第六十二話 ミーアのため息
「シオン王子、ボクになにか用かな?」
不思議そうに首を傾げるアベルに、シオンが言った。
「遅くなったが、兄君への初勝利おめでとう」
「ああ、それはわざわざ、ありがとう」
屈託のない笑みを浮かべるアベルに、シオンは小さく頭を下げた。
「そして、俺は君に謝らなければならない」
「? なんのことだい?」
首をかしげるアベルに、シオンは続ける。
「俺はてっきり君が負けるものと思っていた。君と兄君との実力の差は明らかだと思っていたからな」
――まぁ! なんて失礼なっ! アベル王子があんなダメ兄に負けるはずがありませんわ!
ミーアのシオンに対する好感度が下がった。
しかし、アベルは、シオンの言葉に苦笑いを浮かべる。
「その見立ては正しいと思うよ。ボクが勝てたのは運が良かったのさ。シオン王子のような実力で勝ち進めたわけじゃない」
――まぁ! なんて謙虚な!
ミーアのアベルに対する好感度が上がった。
「運という要素は大事だよ、アベル王子。俺だって実力だけで勝ってきたわけじゃないさ」
――まぁ、当たり前ですわ。あなたが勝ってこられたのは、当然、運が良かっただけですわ!
ミーアは同意した。
「シオン王子にそう言ってもらえるとは、光栄だ。誇らしいよ」
――そんなことありませんわ、アベル王子。こんな奴に認められたからって、大したことございませんわ!
ミーアは反対した。
「なんにせよ、次の試合、いい戦いにしよう」
そう言って、シオンは手を差し出した。その顔には余裕の笑みが浮かべられていた。
熱い男の子同士の友情である。
ミーアの隣に座るクロエから、
「……素敵」
などと言うため息がこぼれる。
アンヌもティオーナも、対戦を前にした二人の王子に、うっとり見とれている。
ちなみに、リオラはサンドイッチの中の肉の焼き具合を調べて満足げにうなずいている。ぶれない少女である。
そして、ミーアもまた、そんな男子の熱い友情になど興味はなかった。
むしろさっきまで良い雰囲気だったアベル王子をシオンにとられたようで、不機嫌になっている。
ぷくーっと頬をふくらませ、不機嫌そうにサンドイッチをかじる、ちょっぴり心が狭い皇女殿下である。
中身が二十歳の女性だと思うと、心が狭いというかなんと言うか……。
――せっかく、アベル王子がわたくしのサンドイッチを褒めてくださっていたのに、邪魔しないでほしいですわ!
そう思い、ミーアは、くぃっと軽くアベルの服の裾を引っぱった。気づいたアベルが振り向いたのを見て、その目をじっと見つめて訴える。
――わたくしのサンドイッチ、もっと褒めてくださってもよろしいんですのよ……?
実に、こう……、ウザいミーアであった。
シオンから差しだされた手に対して、アベルはいつも通り、当たり障りのない笑みを浮かべた。
敵を作らないための笑み、誰からも悪印象を抱かれないような、ただそれだけの笑み。
そんな笑みを浮かべて言うのだ。
「いい勝負をしよう」と。
「どこまでできるかわからないが、胸を借りるつもりで精いっぱいにやるつもりだ」と。
負けた時の事を考えて……。負けても、自分が傷つかないように予防線を張って。
それが、アベルの処世術。体に染みついた、幼い時からの生き方だ。
けれど……、そこで、くいっと、服が引っぱられるのを感じる。
――うん? なんだ?
振り返ると、ミーアが服の裾を掴んでいるのが見えた。
じっと見つめてくる瞳、美しい瞳には真剣な光が灯り、まるでなにかをアベルに語りかけているかのようだった。
――あなたは強いですわ、アベル王子。
アベルの脳裏に響くのは、先ほどミーアから言われた言葉だった。
彼女は言ったのだ。
あなたは強い、と。
自信を持て、と。
必ず勝てる、と。
彼女は言った、言ってくれたのだ。
――ならば……、ボクは。
勝たなければならない、とアベルは思った。
彼女の言葉をウソにしてしまわないように。
信じてくれた彼女の気持ちを無駄にしないために。
「覚悟してもらおうか、シオン王子」
気づけば、アベルは言っていた。
その声には、アベルが今まで生きてきて、一度も経験がないぐらいの、決意が込められていた。
「覚悟してもらおうか、シオン・ソール・サンクランド」
「うん?」
不思議そうに首をかしげたシオンに、アベルは告げる。
「ボクは、アベル・レムノは、君に負けるつもりはない」
その、堂々たる宣戦布告に、シオンはにやり、と挑戦的な笑みを浮かべる。
「そうか。大歓迎だ、アベル・レムノ王子。君を全力で倒すことをここに誓おう」
そんな熱いやり取りに、クロエ、アンヌ、ティオーナの三人は、ほぅっと熱い吐息をこぼして、リオラは、自分の作った焼肉の美味しさに、ほぅっと熱い吐息をこぼして……。
――わたくしの、サンドイッチの話題は……?
ミーアは、なんとも悲しげなため息をこぼすのだった。