第二十七話 流れ矢に射抜かれる……キースウッド
「アベル、いったい何を……?」
「いや、それは後にしよう。今は先にミーアの話を聞くよ。彼女の正体や帰還の報告が、今日の会議の主旨じゃないんだろう?」
そう言われてしまえば、重ねて聞くわけにもいかず。気にはなりつつも、ミーアは本題に移ることにする。
「アベルの言う通り、ベルのことは、今日の本題ではありませんわ。実は、ラフィーナさまにご相談させていただいたのですけれど、セントノエル学園に特別初等部を作ろうという話になりましたの」
「特別初等部……? それは、いったい……?」
聞きなれない言葉に首を傾げるシオン。ミーアは、さて、なんと説明したものか……とラフィーナのほうを見ると……ラフィーナはちょっぴり嬉しそうに頷いた。どうやら、ミーアから説明をお願いされた、と勘違いしたらしい。
頼られたのが、ちょっぴり嬉しかったらしい、ラフィーナである。
「では、私のほうから説明するわね。中央正教会が各国に設けている孤児院、そこで、貧しい子どもたちに教育を施していることは、みなさん、ご存知かしら?」
その問いかけに、生徒会の役員たちは各々頷いて答えた。
中央正教会は、救いに関する知の独占を固く禁じている。
富む者であれ、貧しき者であれ、神の救いには等しく預かることができるよう、そんな願いのもと、神父たちが行ったのは、識字教育だった。
要は、あらゆる人が神聖典を自力で読むことができることを目的に教育を施してきたわけだが……。
「それは、確かに必要なことで、価値のあることだった。それは決して変わらないわ。でも……」
そこで、ラフィーナは、静かに首を振った。
「それで十分なのだと、私たちは勘違いしてしまった。十分なはずがないのに。もしも、それで十分だと満足してしまったら、それは、貧しさを理由に、親がないことを理由に勉学を諦めさせることになる。それだけで満足しろと、踏みつけにしたことになる」
その言葉に、アベルも、シオンも苦しげな顔をする。
「そんな弱き者たちに、蛇は近づき、仲間に引き入れる……。そして、悪を成した者たちを、私たちは裁かなければならない。それは、次の蛇を生み出す要因となる。無限に繋がるその鎖を断ち切る術を、ミーアさんは、私に教えてくれた……そうよね?」
ミーアのほうを見て、ラフィーナは続ける。
「聞いたわ、ミーアさん。孤児院で勉学を頑張っていたセリアさんという女の子を自分の学園に、招待してあげたそうね」
一瞬の沈黙の後……ミーアは神妙な顔で頷いた。
「……ええ。そんなことがありましたわね。うん」
自分だけが苦労するのはシャクだから巻き込んだだけ、などと言う不都合な真実は、記憶の彼方に放り投げてしまうミーアである。
「それを聞いた時、私は思ったの。そうか、そんな方法があったんだって」
「なるほど。蛇を生み出す温床を潰す。その温床すらも味方にしてしまい、将来の禍根の芽を摘み取ろうと、そういうことか……。それは確かに効果的な方法なのかもしれないな」
鋭い表情で頷くシオンと、力強く頷くラフィーナ。みなに納得の表情が広がっていくのを横目に、ミーアは考える。
――まぁ、この調子ならば、生徒会の方たちを説得するのは、そう難しくもないでしょうけど、問題はやっぱり、ここにいない方たちですわね。さて、どう説得したものか……。
そんなことを考えつつ、ミーアはフォークを伸ばそうとして……愕然とする!
つい先ほどまで、目の前にあったカッティーラ。それが……完全に消えていた!
――まっ、まさか……っ!
慌てて、お腹をさすったミーアは、思わず頭を抱える。
――ああ、やってしまいましたわ。またしても……。甘い物を食べ過ぎてはいけないと、昨日もアンヌに言われておりましたのに……。タチアナさんにも、怒られてしまいますわ。
無意識に食べているとは、恐ろしい現象だ……などと思った時、唐突に……ミーアの脳裏に閃くものがあった!
――ああ……そうか。そういう……ことでしたのね。
耳に甦るのは、低く穏やかな声。料理長の、声だった。
「お食事を食べずに、お菓子だけを食べてはいけません」
自身を諫める声、その言葉の意味が、ようやくわかった。
なぜ、お菓子を食べ過ぎるな! ではなく、食事を食べてから……なのか?
それは……。
「お菓子の食べ過ぎを防ぐためには、お菓子を食べさせなければいいというわけではない……。空腹であれば、たとえ禁じられたとしても、お菓子に手が伸びてしまうものですものね」
だからこそ、料理長は言ったのだ。食事を食べずに、お菓子を食べたらいけない、と。
「お菓子の食べ過ぎを防ぐためには、体に良い食事を食べさせ、満腹にさせてしまえばいい。そうすれば、そうたくさんは、お菓子は食べられない」
じんわーりと頭の中にしみこんでいく納得感に満足しつつ、顔を上げたミーアは……。
「……はぇ?」
思わず、瞳を瞬いた。
なぜなら、みなが、目を丸くしてミーアのほうを見ていたからだ。
「ミーアさん……」
いち早く、冷静さを取り戻したラフィーナは……直後に、愛のない自身を恥じた。
――やっぱり、ダメね……私……。
ラフィーナの目に映っていたのは、あくまでも、蛇に対する効果的な手段だ。
蛇の教育を受けた者に対する再教育、蛇から遠ざけて、悪しき者にならぬよう、悪から遠ざからせる。そのための、効果的で、効率的で、合理的な手段と、ラフィーナは考えていたのだ。
けれど……ああ、けれどなのだ。
それは、決して、ミーアの欲するところではない。
ミーアにとって蛇への対策よりも、もっと重視すべきことが、ほかにあるのだ。
国を担う優秀な人材を育てること? 未来を担う子どもたちに、忠誠心を植え付けること?
否、そうではない、とミーアは言う。それは、ただの結果に過ぎないのであると……。
彼女は言うのだ。
「良い食物で、子どもの腹を満たせ」と。
それこそが、大切なことだ、と。
彼女の目が捉えるのは、あくまでも、子どもたちのこと。
子どもたちをどう扱うか、そのことだけだった。
それは慈愛に満ちた視点。ラフィーナは、その視点が、自分には欠けていることを自覚する。と同時に、思わず嬉しくもなってしまう。
ミーアと友だちになれたことが、今は、とても嬉しい。
彼女の持つ優しさを、学び、自分もまた、持ちたいと思う。
「子どもを悪の道に染めないためには、悪から遠ざけるのではなく、良いもので満たせ……と、そういうことなのね……ミーアさん」
かすかに震える声でつぶやくラフィーナに、ミーアは……。
「はぇい……」
なんだか、気の抜けたような返事をするのみだった。
この時のミーアの言葉は、後に一つの格言を産むことになった。
「あなたの子どもの皿から、悪しき食べ物を取り除け。されど、その子を空腹でいさせてはいけない。ゆえに、その皿に良き食べ物を山のように盛り、子の腹を満たせ」
というこれは、法秩序の大切さを教えた「少年少女よ、法志を抱け」と並んで、教育者ミーアのポピュラーな格言として広まっている。
(……ちなみに、そちらの格言は、子どもたちをキノコ狩りに連れて行った際に言った言葉として知られている)
ともあれ、生徒会のメンバーの了解を取り付けたミーアは、無事、特別初等部の設立へとこぎつけることになるのだった……。
――変わらないな、ミーア姫殿下は……。
一方で、一連の流れを見ていたキースウッドは、ミーアの言葉に納得感を覚えていた。
――国の別に関わらず、その人間が持っている才を開花させることなく枯れる……それを、ミーア姫殿下は許せないんだ。
彼女の示した指針、それは剣術大会の際にキースウッドが見出したミーアの本質をなぞるものだった。
――思えば、ミーア姫殿下ほど、子どもの教育に向いている方もおられないかもしれないな。
などと、ミーアに感銘を受けるキースウッドであったのだが……。
「あ、そうだわ。ところで、キースウッドさん」
不意に、ラフィーナの明るい声が、耳に届いた。
「はい。なんでしょうか?」
主であるシオンではなく、自身に声がかかったことに、彼は危機感を覚えるべきだった。
けれど悲しいことに、この時の彼は、ミーアの言葉に感動し、注意力が若干、散漫になっていた。
そんな彼の油断、それはさながら、堅牢な鎧に開いた隙間……そこに、容赦なく、ラフィーナの刃が滑り込む!
「馬型のサンドイッチというのを、ミーアさんにお勧めされたのだけど……」
「………………はぇ?」
思わず、口からおかしな声が出てしまうキースウッド。そんな彼にラフィーナの追撃が迫る!
「聞いたわよ? キースウッドさんに手伝ってもらったって。ものすごく、お料理が上手なんだって、ミーアさん、とっても褒めてたわ」
思わず、ミーアに、ちょっぴーり殺気のこもった視線を向けてしまう、と、ミーアは……「しっかり、評価しておきましたわ!」などと、力強く頷いてみせた!
――まぁ、そうなんですがね? 普通は額に汗したことを評価してもらったら、嬉しいんですけどね!? くそったれ!
ぐぬぬ、っと葛藤にあえぐキースウッドに、ラフィーナは、聖女の笑みを浮かべて言った。
「今度、その作り方を伝授してもらいたいの。できれば、お手伝いも……。お願いできるかしら?」
聖女の笑みが……どこか邪悪な笑みに見えるキースウッドである。さらに、
「ええ、構いませんよ。しっかり頼むぞ、キースウッド」
シオンも快諾してしまう。その爽やかな笑みに、思わず、殺意にも似たナニカを抱きそうになるキースウッドである。
――ぐぅ、し、仕方ないとはいえ……これは……。
かつて、一人で二匹の狼を相手にした時と同様の死地……圧倒的なプレッシャーに思わず腹をさすりながら、キースウッドはうぐぐっと唸る。
――ああ……ちくしょう! サフィアス殿……うらやましいなぁ!
今はここにいない友を思う、キースウッドであった。




