第二十八話 悪い孫娘、祖母に恋愛のコツを語る
セントノエル学園、特別初等部構想――生徒会長ミーア肝入りの、その政策は、あまり好意的には受け入れられなかった。
ラフィーナや生徒会メンバーら、一部の生徒を除き、多くの者が示したのは戸惑い。そして、それを大きく上回る反感だった。
「まぁ、そうですわよね……。やはり……」
なにしろ、セントノエルに通うのは、各国の次代を担う“高貴なる身分の者たち”だ。
いきなり、同じ学び舎に孤児を受け入れると言われても、すんなりとは受け入れられないだろう。
にもかかわらず、ミーアは生徒会長への再選を果たした。
もちろん、ラフィーナが出馬を辞退したことが大きな要因としてあったが、同時に、ミーアの公約に表立って反対する者が現れなかったことも関係していた。
そう、特別初等部構想に反対の声を上げる者は、ただの一人もいなかった。ミーアの公約は、静かな反感を持って、受け止められたのだ。
――誰も反対の声を上げない。それが、逆に恐ろしいところですわね。絶対に、心の中で反対している方もいるでしょうし、頓挫させたい方もたくさんいるんでしょう……。
そんな彼らが黙っているのは、一つにはミーアの持つ絶大な権力が怖いから。
そして、もう一つは、特別初等部構想が道義的に“正しい”ものだったからだ。
各国の孤児たちに、より良い教育を施すこと。それは、紛れもない慈悲であり、道徳的に全く正しいこと。ゆえに、それは何者の反論も許さないある種の正論……ではあるのだが。
――総じて、そういうものほど反対者からは嫌われるもの。きっとちょっとしたことでも揚げ足を取ろうという者がいるはずですわ。
絶対な力で押さえつけた意見は、その力関係が崩れた時、容易に吹き上がる。
そして、正論によって押さえつけた意見は、その“正しさ”が揺らいだ時、止めどもなく湧き上がるもの。
正直、ミーアとしては今の状態は決して望ましいものではないが……。
――こうなってしまった以上、仕方ありませんわ。ここは、文句のつけようのないように、完璧に事を進めていくしかありませんわ。今日は午後から、特別初等部の講師と打ち合わせがありますけれど、しっかりやらないといけませんわね。うう、しかし……いろいろ考えると、お、お腹が……。うう……。
あまりの、プレッシャーに、お腹がきゅうっと痛くなり……痛くなり……痛く?
「むっ……この匂いは!」
不意に、ミーアの鼻先に、美味しそうな香りが漂ってきた。それは、チーズの焦げた香ばしい匂い。そう、ミーアは、今、食堂にいるのだ!
お腹が痛いとか思ったけど、勘違いだった! ただ、空腹を錯覚していただけだったのだ!
ちなみに、ミーアの隣には、ちょこんと行儀よくパトリシアが座っていた。
こちらは、ミーアのようにしまりのない顔をしたりはしない。その顔は、ただひたすらに、お人形のように、無機質な表情を浮かべていた。もっとも、その手は、ミーアと同じようにお腹をさすっていたりするのだが……、まぁ、それはさておき。
「五種のキノコグラタンでございます」
空腹のため、お腹をさすっていたミーアの目の前に、ホッカホカの湯気を立てるグラタン皿が置かれた。
「おお、待っておりましたわ!」
パンッと手を打って、ミーアは漂う香りに心を委ねる。
チーズの焦げた香ばしい匂いに、ミーアのお腹がクゥっと元気よく鳴った。
「今日は朝からこれが食べたくって、お勉強に身が入らなかったんですのよ?」
そう悪戯っぽい笑みを浮かべると、食堂のスタッフは深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます。最高の賛辞として、シェフに伝えさせていただきます」
そうして、食堂のスタッフが行ってしまうのを待って、ミーアはアンヌに声をかけた。
「ああ、アンヌ、申し訳ないですけど、パティのこと、気を付けてあげてちょうだい。容器がとっても熱くなっておりますから、やけどがないように」
「わかりました。ミーアさま」
その場に控えていたアンヌは、ふん、っと気合を入れて、両手にスプーンを持った。それから、パティ、ことパトリシアのグラタン皿から、もっと小さな小皿に、中身を小分けにしていく。
びよーんっと伸びたチーズを見ていると、再びミーアのお腹がクゥっと鳴った。
――あのとろーりしたチーズを、キノコに絡めて食べると、たまらなく美味しいんですわよね。
などと、思いつつ、ミーアは自らのグラタンをやっつけにかかる。
フォークで刺した大ぶりのキノコ。平べったく切ったそれに、たーっぷりのチーズと、クリームソースを絡めていく。ふーふーと息を吹きかけるも、我慢できずに、ぱくりん、っと一口。
「あふほふ……」
熱い。口の中に広がる熱。舌に絡みつくチーズに涙目になりつつも、ほふほふ、と息を吸う。瞬間、チーズの、まろやかな風味が鼻を駆け抜けていく。
コリリっと……。噛みしめるたび、心地よい音を立てるキノコ。クリームソースに彩られた淡い味わいに舌鼓を打ちつつ、次なるキノコへ。
――歯ごたえの違う五種のキノコ……このセレクトがこのお料理の肝ですわね。しかも、キノコそれぞれの特性に合わせて切り方を変えている……。このシェフ、なかなかできますわ!
異なるキノコの立てる心地よい五重奏に身を委ねることしばし……気付けばグラタン皿の中身は、見る間に減っていく。
「素晴らしい。さすがは、大陸最高峰のセントノエル学園。堪能いたしましたわ」
……別に、料理が大陸最高峰というわけではないのだが、そんな細かいことをいちいちツッコむ者は、ここにはいなかった。
そうして、一心不乱にグラタンを食べて、ホッと一息。
口の中に残る濃密な味の余韻に浸っていたところで……ミーアはふと気付く。
パトリシアが……グラタンを残しているということにっ!
「あら、パティ、お腹いっぱいなんですの?」
まぁ、体が小さいし仕方ないかな? と思うミーアだったが……。パトリシアは小さく首を振って答える。
「いいえ、ミーアお姉さま。まだ、食べられます。デザートにケーキが食べたいです」
「ふむ。ケーキは同意いたしますが、それならば、きちんと食事を食べなければいけませんわ。残さず、最後まで食べなければ……」
と、パトリシアは、不思議そうに首を傾げた。
「なぜです? ミーアお姉さま。高貴な血筋の者は、最後まで食べずに必ず残し、美味しいところだけを食べなさい、と言われています」
その答えを聞き、ミーアは思わず、クラァッとする。
――おお……それは、実になんとも、帝国貴族っぽいですわ。
クラウジウス侯爵家で育てられたというパトリシアである。その感覚が、貴族的なのは仕方ない話ではあるのだが……。
――ああ、その考え方が、帝国を滅ぼすことになるのですわね……あら?
ミーア、そこで、ふと気付く。
――そうですわ。この子は、蛇の教えを受けた者。帝国を滅ぼし、混沌へと落とすことこそが、蛇の目的のはず。であれば、このいかにも帝国貴族、という思想を教え直すことこそが、すべきことなのではないかしら。
「ミーアお姉さま?」
首を傾げるパトリシアに、ミーアは腕組みして考え込むことしばし……。やがて、一つの答えにたどり着く! それは……。
「なるほど。それは……高貴なる女性の価値観として正しいと思いますわ。けれど……皇帝の心を掴むには、どうかしら?」
「……どういう意味でしょう?」
「あなたは、皇帝に近づき、妻として、彼を堕落させなければならない。そうですわね?」
真剣な顔で見つめるミーアに、パトリシアは小さく頷く。
「では、他の令嬢に埋もれるような、普通の行動をしていてはいけませんわ。むしろ、綺麗に、意地汚く食べ尽くしてやればいいのですわ。そうすれば、皇帝の印象にだって残るに違いありませんわ!」
恋愛軍師ミーアは、ずががががーん! っと効果音を背負って言った。
「…………っ!」
一瞬の沈黙の後、パトリシアは、深い、ふかーい! 納得の顔をして、
「なるほど……とても勉強になります!」
尊敬のまなざしを向けてきた。
――ああ、すごく、チョロいですわ、お祖母さま……。
それを見て、ミーアは、してやったりな顔をする。
祖母を騙す、悪い孫娘ミーアなのであった。




