第三十三話 共感と嘆きと希望的観測
――あ……焦った……。ミーアさまの、たとえ話か……。
ミーアが大満足で笑っているのを尻目に、キースウッドは、何気ない風を装って、椅子に腰を下ろし……ふぅうっと深いため息を吐く。
――さすがに、キノコ料理を作りたい、などと言い出されたらお手上げだったな。
ただでさえ、ラフィーナという強大な敵を相手取らなければならないのだ。そのうえ「キノコ料理が作ってみたい」などと言うミーアが出現しては……もはや降参するしかない。
狼二匹を相手に戦えと言われて、さらにそこにディオン・アライアが敵として出現したような……そんな絶望感に一瞬襲われたキースウッドであった。
――まぁ、しかし……よくよく考えてみれば、そうそう悪いことばかり起こるはずもない。そうだ、ラフィーナさまに教える件だって、実際には、それほど絶望的状況ではないのかもしれないな。俺としたことが、いささか冷静さを欠いて、過度に絶望視しているだけなんじゃないか? ラフィーナさまが、ミーアさまたちより料理ができるという希望だってあるわけだし……。
サンドウィッチのことをお願いされた後のことだ。ラフィーナから直々に呼び出しを受けたキースウッドは、そこで、こんなことを言われた。
「パンを馬の形にしたサンドイッチなんて、挟むのが難しそう」
と……。
その一言に、キースウッドは希望を見出した。すなわち、ラフィーナはサンドイッチを作ったことがあるに違いない、と。
だって、作ったことがなければ、挟むのが難しいだなんて、思うはずがない。だから、彼女は経験者だ。そうに違いない……そうであってほしいなぁ! などと……淡く儚い希望を持ってしまったのだ。
――だから、ふたを開けてみれば、ミーアさまたちを相手取るより遥かに楽だということもあり得るな。うん、あり得る!
……基本的に、キースウッドは現実主義者である。
戦いに慣れた狼を相手取った時も、決して勝てるなどと楽観視しなかった。むしろ、自分にできるギリギリを見極め、最善の立ち回りをした。そういう男である。
希望的観測に身を委ねる愚は、重々承知している。にもかかわらず……、この問題に関しては希望的観測にすがりがちなキースウッドである。
今回の場合、そうしたほうが心の平和を保てるだろうと、彼の本能が告げているのだ。
――しかし、まぁ、そんなことより、ミーア姫殿下は変わらないな。
気を紛らわすようにつぶやいて、彼はミーアに視線を戻した。
ミーアの言葉、特別初等部の生徒の選考基準のこと。
――国の別を問わず……才の多寡を問わず……その才が生かされないことを許さない。これは、あの剣術大会の時、アベル王子に向けたものと同じだ……。
差別なく、区別なく、その者を一人の人として見る。その者の可能性を見る。そのうえで、それが開花しないのは許さないという姿勢。
それは、聖ミーア学園でも見られたものではあったが、ここ、セントノエルではさらに研ぎ澄まされているようにも思えた。
――才を評価して取り立ててくれる王は善王だ。その王にアピールするように自らを高める生き方、努力に報いてくれる王の下で生きるのは、ある意味で幸せな生き方と言えるだろう。どれだけ努力しても、評価されないよりは、よほど幸せなことで……だけど、それは同時に、才を失った時に寵愛を失うのではないか? という不安に苛まれる生き方でもある。
幼き日にエイブラム王に拾われ、シオンと兄弟のようにして育てられたキースウッドには、その気持ちはよく理解できた。
王や王妃の人柄はよくわかっている。尊敬し、敬愛し、信頼している。
けれど、もしも無能を曝したら捨てられるのではないか、という不安は、本能レベルで、彼の心に刻み込まれていた。
だからこそ、自らの剣の才を、弛むことなく鍛えて、伸ばし続けたのだ。
――そのおかげでサボらずにいられたと考えることもできるが……ミーア姫殿下は違うのだろうな……。
それが、今の五つのキノコグラタンのたとえ話だろう。
ミーアは別に、天才を求めてはいない。才の大きさは問題ではない。
ほどほどの才であったとしても、その才が生かされる道を探してあげること……。それこそが国の上に立つ者の務めであると、彼女は言っていたからだ。
民をキノコとするならば、その味を見極めて、料理するのが統治者である自身の務めであると……。
その良さ、悪さを理解し、ただ、その者の最善の生き方を模索し、用意してやること。それがミーアの出した答え。
――捨てられるかも、という危機感により才を伸ばす者はいるだろう。だが、ミーア姫殿下はその逆。恩を与え、その恩に報いよ、と奮起を促すのだ。その者が生きる場所を用意し、そこで最大限、自分の力を尽くせ、というのだろう。
先に大恩を与え、お前にできる最善の忠義で返せ、という……その姿勢に、キースウッドは、思わず感嘆のため息をこぼした。
――なるほど、この人は善王の器を持っている。いや、普通の善王ではない……。
その、あまりの器の大きさに、キースウッドは心から感心して……同時に、ついつい、こうも思ってしまう。
――その才の一部でも、料理のほうに割いてくださればな……。いや、まぁ、完璧な人間がいない以上、仕方のないことであるのはわかっているのだが、ああ、でもなぁ……。
ラフィーナとの料理教室を想像し、思わず、キースウッドは天を仰ぐのだった。
……キースウッドは知らなかった。
ミーアのように、周りを頼れば……案外、助けてくれる人というのはいるもので……。
ラフィーナのメイドのモニカが……まぁまぁ、それなりに料理ができるということを、キースウッドが知るのは、もう少し後のことであった。