第二十五話 ミーア議長、もぐもぐと会議を取り仕切る
部屋に入ってきたベルは、みなの顔を見て、深々と頭を下げた。
「ベルさま、お久しぶりです!」
笑顔でベルに歩み寄ったのは、ティオーナとリオラだった。サンクランド旅行の際にすっかり仲良くなった彼女たちに、ベルは輝くような笑みを浮かべる。
「お久しぶりです。ティオーナおば……、ティオーナさま。リオラさん」
さらに、
「ご無沙汰しています。ベルさま」
次に声をかけたのはラーニャだった。彼女とは、一緒にダンスレッスンをした仲である。ベルは親しげな笑みを浮かべて、その手を取る。
「お久しぶりです。ラーニャさま。ダンス、練習してますか?」
「ああ、ええと、時々……かな?」
「ふふふ、ボクもです。ついうっかり」
そうして二人は、悪戯がバレた子どもみたいに笑いあう。
ベルを中心にして生まれた温かな空間に、ミーアは思わず、微笑ましい気持ちを抱いてしまう。
その光景が、未来でベルがどのように扱われているのか、表しているように見えたから。
――そうか。この続きにあるのが、ベルの生きる未来なんですわね……。
そうして、ちょっとした満足感に浸っていたミーアだが、ふと気付く。
未だにアベルが、言葉を失い、立ち尽くしていることに。
――ああ、そうでしたわね。アベルは、混乱しても仕方ないですわね。早く、説明させなければ……。
ベルのほうを見て、声をかけようとしたところで、
「君は……何者だ?」
鋭い声が、温かな空気を切り裂いた。
誰何したのはシオンだった。いつもは涼やかな色を湛える瞳に浮かぶのは、疑惑の色だった。
「アベルから聞いている。君は、蛇に殺されたはずだ……」
その言葉に周りの者たちは、一様に驚きの表情を浮かべる。対照的に、シオンが浮かべるのは驚きではなく、現実的な警戒の色だった。
それも仕方ないことかもしれない。なにしろ、殺されたはずの人物が目の前に現れたのだ。怪しく思わないはずがない。
そして、そういうよからぬ陰謀を好むモノのことを、ミーアたちはよく知っている。
「もしも、君がベル嬢の偽物で、悪辣な蛇の策謀の一部なのだとしたら……我が友、アベルとミーアを愚弄するその行い、とても許せるものではないが……」
静かなる怒りを露わにするシオンを制したのは、じっと黙ってベルを見つめていたアベルだった。
「……シオン。間違いない。彼女は、ベル嬢だ」
「アベル……?」
怪訝そうに眉をひそめたシオンに、アベルは口元に疲れた笑みを浮かべた。
「いや、大丈夫。ボクは正気だ……。いや、まぁ断言はできないけれど、少なくとも、自分の正気を疑える程度には、まだ冷静だと思う」
ため息を吐き、それから、ベルのほうに改めて視線を向ける。
「一瞬、姉の罪を軽くするために、彼女が生きていたと思い込もうとしているのだと思った。その感情が強すぎて、ボクの目を曇らせているんじゃないかと疑った。でも……」
アベルは静かに、ベルのほうに歩み寄った。
「ボクにはわかる。彼女は、ボクたちの知っているベル嬢だ」
確信のこもったアベルの言葉に、ベルは嬉しそうに頷いた。
「さすがは、アベルお祖父さま。わかっていただけて、嬉しいです」
ニコニコと笑うベルに、アベルは小さく首を傾げた。
「えっと、お祖父さま……? それは、いったいどういう意味かな?」
ベルは一度、ミーアのほうに目を向ける。ミーアは深々と頷いて、
「とりあえず、みなさん、一度、テーブルへ。続きはお茶をいただきながら話しましょう。少し難しい話になりますし」
それから、ミーアは、そっとテーブルの上。お皿の上に置かれた黄金色の焼き菓子へと視線を注ぐ。
――難しいお話ですし、美味しいお菓子が必要ですわ。
ごくり、と喉を鳴らしつつテーブルにつき、それから小さく咳払い。その後、
「さ、ベル。改めて名乗りなさい。それが皇女としての礼儀というものですわ」
ベルは、その言葉を吟味するように、小さく目を閉じ、そして口を開いた。
「ボク……いえ、私はミーアベル。ミーアベル・ルーナ・ティアムーン。栄光ある帝国の叡智、ミーアお祖母さまの孫娘です」
堂々たる名乗り。帝室の姫に相応しい、堂々たる気品あふれる態度で静かに目を開ける。長いまつ毛の奥、知性の光を湛えた瞳が、その場に集う一同を見つめた。
彼女の放つそれは、紛れもなく姫の気品。皇女の空気。
それが――次の瞬間……呆気なく霧散するっ!
どうだぁっ! っとばかりに調子に乗った笑みを浮かべ、胸をむんっと張った瞬間に!
渾身のドヤァ! 顔を披露したベルは、みなの反応の鈍さに、すぐに不安そうな顔になる。
「あ……あれ?」
キョトキョトと周りを見回して……。
「あ、ええと、つまりですね……。ボクは、未来の世界からやってきたんです」
今度は、ちょっぴり困った顔で言った。
――ふぅむ、名乗りの時には風格がございましたのに、いまいち長続きしませんわね。ベルも……。
などと思いつつ、ミーアはもぐもぐ、カッティーラを味わう。あまぁい砂糖の味、生地の表面に固まったカリッカリの砂糖の感触が、なんとも美味しくって……。味覚に走った甘美なる刺激が、ミーアの脳みそを覚醒へと誘いつつあった。
「未来の世界……? ミーアの孫娘、だって……?」
はじめに冷静さを取り戻したのは、アベルだった。
「そう言われれば確かに、ミーアの面影があるような気がするが……。そうか。そう考えると、ミーアの反応も……」
ベルの顔を見つめたまま、感慨深げにつぶやくアベル。だったが、
「そうか。君はミーアとアベルの孫娘だったのか。もしかすると、その名前は、ミーアとアベルとを合わせたものなのかな?」
シオンの言葉に、んっ? と顔を上げる。
「どういうことだい?」
「いや、彼女の名前だよ。ミーアベルというのは、ミーアとアベルを合わせたものなのでは、と、ふと思ってな」
苦笑いを浮かべるシオン。刹那、ピンと来たのか、アベルは深々と頷いた。
「なるほど……言われてみれば……」
っと、彼らの視線を受け、ミーアはわずかに狼狽える。
自らの、ちょっぴりアレなネーミングセンスが、みなの前でバレてしまいそうになっているからだ。が……。
「ふふふ、君のご両親は、ミーアとアベルのことを素直に慕っていたのだな」
そう笑ったシオンに、ベルはニッコリ笑みを浮かべる。
「はい。ボクのお母さま、ミーアお祖母さまと、アベルお祖父さまのことが大好きでした」
「と、ともかく、ですわ。この子は、わたくしの孫娘。未来からやってきた孫娘なんですの」
ミーアは慌てて割り込んだ。これ以上、余計なことを言われないように、と。
――しかし、これ、よくよく考えると、信じてもらえなかったら、説明のしようがないですわね……。
などと思うミーアだったが、みなは、特に疑う様子を見せなかった。むしろ、
「そうなんですね、私、全然わかりませんでした。確かに言われてみればミーアさまに似ておられますね」
気付けなかったことを恥じるようなクロエと、
「ペルージャンで縁の方だとは聞いてましたけど……そういうことだったなんて。気付けませんでした」
どこか悔しそうなラーニャである。他の者たちも大体同じような反応を見せていた。
「では、前の時に矢で射られた君は……?」
「ええと、詳しい説明は難しいので省きますが、前に来たボクというのは、ボクがいる未来とは別の未来から来たボクで、確かに、蛇の廃城で死にました。でも、その時のボクの魂は、ミーアお姉さまがこれから築く予定の未来に飛ばされて、そこで、今のボクと統合された感じ……でしょうか」
日記の文章は書き換わる。命を持たぬ物質も歴史の因果から逃れることはできず、それゆえ、それが存在していた未来が消えた時点で消えていく。
だから、ベルも命を失った時、その体は物と化し、彼女がいた未来世界の消失に合わせて消えてしまったのだ。
ただ唯一、消えることのないのが魂。あるいは、それに刻み込まれた記憶だった。
揺らぎによっていくつかに分かたれた魂は、いずれ最も濃い時間線の魂へと収束していく。そして、その時に行われる記憶の継承こそが夢……。
なぁんて、説明を始めようとしたベルを、ミーアは慌てて止める。
時間線の『揺らぎ』などという話が出始めた時点で、さすがに、ついていけずに戸惑う者たちが多かったから、それを気遣って……ではない。
戸惑う者たちに、ミーアが質問を受けるのを避けるためだ。
どうも、生徒会の一部の者たちは、とりあえずミーアに聞けばなんでも教えてもらえると思っている節があるようなのだが……ミーアとてベルが何を言っているのか完全には理解していない。
なんだったら、今話を聞いている者たち以上に理解できていないかもしれない。
ということで……。
「まぁ、難しい話は良いですわ。ともかく、ベルはわたくしの孫娘であり、ここでの生活の記憶をすべて持っている。あの時のベルとだいたい同一人物である。そういうことでよろしいですわね?」
聞かれても答えられる事実だけ告げる。
それ以上のことは、どうでもいいことだと、聞いても仕方のないことだと質問の範囲を制限したのだ!
生徒会長ミーアの、議長としての手腕が冴え渡る!
……よく見ると、ミーアの目の前に置かれていたお皿の上に置かれていたカッティーラはすでに消えていた。
英気十分、糖分を補給したミーアの、議長としての手腕が冴え渡る!