第二十九話 ミーアがそう言うのなら……
さて、ミーアが食堂で舌鼓を打っている頃、生徒会室では、シオンとティオーナが、午後の会合の準備をしていた。
セントノエル学園は、もともと中等部以上の教育を施すための機関である。
それよりさらに下の初等教育となると、新しく講師を用意する必要があるため、今日はその候補者との顔合わせをする予定なのだ。
神聖ヴェールガ公国から届いた教師の情報に目を通し終えて、シオンは小さくつぶやいた。
「特別初等部構想、か……」
「シオン王子は、どう思われますか?」
隣で書類をまとめていたティオーナが、顔を上げて言った。
「大したものだ、と思う。ミーアの掲げた政策は的確で、しかも、重層的だ」
「重層的、ですか?」
怪訝そうな顔をするティオーナ。対照的に、納得の頷きをみせたのはキースウッドだった。
「重層的……か。なるほど、言い得て妙ですね」
彼は、基本的にシオンの従者として、王族や貴族同士の会話には入らないようにしている。けれど、ここ、生徒会は別だった。
なにしろ、生徒会長のミーアは、周囲に話を振るのが大好きな人なのだ。いろいろな者たちから意見を聞くことを大切にする、それは、良い統治者の資質だ。
だから、キースウッドのミーアに対する評価は実に高い。
馬型サンドイッチなどという、いささか以上に面倒な仕事を押し付けられたとしても……それを、よりにもよって大陸が誇る聖女ラフィーナに伝授しなければならないとしても、その評価は変わらない。恨みになんか全然思ってない……本当だ!
さておき、
「えっと、それはどういう意味でしょうか……?」
首を傾げるティオーナに、シオンは自らの考えをまとめながら、言った。
「その狙いというか、効果というか……利点が複数あるということさ」
「確かに、その通り、です。ミーアさま、ルールー族の村を救う時に、皇女の町を建てた。それが学園都市になり、小麦の開発をするようになった、です。全部、繋がってる」
ティオーナの従者、リオラ・ルールーの同意を聞きながら、シオンは、目の前の書類の余ったスペースにペンを走らせる。
「特別初等部を作る一番の理由は、次なる蛇を生み出さないための予防だ。けれど、今この時に特別初等部を作る理由はもう一つある。大飢饉への備えだ」
「大飢饉への……?」
「特別初等部への入学対象となる子ども……孤児や貧民街の子どもたちというのは、飢饉になった際に一番に見捨てられる者たちだ。ミーアは、食糧不足の懸念が高まりつつあるこの時期に、あえて、その子どもたちを気に掛ける姿勢を見せようとしているんだ。それは、各国の王族、貴族たちへの強いメッセージになる」
少なくとも、サンクランドの貴族たちに対しては、かなり強い影響を及ぼすだろう、とシオンは考えていた。
ミーアの助言を入れて、備蓄を進めていたサンクランドは、帝国ほど潤沢ではないにしろ、それなりの量の食糧を確保することに成功していた。
にもかかわらず、不安の声を上げる貴族たちは一定数いる。
正義と公正を旨とするサンクランドであっても、孤児たちを見捨てるという判断をする者が現れるかもしれない。
平時であれば人徳者として振る舞える者であっても、有事の際には冷酷な本性を表してしまうもの。それが人の弱さというものだと、シオンは思っているが……。
「ミーアはその引き締めをしようとしたのだろう。彼女はいつだって、大陸を大飢饉が襲うということを心配していたから」
「国内の貴族の中には、『大飢饉などオーバーだ。そんなもの起こるはずがない』なんて声を上げる者も多いようですけどね」
肩をすくめるキースウッドに、シオンは深刻な顔で頷く。
「お前の思っている通りだな。キースウッド。それは実に蒙昧な考え方だ」
不安に駆られて、食糧をケチるのも問題なら、そんなことは起こらないと楽観視して、備蓄を怠るのもまた問題だ。
目の前の状況を理解しようとせず、大した危機ではないと豪語する。それもまた愚かなことだった。
「そもそも、この大飢饉、最大の肝は、その存在を民に知られないことだろうに……」
そう言いながらも、シオンは思っていた。
自分は、もしかしたら、今、初めてミーアと同じ視座に立つことができているのではないか、と。
「民に知られてはいけない……。それは、どういうことでしょうか?」
再びのティオーナの疑問。どう答えようか考えをまとめつつ、シオンは少しだけ戸惑う。
彼女に説明することで、頭の中が整理されていくことを実感したから。そして、それが少し楽しいと感じている自分を見つけて。
「そう、だね……。この大規模な不作の問題点は二つある。一つは言うまでもなく食糧の不足。もう一つは、その不足で生まれる民の混乱だ。食糧の不足だけであれば、なんとか耐えきれるかもしれない。それこそ、民が兵のように、規律正しく整然と動いてくれるならば、この事態は乗り越えることができるだろう。しかし、もしも不安と恐怖に駆られ、暴動が起これば、もはや収拾がつかなくなる」
流通網は乱れ、その結果、さらに食糧は不足する。価格の高騰により、貧者は餓死し、体力を失った者を病が襲う。こうして生まれた負の連鎖を止めるのは、容易なことではない。
「そうしないためには、一番大切なことは、食糧を不足させないために備蓄をしておくこと。食糧を入手する術を確保しておくこと。そして、民を不安にさせないことだ」
「ああ。そうか……民を不安にさせないためには、食糧が不足しているということを、知られてはならない。そういうことですね?」
シオンは首肯しつつ、続ける。
「同時に大事なのは、仮に食糧が不足しても、王が必ず助けてくれると、民から信頼されていることだろうが、しかし、すごいな……。ミーアは……」
ここまで言ったところで、シオンは思わずといった様子でつぶやいた。
「ミーアさまは、そのすべてをしっかりと整えてきたのですね」
ティオーナは、明るい声で、シオンに同意する。
民からの信頼を得るため、自らの誕生祭を活用した。
食糧が不足しないよう、民に食糧不足を感じさせないよう、第一の臣下であるルードヴィッヒに準備させた。
備蓄に努め、遠き異国より小麦を輸入するための手立てをも整えた。
「それどころか、国家間の緊張が高まらないように、パン・ケーキ宣言をして、その上で、ペルージャンにて、フォークロード、コーンローグ、両商会を掌握した……か。本当に、この大飢饉に備えて、行動してきたように思えるな……」
それを聞いて、ふと、キースウッドが首を傾げた。
「しかし、実際のところ、どうなんでしょうね?」
「なんのことだ?」
「例の、ベルさまがミーア姫殿下のお孫さんだという話です」
その問いかけに、シオンは腕組みしてから、
「そうだな。にわかには信じがたいが……別に疑う必要もないように思うな」
「というと?」
「つまり、ミーアがそう思っておいてほしいと言うなら……そう思っておけば問題ないだろう、ということさ。ミーアは悪を成すために偽りを口にすることはないと思うから。そうだな、例えば、パッと考えつくものだと、周りが自分に頼りすぎないようにするため、とかそんな理由じゃないかな? 未来の知識を得ていたから、まともな判断をできたというのと、なにも情報がないのに、未来に対する正確な予測が立てられたというのとでは、違うだろう?」
「確かにそうですね。ミーアさまが万能だと思ってしまったら、頼りすぎてしまうかもしれません。ミーアさまは常々、自分一人でするんじゃなくって、仕事を他の人に割り振ることを大切にされていましたから」
ティオーナが納得の頷きをみせる。そんな彼女に、シオンは真剣な顔で続ける。
「だから、まぁ、ミーアが偽りを言ってるなら、それを信じておいても問題ない。それに……もしかしたら、本当のことを言っているかもしれない。あれは、こちらを騙そうとするには、あまりにも突拍子がなさすぎる嘘だったから」
「吐くならば、もっとマシな嘘にしろ、というやつですか?」
キースウッドの問いに、シオンは肩をすくめた。
「言い方は悪いが、まぁ、そういうことだ。以前はベル嬢のことを妹のようなもの、と言っていたが、今回もそう説明されたほうがよほど納得できただろう」
「なるほど。矢を受けたけれど、奇跡的に生きていたというほうが、まだ無理がないですね。アベル王子が目撃したことというのも、ベルさまが、光の中に消えたというだけですし……」
狼使いに襲われた時にも、ミーアとベルは光っていた。あの時と同じだと言われれば、そのほうが容易に納得できただろうし、それを思いつかないミーアでもないだろう。
「にもかかわらず、よりあり得そうもない説明をするというのは、なにか意図があるか、あるいは、本当に真実を告げているのか……ですか」
キースウッドのつぶやきに、シオンは苦笑いで首を振った。
「理屈ではそうさ。ただ、俺としては別の判断をしたいと思ってる」
「別の判断というと?」
「友を信じる。それだけさ。俺はアベルの直感を信じる。それに、ミーアのことも。疑わない理由は、それで十分じゃないかな?」
それから、彼は、ティオーナのほうを見つめて、言った。
「ティオーナも、そう思うだろう?」
「はい。私も信じたいと思います。ミーアさまが、そう言うのですから……」
と、そこにタイミングよく、話題の中心人物、ミーアが入ってきた。
「あら、みなさん、なんのお話をしておりますの?」
きょとん、と首を傾げるミーアに、みなは優しい笑みを浮かべるのだった。




