて、その腕をつかむ。
「ああ、いえ。別にこのぐらいなんでもありませんわ。あまり乱暴なことを……」
「いえ、姫さまに、このような無礼が許されませんわ!」
どうやら、この修道女はセントノエルに慣れていないらしい。その顔には満面の恐れと緊張が窺えた。
「粗相をした者には、罰が必要です」
「そんな大げさな……」
「いいえ。悪いことをした子どもに罰を与え、しつけるのは、その子自身のためでもあります。ぜひ、罰をお与えください!」
真面目な顔で言う修道女に、ミーアは、ウーム、と唸る。
「罰……そうですわね……」
それから、ミーアは少女のほうを見た。悔しげに唇を噛みしめる少女と、姉のほうを心配そうに見つめている弟。
――これは……厳しい罰を与えようものなら、確実に蛇に突っつかれるパターンですわ。お尻を蹴っ飛ばす、などという厳しい罰は与えるべきではありませんし……あっ、そうですわ。
そこで、ミーアは思いつく。
「ふむ、ではそうですわね。わたくしの手をはらった罰として、あなたには、この特別初等部のクラス長をしていただきますわ」
学校に生徒会長がいるように、寮に寮長がいるように、特別初等部にも、子どもたちをまとめる立場の人間が必要だろう。
そして、この年頃の子どもたちのリーダーを決めるのであれば、年長者にやらせるのが理の当然というもの。七歳、八歳の子にリーダーをさせるのは無理があるだろう。
――その場合、男の子たちが選ばれる可能性は、ないではないでしょうけれど……。パティはわたくしと縁の者と思われているのだから、選ばれる可能性は高いはず……。
蛇の予備軍を潰すために、教育を施そうとしているのに、蛇の教育を受けたパトリシアを代表に選出する? そんなことは、あり得ない!
というわけで……先手先手で行動するミーアであった。が……。
「は……? 正気かよ……」
ミーアの言葉に少女は、唇を釣り上げて、子どもには似つかわしくない笑みを浮かべた。まるでミーアを馬鹿にするような……歪んだ大人のような笑みを浮かべて。
「これが、あんたには見えないってのか?」
そうして、少女は自らの前髪を持ち上げる。それで、みなの前に、その額が露わになる。
少女の幼い額には、黒い墨で瞳の刺青がされていた。
「あら? そんな風になっておりますのね。でも……それがなにか?」
珍しい刺青に小首を傾げるミーアであったが……、
「ガヌドス港湾国では知らないやつはいないよ。これは、ヴァイサリアンの民……いや、海賊の印さ」
「海賊……?」
「そうさ。あたしと弟は海賊の子だ。あんたは、海賊の子であるあたしに、この特別クラスの長をさせようってのか?」
そうして、自嘲の笑みを浮かべる少女に、ミーアは小さく首を振った。
「……その考え方、わたくしは好きではありませんわ。親の罪が子に伝播する、先祖の罪が子孫にまで被せられるなどと……」
それは、ミーアが何度も否定してきた考え方だ。
なにしろ、その考え方……突き詰めれば、初代皇帝の罪をミーアが贖わなければならなくなるわけで……それは、なんとしても避けたいミーアである。
ゆえに、ミーアは、その少女の目をしっかりと見つめて言ってやる。
「親が誰であれ関係ありませんわ。あなたはあなた。そうでしょう?」
言いながら、気付く。
これは、ミーアの自己弁護のみならず、パトリシアへのメッセージにもなるかもしれない。
パトリシアは、親が蛇だから、蛇になりたいと考えているのかもしれない。親が蛇だから、お前も蛇にならなければならない、と教え込まれているのかもしれないではないか。
それこそが、彼女が頑なに蛇になりたがる原因ならば、それを今はっきりと否定しておくべきであって……ゆえに!
「あなた自身が、賊となり悪を為したいと言っているのであれば、それを咎め、改めさせる必要はあると思いますけれど……。あなたの血筋がなんであるかは、わたくしにとってなんの意味もないことですわ」
それから、ミーアは一歩下がり、
「今一度、言いましょう。あなたが、特別初等部の長を務めなさい。それをもって、わたくしへの無礼の罰といたしますわ」
ミーアの言葉を、少女は……ポカンとした顔で聞いていた。