第二十一話 ミーア姫、いわれなき誹謗中傷を受ける!
ラフィーナとの打ち合わせの結果、生徒会の会合が翌日に持たれることになった。
そこで、ベルのことについての説明と、特別初等部のことを相談することになったのだ。
なにしろ、それは、ただの弱者救済というわけではない。それは『混沌の蛇』を生み出す土壌に対する働きかけだ。上手くいけば、あの破壊者たちを生み出す連鎖を食い止めることができるかもしれないのだ。
生徒会の関係者には、しっかりと協力してもらう必要がある。他の生徒たちが賛成するような雰囲気を作れるよう、動いてもらわなければならないのだ。
途中、スイーツ談義に、ホラー談義に、とキャッキャひぃい! な楽しい雑談を交えつつも、しっかりと決めることは決める。
緩急のついた会談はミーアの成長の証だろうか? それともラフィーナがミーア色に染まりつつある証か?
「いずれにせよ、蛇に対する対策という点を前面に押し出していけば、事情がわかってる方たちは反対しないでしょうし、パトリシアの面倒を見ることの言い訳もできる……。ふむ、いろいろと想定外のこともございましたけれど、まぁ、上手くいったのではないかしら?」
うんうん、と頷きつつ、ふと思う。
安直にパトリシアをラフィーナに預けた場合、なぜ、現在に揺らぎが生まれたのか……? と。
「今のラフィーナさまであれば、そう悪いことにはならなかったでしょうに……妙ですわね。もしや、わたくしがしなければいけないことが……なにかあるということかしら?」
まだ、頭に糖分が残っているおかげか、ミーアの頭脳はいつになく仕事をしているようだった。
そうして、思案に暮れつつも、ミーアは自室へと戻ってきた。
「あ、ミーアおば……、お姉さま、お帰りなさい」
扉を開けると、明るい笑みを浮かべたベルが、出迎えてくれた。
「ええ、ただいま帰りましたわ……って、ちょっと狭いですわね……」
部屋のテーブルの周りには、ベルとリンシャ、アンヌとパトリシア、それにシュトリナの姿もあった。
「リーナさんも呼んであげたんですわね」
「ええ。私がお声をかけて差し上げました。せっかくですから……」
リンシャは上機嫌に言った。
「ふふふ、ありがとう、リンシャさん。こんな楽しい会に呼んでくれて」
いつも通りの可憐な笑み……ではなく、無邪気な年相応な笑みを浮かべるシュトリナ。どうやら、本気で呼んでもらったことを喜んでいるらしい。
意外なことに、というべきか、リンシャとシュトリナの仲は悪くない。
それはベルという共通項があるから。あるいは……ベルを喪失した痛みを共有した経験から……、だろうか。
ベルがいなくなって、落ち込むシュトリナを一番心配していたのは、ほかならぬリンシャだった。そんなリンシャを、ミーアは当初、イエロームーン家のメイドに推薦しようと思っていた。
シュトリナ付きのメイドにしてやれば、シュトリナを立ち直らせるのを手伝ってもらえるかもしれない、と思ってのことだったが……。
リンシャは首を振りながら、言ったものだった。
「……ミーアさま、お忘れかもしれないですけど、私は、シュトリナさまのところのメイドに頭をかち割られたんですよ? それも、シュトリナさまにおびき寄せられて……。そんな方に仕えると思いますか?」
どこかあきれ顔で、肩をすくめつつ、リンシャは続ける。
「それに、あの子の……ベルさまとのかかわりが深かった人間が近くにいたら、いつまでたっても思い出してしまいますから。それはつらいと思います」
それは、シュトリナのことを思いやると同時に、自分自身のことを語る言葉でもあったのかもしれなかった。
ともかく、ベルのことを悲しみ、心から寂しがっていた二人だったから、ベルが帰ってきた時の喜びもまた、共有できたのだろう。
っと、シュトリナが立ち上がり、そばまで歩いてきて……マジマジとミーアの顔を見つめた。
「……ど、どうかなさいましたの? リーナさん」
「いえ……。まさか、ミーアさまがお友だちのお祖母さまだなんて、思ってもいなかったので。つい……」
わずかに声を潜めたのは、アンヌやパトリシアがいたためだろう。シュトリナはものすごく真面目な顔でミーアを見つめてから、
「その……お体に異常はありませんか? ミーアさま、しっかりと丈夫なお世継ぎを産めますよう、滋養強壮のつくものを……」
などと、たいそう真剣な口調で言うのだった。
「ええ……リーナさん、お心遣いだけ頂戴しておきますわ」
ミーア、若干引きつった笑みを浮かべつつ、それを受け流し、それから、改めてベルのほうに目を向けた。
「ところで、ベル。ラフィーナさまと相談してきましたけれど、生徒会でベルのお帰りなさいの会をすることになりましたわ。そこで、あなたの事情を話してもらおうと思っているのですけど、それで大丈夫かしら?」
大丈夫……その言葉に込められた意味を吟味するように、ベルは一度、口の中でつぶやいてから……。
「はい。わかりました。大丈夫です、予定通りだと思います」
予定通り、すなわち、ベルの秘密は生徒会内で共有されるということ……。会合の中で明かされるということ。
確認せずに決めてしまったので、いささか心配していたミーアだったから、ベルの返事には安堵の吐息を吐く。
「よかった。そうなんですのね。あ、それと、パトリシアのことなのですけど……詳しいことは省きますけれど、パトリシア、あなたにはこのセントノエルで、特別初等部に通っていただくことになりますわ」
っと、それに反応したのは、パトリシア本人ではなく、ベルのほうだった。
「……特別、初等部……ですか?」
ベルは、どこか混乱した様子で首を傾げた。
「……妙ですね。セントノエルにそんなのがあるって、聞いたことありませんけど……」
むぅうっと眉間に皺を寄せてから、ベルは一冊の、分厚い手帳のようなものを取り出した。
「あら……? それは?」
「はい。ルードヴィッヒ先生の日記帳です」
「まぁ、ルードヴィッヒの……」
途端に、興味津々に前のめりになるミーアである。いったい、あのクソメガネがどんな日記を書くのか、気になってしかたなかった。のだが……、ベルの口から出たのは、単なる好奇心を上回る驚きの事実だった。
「しかも、揺らぎによって夢と現実が入れ替わった時のためにって、夢の記憶も現在の記憶もぜーんぶ書き記してあるんだとか……」
「ほう! ……ということは?」
「前の皇女伝の時にも、記述が書き換わっていましたが、今回は、夢と現実、どちらも記録してありますから、より正確に歴史の動きを観測できるんじゃないかって、ルードヴィッヒ先生、言ってました」
なぜだか、ドヤァッと胸を張るベル。対して、ミーアも思わず感嘆の声を上げてしまう。
「なんと! そんな便利なものがあるのでしたら、ぜひ、わたくしも読ませ……あら?」
目をらんらんと輝かせるミーアにベルは……、なぜだろう、日記帳を胸に抱えて、一歩引いた。
「どうしましたの? ベル、ほら、わたくしにも、早く……」
「ええと、こういうものを見せると、もしかするとミーアお姉さまがサボって油断してしまうかもしれないって言われてますから……」
「まっ! 誰がそんなことを? 許せませんわね、そのような誹謗中傷をどこのどなたが……」
「はい、その……未来のミーアお祖母さまが……」
「なっ……!」
ミーアが未来の自分を信用していないように、未来のミーアもまた、過去の自分を信用していなかった。
変わらぬ自らの姿勢に、ミーアは思わず感銘を受けてしまう。
――そう、人とは悲しいほどに変われない生き物なのですわね……。
などと、心の中でつぶやいている間にも、ベルは手帳をササッと確認。
「……やっぱり、書いてませんね。うーん……」
「まぁ、パトリシアが現れなければ、そういう話にはならなかったでしょうから、おかしくはないと思いますけれど……」
ふと目を向けると、パトリシアは黙ってミーアたちのやり取りを見つめていた。
気にはなっているのだろうけれど、その口からは一切、言葉が発せられることはなかった。
一瞬、そのことに違和感を抱くミーアであったが……その答えをすぐに見出した。
パトリシアの、小さくも可愛らしい唇、そこについたクッキーの破片を!
――なるほど。美味しいクッキーでしたしね。テイスティングに夢中になるのは、よくわかりますわ。口の中のクッキーの風味を逃さないために、できるだけ口を開けたくないというのは、よくわかりますわ。
心なしか満足げな顔でクッキーを味わうパトリシアに、ミーアは、確かな血の繋がりを、感じずにはいられなかった。




