第三十四話 眠れぬミーア(ミーア比)の悩み事
その後もいくつか議題を片づけて、その日の会議は終わった。
心地よい疲労感をお風呂のお湯で洗い流し、美味しい夕食とデザートで舌とお腹を満たしてから、ミーアはベッドに倒れこむ。
「ふわぁむ……なかなか、有意義な会議でしたわ。ユリウスさんも頼りになりそうな方で良かったですし」
優しげな……”眼鏡をかけた”顔を思い出す。
――あの眼鏡、実に安心感がありますわ。あれならば、パティのことを任せてしまっても……。
などと、安堵して、そっと目を閉じて……。
――本当に、そうかしら……?
ふと、嫌な予感がして、ミーアは目を開けた。
――確かに、頼りになりそうな方ではありましたけれど、あの方は蛇のことを知らない。そして、そもそもわたくしがすべきことは、パティにより良い教育を行うことではない。パティを蛇の教えから救い出すことですわ……。であれば、任せっぱなしにできるはずもなし……。
ミーアは、ふむむ、と唸ってしまう。
――それに、よくよく考えてみれば、あの方はもともと『帝国貴族』でしたわね。
嫌なことまで、思い出してしまう。
帝国貴族……それは、ミーアにとって不信の証である。
前の時間軸において、ミーアは、信頼のおける帝国貴族というものにほとんど会ったことがない。
帝国貴族という響きには、眼鏡の権威に拮抗しうる不信感を持っているミーアである。
――凋落したと言っておりましたけれど、油断は禁物。一応、調べておくに越したことはないですわね……あ。そうですわ。
とそこで、ミーアは良いことを思いついた。そうして、隣のベッドで眠るパトリシアに声をかけた。
「パティ、まだ、起きておりますの?」
「……ふぁい? なにか、御用でしょうか? ミーアお姉さま」
目元をこすりこすり、パトリシアが上半身を起こした。
「ちょっと聞きたいことがあるのですけれど……」
ちなみに、現在、アンヌは就寝準備に行っている。深夜にミーアが起きた時、もしも喉が渇いていて食堂に行くことがないように(別に、暗い中を食堂に行くぐらい、ミーア的には何でもないのだが……全然怖くなどないのだが……)水を汲んでおいたり、食堂のスタッフなどに挨拶にいったり、専属メイドは寝る前まで忙しいのだ。
ともかく、そんなわけで、今は部屋の中にはミーアとパトリシアしかいない。多少、キワドイ話をしても大丈夫だとは思うが……。
「ふむ、念のためですわ。パティ、わたくしのベッドに来なさい。そこで、少しお話しましょう」
「……はい、わかりました」
わずかの間、その後、パトリシアがミーアのベッドに移動してくる。
「それで、お話とはなんですか?」
淡い月明りに照らされたその顔には、いささか困惑の色が見て取れた。
「ええ。今日の午後の会議のことを少しお話しておこうと思ったのですわ。あなた、もしや、オベラート子爵という名に心当たりがあったりはしないかしら?」
今は凋落したとはいえ、パトリシアの時代にはそうではなかったはず。となれば、噂ぐらいは聞いたことがあるのでは? という予想は、見事に的中し……。
「はい。聞いたこと、あります」
こくり、と頷くパトリシアに、ミーアは思わずほくそ笑む。
――ほほう。これは好都合ですわ。どんな家か聞いておきましょう。
などと、ニンマリしていると……。
「それはテスト、ですか?」
「はて、テスト……?」
きょとん、と首を傾げるミーアに、パトリシアは抑揚のない声で言った。
「オベラート子爵は、好色な人。美しい女が弱点で、誘惑し操るのは簡単です。黒い髪が特に好みらしく、身分の低い女に子を孕ませることもしばしばで、跡取りに問題が……」
「ちょちょちょっと、パティ! そ、そこまでですわ」
幼い子どもの口から、子を孕ませる、などという言葉が出てきたので、若干、狼狽えてしまうミーアである。
「そっ、そんなことを、誰から聞きましたの?」
「? 先生です」
「せ、先生……? ああ、クラウジウス家の教育係ですわね」
などとつぶやきつつ……ミーアは改めて、蛇の恐ろしさを思う。
――心を操るのは蛇の得意とするところ……。そう聞いておりましたけれど、帝国貴族の性格をきちんと調べておりますのね。これはなかなかに厄介な……。
帝国を意のままに操るため、人を意のままに操るため。蛇の用意周到さには、相変わらず驚かされるミーアである。
――しかし……イエロームーン家は、蛇そのものというよりは、初代皇帝の怨讐に縛られた人たちでしたけれど、クラウジウス家の場合は、より蛇の影響を強く受けた家柄だったということかしら……。まぁ、基本的に蛇というのは、統一された組織というわけでもないですし、そういうことがあってもおかしくはないと思いますけれど……。
「正解ですか? ミーア先生」
ふと見ると、パティがジッと見つめていた。
上目遣いに見つめてくる瞳、そこに底知れぬ暗い色を見て、ミーアはかすかに背筋を震わせる。
「え、ええ。大丈夫ですわ。合ってましたわ。さすがですわね、パティ」
「そう……。良かったです」
っと、パティは静かにため息を吐いた。途端に、わずかに崩れた表情、そこに浮かぶのは、安堵だった。それから、パトリシアは再び、見つめてきて、
「お話は、それだけでしょうか? もう、戻っても?」
「ええ。構いませんわ。良い夢を」
そう言ってやると、パトリシアは、ニコリともせずに頭を下げて、
「良い夢を。ミーアお姉さま」
立ち上がり、律儀に、寝間着の裾をちょこんと持ち上げてから、自らのベッドに戻っていった。
その後ろ姿を眺めながら、ミーアは思わず考えてしまう。
――ふぅむ、この先、パティのこと、どう扱ったものかしら……? それに、オベラート子爵家のユリウスさん……。やっぱり彼に任せきりにはできなさそうですわ。ううう、またしても悩み事が増えてしまいましたわ!
などと、今日もまた眠れぬ夜を迎えてしまうミーアであった。
……ちなみに、しばらくして部屋に帰ってきたアンヌが発見したのは、ぐっすりと意識を失い、ベッドから落ちかけているミーアの姿であった!