第十九話 かくて選挙公約、完成す!
「なっ……!?」
ラフィーナが目を見開くのをよそに、ミーアは当面の作戦を定める。
まず……パトリシアが祖母であることは、秘密にしておく。
ここから時間移動の件を説明しては、ラフィーナが混乱するだけだろう。パトリシアが祖母であることは、確定しているわけではないし……。それ以上に、バルバラの件で生み出された流れが、そのエネルギーが分散してしまうような気がしたのだ。
ゆえに、問題点を一つに絞り、そこを全力で押す。
パトリシアは、蛇の教育を受けた可哀想な子。その線で押していく! その一点を押していく!
ミーアが大好きな物量を、集中的に一点に投入するのだ。
尖らせること茸のごとく……名軍師ミーアは、ついに相手の防御の薄いところに戦力を集中させることを覚えたのである。
……まぁ、それはともかく、後でベルにも黙っているように言わなければ、と思うミーアである。まぁ、もうすでにアンヌあたりにペラペラやっているかもしれないが、それはもう仕方ないことなのだ。
ともかく今は、論点を一つに絞り込む!
「あの子は蛇の教育を受け、ゆくゆくは蛇の教えを説く者として、あるいは、その工作員としてどこかの貴族のもとに送り込まれる……そのような立場の子なんですの」
「そっ、そんな子をどうしてミーアさんが……」
ラフィーナの不安げな顔に、ミーアは優しく微笑みかけて、
「それは無論……わたくしが教え、導くためですわ」
ミーアは、あえて、ラフィーナの前で宣言する。
それは一見すると、自らを引くに引けない状況に追いやる、いわば背水の陣の構えに見えなくもないが……違うのだ。
正直なところ、ミーアは面倒なことがそれほど好きではない。
楽ができる場面では楽をしたいし、楽ができそうにない場面でもできるだけ楽をしたい。サボりたい! むしろ、今回もサボらせてほしい、ぜひ!
という人ではあるのだが……そんなミーアであっても今回のことは、自分が関わらざるを得ないことを、きちんと悟っていた。さすがのミーアでもそのぐらいはわかる。
そうなのだ、もしも、パトリシアが祖母であった場合、ミーアはどうにかしなければならないわけで……それだけは面倒でも避けようがないこと。
すでにミーアは最初から背水の陣に追いやられているのだ。
ならば……、なにもせずとも背水の陣に追いやられるだけだというのならば、あえて、自分からそこに飛び込もうと……。その状況を最大限生かし、バルバラが作り出した流れを最大限生かそうと、そういう腹である。
それこそが、一番楽をする道なのだと……。ミーアの直感が告げているのだ。
「ミーアさん……あなたは……」
ラフィーナは震えるような声で言った。
「あなたは、聖ミーア学園でやったことを、ここでもやろうというのね?」
「…………うん?」
ミーア、意味が分からず、ちょっぴり首を傾げる。
が、幸い、ラフィーナは見ていなかったらしく、特に気にした様子もなく続ける。
「聞いているわ。ミーアさん、聖ミーア学園では、孤児たちに教育を施しているそうね。その協力を、貧民街の教会にお願いしたとか……」
「ああ……ええ……まぁ、そのようなこともありましたわね」
ミーアは、少々遠い目をする。
その孤児を受け入れるという大変慈悲深い帝国の叡智のプロジェクトは、今年で三年目を迎えていた。
その一期生であるセリアは、賢者ガルヴやその弟子の下で、優秀さを発揮しているという。彼女に続けと、孤児院からは優秀な生徒たちが次々と学園都市に送られてきているらしい。
――新月地区の神父さまが頑張ってると聞きましたけれど……ああ、そういえば、あの方は、ラフィーナさまの熱烈なファンでしたわね……。となれば、ミーア学園のことも報告が届いているということかしら……?
首を傾げている間にも、ラフィーナの話は続く。
「ミーアさんは、このセントノエル学園でも、同じことをしようというのね……」
「……はぇ?」
きょとん、と瞳を瞬くミーア。けれど、考えに耽る様子のラフィーナは、それには気付いていなかった。あごに手を当て、さながら名探偵のような姿勢で、ラフィーナは続ける。
「いえ、そうじゃないか。ミーアさんが考えているのは、もっと深いこと……。蛇の温床となるのは見捨てられ、踏みつけにされた弱者……。孤児たちというのは、まさにその条件に当てはまるし、その中にはもしかしたら、ミーアさんが連れてきた子と同じような、蛇の影響をすでに受けている子どもがいるかもしれない……」
ラフィーナは、そっと紅茶のカップを掴み、飲み干して……それから改めて、ミーアに視線を向けた。
「もしかして、ミーアさん、それが次の生徒会長選挙の時の公約かしら……?」
――はぇ?
再び、ちょっぴりアレな声を上げてしまいそうになるも、かろうじて、心の中でだけにとどめておく。心の中で『はぇ?』の盛大な反響を聞きながらも、ミーアは表情を取り繕い、
「……ええ、まぁ、そんな感じですわ」
深々と頷く。
すでに、流れに身を投じてしまったミーアである。今から、その流れに逆らうのは不可能だし、なにより疲れるだろう。
それが、仮に、自身の意図とは違う流れであっても、望まぬ流れであったとしても、とりあえずは乗る。そうして、途中で他の、もっと楽そうな流れが来たら、そちらに乗り換える。
それこそが、海月戦術の基本だ。
……まぁ、たいていの場合、流れを乗り換えるなんて器用なことはできずに……、そのまま嵐に巻き込まれ、沈まぬように苦労する羽目になるわけだが……。
それはともかく、ミーアはもう一度言う。
「このセントノエルで、次の蛇になりそうな子どもたちを積極的に受け入れ、教育を施す、これこそが、わたくしの欲するところですわ」
「なるほど……。この学園に通う者たちも、いずれは自国に戻り、国を治めるようになる。その者たちに、孤児たちと触れ合う機会を作る。そうして、蛇を生み出す土壌そのものを変えてしまおうというのね。素晴らしいわ、ミーアさん」
ラフィーナは、感動に瞳をキラキラさせながら、ひっしとミーアの手を掴んだ。
「ぜひ、私にも協力させていただきたいわ」
かくして、セントノエル学園に、新しく孤児たちを受け入れる特別初等科が設けられることになった。それは、今まで教会が担っていた役割、貧しい子どもたちへの教育を、各国にて制度化していく一つの契機になるのだが……。
無論、そんなことは知る由もないミーアなのであった。