第十七話 ミーアとラフィーナ、甘い会話をする
――むっ! この香りはっ!
ラフィーナの部屋へと入った瞬間、ミーアの鼻がひくひくっと動いた。
優秀なるミーアの嗅覚が捉えたのは、芳しい紅茶の香りと、そこに混じった仄かに甘い香り……。
――この香りはクッキーかなにか……焼き菓子ですわね!?
などと、キョロキョロすれば、テーブルの上にはすでにお茶とお菓子の準備がしてあった。
「ようこそ、ミーア姫殿下」
準備を進めていたのは、ラフィーナのメイドとして、セントノエルで働きながら学業に勤しむリンシャだった。
いつもは、ちょっぴり仏頂面が多いリンシャだったが、今日はなんだか、上機嫌にニコニコしていて……でも。
「……あれ? あの、ベルさまは?」
「ああ、ベルなら部屋で留守番にしましたわ」
そう聞いた途端、しょんぼりと、肩を落とした。
ミーアはテーブルの上に山のように積まれたクッキーと用意された紅茶の数を見て取って察する。
――ああ、なるほど。リンシャさん、張り切ってたんですわね。
どうやら、ベルが帰ってきたのが嬉しくって、ついつい奮発してしまったらしい。ミーアは苦笑いしつつ、
「リンシャさん、申し訳ないけれど、わたくしの部屋にベルとアンヌ、それに幼い女の子がいるので、このクッキーを少し持って行っていただけるかしら?」
「え? でも……」
と、咄嗟にラフィーナのほうに顔を向けるリンシャ。ラフィーナはそんなリンシャに微笑ましげに目をやって、
「構わないわ。私も、ミーアさんと二人でお話ししたいと思っていたから。持っていってあげて」
そっと頷きながら言った。その反応が恥ずかしかったのか、リンシャは、わずかに頬を赤く染めて……。それから、手早くクッキーを取り分けると、パタパタ部屋を出ていってしまった。
――ふぅむ、しかし……リンシャさんが養育係をしてくれているなら、ベルも大丈夫と思っておりましたけれど……割と甘やかされているかもしれませんわね。あの感じではきっと、甘々に甘やかされて……ほぅ!
考え事をしつつ、目の前のクッキーを口に放り込んだ時……ミーアは思わず唸り声をあげた。
――このコク……控え目な甘味の中に隠されたまろやかな、豊かな味わい……。
噛み砕いたサクサクとした生地を舌の上で転がす。っと、口の中に広がったのは、素晴らしき風味。極上のミルクからしか生まれないその風味に、ミーアは記憶を刺激される。
それは、そう……あの懐かしき騎馬王国の草原の風景。草の上をのんびーりと歩く、美味しそうな羊と牛!
カッと瞳を見開いて、ミーアはラフィーナを見つめる。
「んっ? どうかしたのかしら? ミーアさん……」
視線の意味がわからないのか、小首を傾げるラフィーナに、ミーアは笑みを浮かべた。
「なるほど。ラフィーナさまも、なかなか……。隅に置けませんわね……」
「すっ、隅に……置けない?」
ぴくんっとラフィーナが震えるのを、ミーアは見逃さなかった。
――嵐の影響でほしいものが手に入りにくいこの状況でも、まだ、こんなに美味しい物を残しておくなんて、大した備蓄魂ですわ。
と、感心しきりのミーアである。
ミーアは備蓄信奉者である。だから、自室にはそれなりにスイーツの蓄えがある。嵐のせいでジワジワと目減りしてきているが、それでも全く甘い物がなくなってしまうことはないのだ。
そんなミーアだから、このタイミングでこれほど高品質のクッキーを出してきたラフィーナに、深い共感を覚えてしまった。
――さては、ラフィーナさまも、相当お好きなのですわね……甘い物が。
先達のFNYリストとして、ついついラフィーナの二の腕をフニフニしたくなるが……さすがにそれは自重しておく。
なんとなく、キノコ風呂の比ではない勢いで怒られそうだし……。
「それにしても、実に濃厚なミルクの味。これは、間違いありませんわ。騎馬王国のミルクを使っておりますわね?」
馬龍が極上と言っていた、醍醐羊のミルクを使っているに違いない。
「ふふふ、さすがですわね、ラフィーナさま。手が早いですわね」
ミーアの中にあるスイーツ好きの血が、ラフィーナを好敵手と認める。
甘いお菓子のヒントと出会えば、すぐにそれを仕入れようというその気高い甘味精神には、ミーアも感服を禁じ得ない。
「なっ……ぁっ!」
今度は、なぜだか、口をパクパクさせるラフィーナ。そんな彼女を尻目に、ミーアは、腕組みしつつ、うんうん、っと頷く。
――着々と騎馬王国と交易を進めているんですわね。その結果が、この美味しいミルクを生み出す羊……。これもきっと騎馬王国からの贈り物なのでしょうし、帝国も負けてはいられませんわ。もっと積極的に、騎馬王国との交流を深めていかなければ……。
と、そこでミーアは気付いた。なぜだろう、ラフィーナは顔を赤く染めていた。その瞳もちょっぴり涙目になっている。
「ちっ、ちち、違うのよ? ミーアさん、誤解しないで。馬龍さんとはあくまでも、一緒に遠乗りに行ったりしてるだけだし? そ、それも、もとはと言えばミーアさんと一緒に馬に乗りたくって習い始めただけで……」
「あら? そうなんですのね。馬龍先輩に乗馬を習っている……。なるほど……」
ミーアは、まるで言い訳するように、恥ずかしそうに早口になるラフィーナに、温かな目を向けた。
――甘い物を心おきなく食べるために、乗馬に勤しんでいるわけですわね。ふふふ、それを誤魔化すために言い訳をするなんて、ラフィーナさまもなかなか可愛らしいところがございますわ。
FNYリストの先達として、ミーアは貫禄の笑みを浮かべて、
「気持ちはよくわかりますわ。ラフィーナさま。わたくしも同じですから、そんなに言い訳しなくても平気ですわ。いいですわよね、遠乗り。とても素敵」
「だから! 違うって……言ってるのに。うう……」
ぎゅうっとスカートの裾を握りしめ、恨みがましい目で見つめてくるお友だちが、今日はなんだか可愛く感じてしまうミーアである。
「あの、ちなみに……ミーアさんは、その……アベル王子と遠乗りに行く際には、どんな風にしているの?」
乗馬の先達として、ミーアはちょっぴり偉そうに胸を張り……、
「ふぅむ、そうですわね。ランチを持っていくことが多いですわ。行った先で、ピクニックなどをするととても気持ち良いですし。そう、特に、わたくしが考案した馬パンが、アベルには大変に好評で……」
などと、少々、アレなアドバイスをしてしまうのだが……。
……後日のこと……。ミーアの言葉を真に受けたラフィーナが、馬パンでサンドイッチを作り、持っていった結果……馬龍のハートを深々と射抜いてしまうことになるのだが……。
まぁ、それは別の話なのであった。