第二十二話 一味違うミーア姫
「……さて、と」
楽しいお茶会は夕食前にはお開きになった。
その後、食事をとり、もろもろの就寝準備を終えた頃には、パトリシアはすでに、うとうとしていた。ベッドに入るよう促すと、すぐに、くーくーと可愛らしい寝息が聞こえてきた。
慣れない場所にいきなり連れてこられたので、疲れたのだろう。
静かに目を閉じ眠る姿は、年相応の幼子のように見えた。
――起きている時にはお人形みたい、と思いましたけれど……あれはもしかしたら、この子なりの仮面だったりするのかしら?
表情を読み取られないように、あえて意識的に無表情を作る。蛇が教えそうなことだった。
ミーアは、それから、隣のベッドに目をやった。そちらにはベルが、スースー寝息を立てていた。どうやら、ベルも、シュトリナとリンシャの相手で疲れてしまったらしい。
そんな二人を見て、ミーアもつられるように、ふわわむ、っとあくびをする。けれど、まだ眠るわけにはいかない。なぜなら……。
「アンヌには、きちんとベルのことを話しておかなければなりませんわね……」
アンヌとエリス、それにルードヴィッヒ。
少なくともその三人には、ミーア自身の口から、ベルのことを話しておきたかった。そうしなければいけないんじゃないかと思うのだ。
――孫娘が世話になったわけですし……わたくしの口からお礼を伝えておかなければいけませんわ。それと、ルードヴィッヒには知恵を借りなければなりませんし……。
『時間線の揺らぎ理論』という仮説を組み立てたルードヴィッヒである。祖母であるパトリシアのことを合わせて説明すれば、より正確な理論を組み立ててくれるかもしれない。
――たぶん、ベルがいた歴史では、そのお願いをするのはもっと先のことだったのでしょうけれど……。
すでに、ベルの知る歴史からも微妙に事情は変わってしまっている。パトリシアの出現により、流れが変化したことは明らかで。だからこそ、使える者は何でも使い、より正確な情報を把握しておくべきだろう。
というか、より頭の良い人に全貌を把握してもらっておいて、危機を回避する必要があるのではないか? と考えるミーアである。
まぁ、それはさておき……。
「アンヌ、ちょっと、ここに座ってくださらない?」
そう言って、ミーアはポンポンっとベッドを叩いた。
「はい……。なんでしょうか?」
不思議そうに首を傾げるアンヌに、ミーアは極めて真面目な顔で言った。
「ベルのことを、お話しなければなりませんわ」
そうして、チラリとベッドで眠るベルを見る。穏やかな……というか、ちょっぴり緩んだ寝顔の孫娘である。皇女たるもの、そんな隙だらけの顔を見せるもんじゃありませんわ……などとつぶやきつつも、ミーアはアンヌに目を向ける。
「アンヌ、信じてもらえるかはわかりませんけれど……ベルは、わたくしの孫娘なんですの」
ミーアは、アンヌの目を真っ直ぐに見つめながら言った。
「…………へ?」
きょとん、と瞳を瞬かせてから、アンヌは慌てた様子で言った。
「え、えっと……それは、どういう意味なんでしょうか?」
「そのままの意味ですわ。あの子はわたくしの孫娘。どうやって過去に来たかと言われると、なかなかわたくしにも説明しがたいのですけれど、それでも紛れもなく、わたくしの大切な孫娘なんですの」
そうして、ミーアは話し出す。ベルの秘密、アンヌに受けた恩の話を……。
「あの子は、前に来た時には、恐ろしい世界からやってきましたの。帝国が滅んでしまう、恐ろしい未来ですわ。わたくしも、ベルの母も死んでしまって、誰も味方がいない、そのような中であなたとあなたの妹のエリスは忠義を尽くし、あの子の母親代わりをしてくれた」
思えば……とミーアは改めて感慨にふけってしまう。
祖母、孫ともにアンヌには返しきれない恩義があるのだなぁ、などと思う。
地下牢で見せてくれた忠義と、ベルに与えてくれた愛情……。アンヌには本当に返しきれない恩ができてしまった。
そんな思いを胸に、ミーアは静かに頭を下げる。
「アンヌ、改めて言いますわね……。ベルがお世話になりました。あなたとエリスに、あの子は返しきれない恩がございますわ。もちろん、それは、わたくし自身もですけど……。本当に、本当に感謝いたしますわ」
ミーアの話を黙って聞いていたアンヌは、小さく息を吐いた。
「それで、その、今のベルさまは……」
「ええ。あの時、矢で射られたベルは、それをきっかけに未来に帰った。そこは、わたくしたちが変化させた別の未来。だから、大丈夫ですわ。だってあの子、とっても元気ですもの」
未来がどのようになったのか、詳しく聞くことはできていない。それに、もしかしたら、ベルは教えてくれないかもしれない。
でも、ベルの顔を見ていればわかる。ベルが、こちらの世界にいた時と同じぐらいには、幸せなのだろうな、ということが。
「わかりました。ミーアさま。あ、えっと、もちろんわからないこともありますけど、でも、大切なことは、伝わりましたから」
それから、アンヌは胸に手を当てて、
「私とエリスがミーアさまの……ベルさまのお役に立てたなら、よかったです」
いつもと変わらない、穏やかで優しい笑みを浮かべるのだった。
「では、ミーアさま、私は床で寝られるよう準備を……」
話も一段落したところで、アンヌが立ち上がろうとした。そんなアンヌの手を掴み、ミーアは静かに首を振る。
「ああ、アンヌ。今日はわたくしのベッドで寝ると良いですわ」
「え……? そんな、ミーアさま……」
戸惑うアンヌに、ミーアは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「たまにはよろしいではありませんの? あなたはわたくしの腹心なのですし、床で寝かせるなんてこと、絶対できませんわ」
「でも……」
「いいから。ほら、寝ますわよ」
「きゃっ、ちょ、ミーアさま!」
ぐいぐい、っとアンヌの手を引き、ベッドに引き込むミーアであった。
そうなのだ。高等部に上がったミーアは一味違うのである。
大恩あるアンヌを床に寝かせて、風邪でもひかれたら一大事。身分の差など関係ない。ぜひともアンヌにはきちんとベッドの上で寝てもらわなければ、と使命感に燃えるミーアである。
今夜はどうしても一緒に寝てもらわなければ、と……切迫感に背中を押されるミーアである。
ちなみに……言うまでもないことではあるが、ミーアは、別にラフィーナとの会合で、ちょっぴり怖い話を聞かされたから、アンヌをベッドに誘ったわけではない。断じて違うということだけは、ミーアの名誉のために明記しておきたい。
別に夜、一人で寝るのが怖いから、とか、そんなことは本当にない。断じてない!
高等部に上がったミーアは一味違うのである!
活動報告更新しました。舞台の初日に行ってきたということで。