第二十話 令嬢トークは終わらない
――ふむ、上手く片付きそうでなによりですわ。
ミーアは、心地よい満足とともに、お皿の上に残った最後の二枚のクッキーを眺める。
――お話も上手くまとまりましたし、クッキーもあれが最後の二枚。どちらも、もめずに済みそうですわね。
あれが一枚しか残っていなかったら一大事だった……などと、ペロリと唇を舐めたところで……。
「そういえば、ミーアさん、私、すっかり誤解してしまっていたわ」
ふと、ラフィーナが言った。
「はて……? なんのことかしら?」
首を傾げつつも、ミーアの意識は、すでにクッキーに持っていかれている。
なにしろ、最後の一枚である。
これから先、ずっと食べられないわけではないにしても、しばしの別れであることは変わらない事実。
しっかりと味を、この舌に刻んでおこうと、集中してクッキーをパクリ、サクリ、としていたのである。
「誤解していたわ。ベルさんのこと……。私ね、ミーアさんたちの様子を見て、てっきり、ベルさんが死んでしまったんじゃないかって、思ってたのよ。だって、ミーアさんたち、すごく落ち込んでいたから」
「ラフィーナさま……」
そう言えば、とミーアは思い出す。
あの、蛇の廃城から戻ってきてから、ラフィーナはどことなく優しかった気がする。リンシャのことを親身になって考えてくれたし、生徒会でも何かにつけてフォローしてくれていた。ミーアのテストの点が若干アレな感じになっていても、優しく見守ってくれていた。
――気遣っていただいてたのですわね。
改めて、そのことに気付くミーアである。そして……。
――ならば、ベルのことは適当に誤魔化したりせず、きちんと説明しなければなりませんわ。ラフィーナさまだけではなく、アベルにもシオンたちにも、ちゃんと説明しておかなければなりませんわね。
でもまぁ、個別に説明するのは面倒なので、一度に説明したいなぁ、などと思うミーアである。効率的に、省エネに生きたいミーアなのである。
さぁて、どういう手順でしようかなぁ……などと思案に暮れている間も、ラフィーナの話は続いていた。
「それに、ヴァレンティナさんも、そんなようなことを言ってたわ。ミーアさんのそばにいた子を射殺した。親友の大切な者を奪った私を生かしておいていいのか? って、私を挑発するのよ。とっても困ってしまったわ」
頬に手を当てつつ、ため息を吐くラフィーナ。その目が、まるっきり笑っていないことに気付いて、ミーアはわずかに震え上がる。
「ラフィーナさまにまでそんなことを……。それは、こわ……ざかしいですわね。さすがは蛇ですわ」
思わず、ラフィーナを挑発するだなんて「怖いもの知らずですわね!」などと言いそうになるミーアであったが、慌てて言い直す。それから、クッキーにむせた風を装って、ケホケホせきこんでみせる。
ついでに、目の前の紅茶を一すすり。口の中をすすぎ、頭をクリーンにする。
大切なのは、危険度の高さを計ることだ。
しばし、心を落ち着けて、考えて……。
――まぁ、パトリシアのほうが解決すれば、ベルのことはそこまで心配しなくってもいいんじゃないかしら?
そう結論を出すミーアである。
なにしろ、ベルは未来から来たことを何人かに話したという、そういう未来からやってきたのだ。要するに、必要とあれば、ベルは自身の秘密を話すことができるのである。というか、その必要がある人に事実を告げた未来からやってきたわけで……。
――今回は、わたくしがなにかしなければ、ラフィーナさまが司教帝になっちゃうということもないのでしょうし……。帝国も安泰みたいですし……。
危険度的に高そうな案件を片づけたことで、やや力を抜くミーアである。
それは、端的に言ってしまうと、油断に他ならないものであったのだが……。
そして、ミーアが油断した時には、たいてい恐ろしいことに巻き込まれるわけで……。恐ろしいモノを、呼び寄せてしまうわけで……。
「てっきり、ヴァレンティナさんに騙されてしまうところだったわ」
苦笑いを浮かべるラフィーナに、ミーアはおずおずと言った。
「あの、ラフィーナさま、実は、そうではありませんの」
「え……? どういう意味かしら?」
「ええと、後でアベルやみんなにも説明しようと思っているのですけど……。ベルには少しだけ事情がございまして。ヴァレンティナさんに首を射抜かれたことも、あの時に命を落としたことも、本当のことなんですの」
「命を……落とした? まさか……じゃあ、ミーアさんと一緒にいたように見えたベルさんは……幽霊?」
目を見開き、震える声で言ったラフィーナに、ミーアは思わず笑った。
「ほほほ、ラフィーナさま。そんなわけがありませんわ。そんな、幽霊だなどと、そんなもの、この世界にいるはずもありませんわ。ほほほ」
おかしそうに笑うミーア。であったが……なぜだろう、ラフィーナはまるで笑わない。
「ああ……そうか。ミーアさんには、見えないのだったわね……」
「はぇ…………?」
その時、ミーアは唐突に気付いた。気付いて……しまった。
ラフィーナの視線が、どこか定まらないものになっていること……。否、定まらないというよりは、どこか遠くに焦点が合っているような……。ミーア自身よりやや後ろの……なにもないはずの空間を見つめているような……。
それは、そう……あの、“猫がなにもない空間を見つめてじっとしている”ような、あるいは“犬が誰もいないはずの場所に向かって吠える”ような……、人間には見えていないナニカを自身のペットが見ているのだと、飼い主に確信させてしまうような、そんな行動に似ていて……。
「ら、らら、ラフィーナさま……? なっ、なにか、わたくしの後ろに、ありますの?」
「ふふふ、ミーアさん、この世界には、知らないほうが幸せなことって、あるのよ? ふふふ……」
ややうつむき気味に、不気味な笑みを浮かべるラフィーナに、ミーアが、ひぃぃっと震え上がった、次の瞬間っ!
「なぁんてね」
ラフィーナが顔を上げた。その顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいて……。
「…………はぇ?」
思わず、間の抜けた声を上げてしまうミーアであったが、
「らっ、ラフィーナさま、酷いですわ! そんな風に、わ、わたくしを脅かすなんて」
「ふふふ、さっきからかわれたお返しよ。だって、すごく恥ずかしかったんだから」
くすくすと笑うラフィーナに、ミーアはぷくぅっと頬を膨らませるが……すぐに吹き出してしまう。
恋愛話に怪談話、年頃の、普通の令嬢が交わす賑やかな会話の風景が、そこにはあった。
「そう。事情があるのね。よくわかったわ。アベル王子のお姉さんにも関係することだし、一度、生徒会で集まって、そこでお話を聞きましょう。それで大丈夫かしら?」
ラフィーナの提案に小さく頷くミーア……だったが……。
「それはそうと、ミーアさんは、怖い話が苦手なのね。では、こんな話は知っているかしら?」
「で、ですから、ラフィーナさまっ!」
にぎやかな令嬢トーク(怪談話)は、もう少し続きそうだった。




