第三十二話 ミーア式教育論「五つのキノコグラタンの教え」
「ところで、ラフィーナさま、特別初等部の教員は、ユリウスさんお一人ですの?」
「ユリウスさんに統括してもらって、学園の他の講師陣で対応する予定よ。ただ、最初は、それほど人数は割けないと思う」
ミーアは、ふぅむ、と唸り声を上げる。
――まぁ……ぶっちゃけ、パティさえ上手く教育できれば良いわけですし……そこまでの規模は必要ないんじゃないかしら?
ミーアはパトリシアのほうを見て、ふむ、ともう一度唸る。
「ああ、その子は、もしや、特別初等部の生徒候補ですか?」
「ん? ああ、そうですわね。パティ、ユリウス先生にご挨拶をなさい」
ミーアの言葉に従い、ちょこん、と立ち上がったパティが挨拶する。
「はい。これからよろしくお願いします」
ユリウスは丁寧に言ってから、優しそうな笑みを浮かべる。
「なるほど。しっかりと教育を受けたお子さんですね。まぁ、セントノエルに通わせようというのですから、それも当然のことでしょうか」
それから、ユリウスは、ふと気が付いたと言った様子で、
「ちなみに、孤児院から送られてくる子どもたちも、やはり、相応の礼儀を身に着けた能力の高い子どもたち、という理解でもよろしいですか?」
そうして、ラフィーナのほうに目を向けた。ラフィーナは、小さく首を傾げてから……ミーアのほうに目を向けた!
生徒会長へのラフィーナの気遣い、それを受けたミーアは意味深に大きく一度頷き……シュシュっとシオンのほうに目を向けた!
そのまま流すのではなく、一度受けて考えたふりをしてからの絶妙なパス。生徒会長三年目にもなると、蓄積してきた経験値が違うのである!
さて、無言で話を振られたシオンは、
「そうだな。こういうのは前例に倣うのが無難なのだろう。ミーア学園では同じようなことをしていると聞くし、基本的にはそれに倣えばいいんじゃないかな?」
「孤児院のほうで選抜して、優秀な子どもを送ってもらうということね……」
そうつぶやいたラフィーナは、少しだけ難しい顔をしていた。
――なにか、気に入らないところがあるのかしら……?
などと思いつつ、ミーアも考えてみることにする。
なにしろ、この場でミーアだけは考えるべきことが違う。ミーアが考えるべきは、どうするのがパトリシアの教育に良いのか、ということだ。
チラリ、と視線を向ける先、お行儀よく座るパトリシアの姿があった。礼儀はなっている。けれど……。一つ懸念があった。
――パティの頭の良さがどのぐらいなのかが問題ですわね……。
自身の祖母、パトリシアが勉学に練達した人であった……などという話は、寡聞にして、聞いたことがない。
であれば、恐らく彼女の学力は並。ないし、それより下だろう。
――もしそうなった場合、お祖母さまに、強力な劣等感を植え付けることになりそうですわ。
ミーアがイメージする優秀な平民といえば、ルードヴィッヒである。
では、例えばの話、周りがルードヴィッヒばかりの学び舎で勉強がしたいか? と問われると、答えは否である。大いに否である。
――周りがクソメガネばかりで、しかも、毎日、バカにするような視線に晒されでもしたら、とてもではないですけど、心がもちませんわ!
今のルードヴィッヒであるならばともかく、かつてのガミガミ言ってくるルードヴィッヒが周りにたくさんいたら……と考えると、背筋に冷たいものが流れるミーアである。
パトリシアも表情にこそ出さないものの、その辺りの感性は恐らく普通だろう。となれば、下手をすると、性格が歪んでしまって、蛇に付け入る隙を与えてしまうかもしれない。
それは避けたいところだ。
ゆえに……。ミーアは静かに口を開く。まるでこの世の真理を悟った賢者のような口調で、話し始める。
「特別初等部に入学させるのは……普通の子どもたちでいいのではないかしら? 勉強のできる、できないで区別されるのも、それはそれで辛いもの。もちろん、勉強したくないという者を無理に連れてくる必要はありませんけれど、最初から勉強ができる優秀な子に絞る必要はないのではないかしら?」
言っていて、ミーアは若干、不安になる。
なにしろ、ここにいるのは、みな勉強ができる者たちばかりだ。そんな彼らにこの気持ちがわかってもらえるかどうか……。
――まぁ、わたくし自身、勉強はできるほうですし、あくまでもベルとかを見ていて気持ちを想像しているだけですけど……。
などと、おこがましいことを考えていると、賛意を示す者がいた。
ほかならぬ、教師候補のユリウスである。
「なるほど……。わかります。ある著名な教育者の言葉で、こんなものがあります。子は麦のようなもの。育ててみなければ、それがどんな麦かはわからない。実りを迎えてみて、初めてそれが良い麦か、毒麦かがわかる、と。子どもの可能性を論じる言葉ですね」
子どもの時点での能力は、判断の基準にはならない。教育を施した結果を見てみないことには、どれほど優秀な人材になるのかは判断ができない。
それが教育の姿勢である……。ユリウスが言っているのは、そういうことだった。
「ああ、そのとおりですわ。でも……」
ミーアはそれを聞き、少しの納得と、同時に少しの危惧を覚えて、付け加えることにする。
「わたくしとしては、こう付け加えたいですわね。人は麦ではない。ゆえに、生まれながらの毒麦はない、と」
きっちりと、強調しておく!
なにしろ、ミーアはパトリシアを教育しなければならない立場である。では、もしも、今の言葉を蛇に置き換えたらどうなるだろう? 育ててみなければ蛇になるかはわからないから、育ててみよう、とはならないはずである。
むしろ、危険な芽は早めに摘むべき、などという結論になりそうではないか!
「子どもたちがどのような実りをつけるかは、わたくし達の教育次第、そうではないかしら?」
というか、そうでなければ困るので、そういうことにしといてね? と、眼力で伝えておく眼力姫ミーアである。
それから、再び辺りを確認すると……っ!? みなの顔には深い納得の色が見えた!
「なるほどな。ミーアの言うことに一理ありそうだ」
「そうですね。現時点での学力は、あまり考慮に入れないほうがよさそうな気がします」
頷くシオンと、考え深げにつぶやくティオーナ。他の面々も、なんだか、ミーアに尊敬の目を向けているようで……。
――おっ、これは……もしや、いいことを言ってしまったのではないかしら?
すっかり良い気分になるミーアである。
――うふふ、やはり、お昼が美味しいと、わたくしの頭は冴え渡りますわね。あの五種のキノコグラタン、とても美味しかったですしね。あの歯ごたえといい、チーズの焦げ具合といい、実にお見事な味で……。ああ、思い出しただけでも口の中に幸福感が広がっていきますわ。
などと……ついつい余計なことを考えている間にも、話し合いは進んでいて……。
「ミーアさん……ミーアさん、どうかしたのかしら?」
「はぇ……?」
ふと我に返ると……ラフィーナが不思議そうな顔をしていた。
――あっ、まずいですわ……。
不意を突かれたミーアは、若干焦る。さすがに、食べ物のことを考えてボーっとしていた……などと素直に応えられるはずもなく……。
なんと誤魔化そうかなぁ、とミーア、しばしの黙考……その後、とりあえず、褒めておくことにする。セントノエルの学食を褒められれば、ラフィーナだとて悪い気持ちはしないだろう、と……。
「ラフィーナさま、お昼はもうお食べになりましたかしら?」
「いえ、まだだけど……」
「それならば、五種のキノコグラタンがとてもおススメですわ」
「ああ。ふふふ、あれね。あれは、ミーアさんのためにお願いして用意してもらったものよ? キノコは体にもいいっていうから」
「まぁ、そうでしたのね? ありがとうございます。とても楽しめましたわ」
そう言ってから、ミーアは、うっとりとした顔で続ける。
「あの五種類の歯ごたえが違うキノコを使ったのは、実にお見事。弾力に合わせて、それぞれの厚さを調節して、一番美味しい形を模索しているのも、素晴らしかったですわ」
それから、ふと、ミーアは言った。
「そう、あのキノコが子どもたち、料理をするのがわたくしたち……教育とはそういう感じではないかしら?」
「キノコを……料理?」
ガタッと……音を立ててキースウッドが立ち上がったが……理由がよくわからないので、放っておいて。ミーアは話を続ける。
「子どもたちはそれぞれに違いがある。生まれ持った才には違いがあり、だから、成長した姿ももちろん違う。けれど、食べられるキノコには変わりはない。それを適した形に整えて美味しく食べられるようにしてあげることこそが、大切なのではないかしら?」
そう言って、ミーアは、内心でほくそ笑む。
――これは、上手くまとまりましたわ! 会議の途中で、食べ物のことを考えていたのを上手いこと誤魔化せましたし。そのうえ、学力が未知数のパトリシアを見捨てさせない言い訳にもなった。これは、まさに、ウサギを追う者、キノコをも得る、ではないかしら?
……ちなみに、一つの行動で二つのメリットを得るというミーア格言の一つである。