第十八話 ミーア姫、モクモク……せず!
さて、しばしの楽しい会話に興じた後、ラフィーナは、そっと瞳を閉じ、気持ちを落ち着けるように紅茶を一すすり。
それから、改めてミーアのほうを見つめてきて……。
「ミーアさん、改めて、バルバラさんのこと、本当にごめんなさい」
深々と頭を下げた。
「彼女の脱走を許したのみならず、このセントノエルにまで侵入されるなんて……。弁明の言葉もないわ」
「……ふぁ、あ……ええ。まぁ」
急にやってきた真面目な会話に、ミーアは一瞬、答えに窮する。
……というか、声を出すのに微妙に失敗する。
なぜなら、ミーアは三枚目のクッキーを噛まずに、じっくり舌の上で溶かして、味と香りを楽しんでいたからだ! 嵐がやってきて数日、甘い物に飢えていたミーアにとって、そのクッキーは美味しすぎた。
ついつい真面目な会話の最中であっても、テイスティングしたくなるのは、仕方のないことだろう。
誤魔化すように笑って、ミーアは言った。
「別に気にする必要はありませんわ。ラフィーナさま。相手は混沌の蛇。完璧に防ぐのは難しいのでしょうし。それに、バルバラさんにはバルバラさんの事情があるみたいでしたし……あの執念があれば、こちらの予想もしないような無茶な方法だってとれるでしょう」
「……ええ、アベル王子から聞いたわ」
そう答えるラフィーナの顔は、沈んだままだった。
「彼女を蛇にしてしまったのは、貴族の横暴だった。そして、それを放置したのは、その国の王族で、同じく国を治める立場の自分たちにも責任があることだって……」
中央正教会の教え。
王とは国を支配する者にあらず。その地を治め、民の平穏を守る義務を神から委託された者なり、と。
それゆえに、他の王が暴虐に走り、民を虐げし時には、それを諫めるもまた、王の責務。であれば、バルバラのような女性を放置したのは、自分たちの責任でもある、と。
アベルが言うのは、どこまでも、中央正教会の原理に則った考え方ではあったが……。
「そうですの、アベルが……」
ミーアは、ふと、先ほどのアベルの顔を思い出す。
バルバラの話を聞いた後のこと……。アベルは、やけに甘い言葉を言ってはいなかったか? 無理をして、明るく振る舞ってはいなかっただろうか?
――あれは、わたくしを気遣ってということもあるのでしょうけれど、彼の中でも消化しきれない感情があったからではないかしら……。
ミーアにしても、あれで救われた感じがしたのだ。
あのまま、バルバラの話の持つ暗さにあてられていたら、ショックを受けたパトリシアを気遣う余裕もなかっただろう。
――アベルは繊細な人ですし、変に気にしなければいいのですけど……。
王の責務と真面目に向き合いすぎて、自分を責めすぎなければいいな、と……ついつい心配になりつつ、ミーアはラフィーナのほうに目を向けた。
「バルバラさんのことは不幸なことでしたわ。できれば、彼女には寛大な処置をとっていただきたいのですけど……」
「ええ。考慮するわ。ただ、逃げ出すたびにこのような騒動を起こしたり、要人を危険に晒すようなことは、止めなければならないわ」
ラフィーナは、静かに、けれど、はっきりとした口調で言った。
それから……そっと目を逸らして、
「それでも……できれば彼女にも立ち直ってもらいたいわね。彼女のような人を処刑することは、蛇に対する敗北に他ならないのだから」
「蛇に対する敗北……」
つぶやくミーアに、静かに頷き、ラフィーナは言った。
「地を這うモノの書は、傷つき、慰めを受けるべき人を、”裁かれる者”へと変えてしまう、恐ろしい書物よ。蛇にそそのかされ、罪を犯した者を、王は裁かなければならない。けれど、蛇になるのは弱く、傷ついた人たち。王は罪人を裁くのと同時に、弱者を虐げる者とみなされる」
「なるほど。それは、次の蛇を育む土壌となりうる……。確かに、とても厄介なものですわね」
そして、その厄介な蛇の教育を自らの祖母が受けていたかもしれない……。
実に頭の痛い問題であった。
さて……なんと説明したものか……。ミーアの頭が再びモクモクなる……ことはなかった。つい今しがた食べたクッキーが、ミーアの脳に糖分を届け、糖分という潤滑油を得たミーアの脳は、ぎゅんぎゅん音を立てて回り始めていた!
そうして、いささか知能が上がったミーアは、不意に気付く。
この話の流れは……好都合なのではないか? と。
――これは……パトリシアのことを切り出すのは、今しかないんじゃないかしら?
流れに乗ることこそ、ミーアの真骨頂。いつの間にか生まれた、自身の背中を押すような流れにミーアは身を委ねる。
「ラフィーナさま、一つよろしいでしょうか?」
「なにかしら?」
小さく首を傾げるラフィーナに、ミーアは意を決して言った。
「お聞きかもしれませんけれど……わたくしが連れていた少女のことですわ」
「ええ。聞いているわ。バルバラさんは、その子のことを蛇だと言っていて。ミーアさんが蛇の子を連れていた、なんて、吹聴していたみたいだけど……。安い分断工作。私たちとミーアさんを仲たがいさせようという狙いかしら……?」
「いえ。実は、そうではありませんの」
ミーアは、実になんとも重々しい口調で言う。
「実は、あの子は本当に、蛇の教育を受けた子どもなんですの」




