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第十五話 宰相ルードヴィッヒの時間揺らぎ論2 因果からの逸脱

今日は面倒くさい話です。

 水をかぶり、少々頭を冷やしたミーアは、浴槽のふちに腰かけて、尋ねる。

「それで、ベル、あなたが飛び込んだことと、わたくしとがどういう関係がございますの?」

「はい。ええと、話を戻すと……」

 ベルは、ちょっぴり汗の浮いた顔をお湯で洗ってから、話を再開する。

 未来の、老境を迎えたルードヴィッヒが辿り着いた、時間にまつわる推論の話を。


「ミーアさまは、天が遣わした救世主なのではないか?」

 その思いは、ルードヴィッヒがミーアと出会った当初から、抱いていたものだった。

 最初は、単なる直感に過ぎないものだった。けれど、それは今、ルードヴィッヒの中で、合理的な確信に変わりつつあった……変わってしまいつつあった!

「歴史の流れとは、因果の繋がりだ」

 確認するように、ルードヴィッヒは言う。

 例えば国は、ある日、突然に滅びたりはしない。そこに至るまでの原因があり、結果としての滅びがある。

 例えば、王は、ある日突然に堕落したりはしない。必ず、堕落へと至る要因があり、結果として堕落し、腐敗した政治を行うようになるのだ。

 何事にも原因があり結果がある。そして、生み出された『結果』は、次の結果の『原因』となる。因果は連綿と連なって、一つの流れを生み出す。

 それが歴史。

 それは、大地の実りにも似ている。蒔いた種から出る実りは決まっていて、その実からできる種も決まっていて……途中で多少の変化はあれど、大きな流れは変わらない。

 麦を蒔けば、実るのは麦だ。そして、その実りを大地に蒔けば、やはり収穫されるものは麦なのだ。

 人の一生も、国の未来も、すべてはそれまでの因果に縛られ、ある程度の方向が決まっているものなのだ。

 けれど……。

「ミーアさまが、ミーアさまのようなお考えの人が……この時期の帝国に生まれるはずがない」

 帝国の叡智が、この時の帝国に生まれるというのは、考えづらいことだった。

 そもそも、教育的に言って、それはあり得ないことだ。

 彼女は、あの時点でいくつだったか? 自身の前に現れた時には、確か齢十一であったはず。そのような子どもが、帝国の運命を左右するような改革を始める? あり得ない。

「いや、仮にミーアさまが不世出の天才であったとしても……その後の歩みはこのようにはならなかったはずだ」

 仮に、天才的な知恵を持つ皇女が生まれ出たとして……この帝室で、ミーアのような倫理観が育まれるものだろうか? 知恵があったとしても、それが良い方向に用いられるとは限らない。それは、ガルヴも言っていたことだ。

 邪悪なことにだとて、知恵は用いることができる。そして、当時の帝国の姫であれば、その知恵は当然、良い方向には用いられないはずで……。

「だが、ミーアさまは……違っていた。慈愛の心をもって、知恵を用いていたではないか」

 貧民街、新月地区での出来事が、鮮やかに目の前に甦る。

 なんの躊躇もなく薄汚れた子どもに歩み寄った彼女は、それを抱き起こしてみせたのだ。

 あのような慈悲の心が、ティアムーンの帝室で育まれるとは到底思えない。彼女の教育を担う者たちの中にも、残念ながら、彼女に『人の道』を教える者はいなかったはずだ。

 セントノエルに行った後ならばともかく、あの時の帝室にミーアのような皇女が出現することは、歴史の因果から言ってあり得ない。

「ミーアさまのような、真の叡智の持ち主が、帝国の歴史上のこの位置に唐突に出現する? あり得ないことだ。ミーアさまは、歴史の因果から逸脱している」

 そのような確信に至る、もう一つの理由があった。それは、彼女がもたらした変化だ。

 その当時の各国の状況とその後に起こりかけた大飢饉のこと。かつて想像した、幻の大飢饉のこと……。

 調べれば調べるほど、ルードヴィッヒは思う。

 世界は確かに、この時、滅びへと向かっていた、と。

「だが……ここで流れが変わっている……」

 明らかにミーアの周辺から、世界の、歴史の流れが切り替わっている。

 その影響はさながら波のように、大陸の各国へと広がっていく。

 歴史の因果から切り離された流れが、ミーアから生み出されている。そのようにルードヴィッヒの目には映った。

「かつて、かの混沌の蛇の巫女姫、ヴァレンティナ・レムノは、ミーアさまを称して、逸脱した存在と言ったというが……なるほど、それは、言い得て妙だ」

 確かに、ミーアは逸脱した存在。そして、歴史の因果から逸脱しているがゆえに……。

「時間線を揺らすほどの衝撃を起こした」

 因果から外れた彼女の行動が歴史に影響を及ぼし、その流れすら変えてしまった。

「ミーアさまは……天が、帝国に遣わした救世主なのだ」

 その声は、確固たる信念に裏打ちされたものとなっていた。


「……ということなんです」

 ベルはドヤァッという顔で、言った。

 話を黙って聞いていたミーアは……浴槽に浸かって、ホカホカ温まっているはずのミーアは……ちょっぴり背中に冷たいものを感じていた。

 なぜなら、ルードヴィッヒの話が、ミーアには、ひどく実感できてしまったからだ。

 彼の言う『因果からの逸脱』それは、すなわち……。

 ――それって、わたくしが、断頭台にかけられる記憶を持っているからなんじゃ……?

 ミーアの行動の原因は、消えてしまった断頭台の未来に由来するもの。それゆえ、そこまでの歴史の流れからは、確かに逸脱したものに見えたのだろうが……。

 ――ルードヴィッヒもあの世界の記憶を持っていたのだとしたら、バレてしまうところでしたわね……わたくしが本当は、ちょっとだけアレなところがあるって……バレてしまうところでしたわ。危ないですわ!

 とりあえず、自らの真実がバレていないことに、ホッとため息のミーアである。まぁ、実際に、彼女のポンコツぶりがバレていないかは、微妙なところであるのだが……。

「それはそれとして、では肝心な、あなたがこの世界にやってきた理由はなんなんですの?」

「はい。それはですね……」

 ベルは、記憶を整理するように小首を傾げてから、話し始めた。


 それは、ベルが過去へと飛ばされる、少し前の出来事だった。

 その日、ベルとルードヴィッヒは、白月宮殿の中庭にある池のそばで話をしていた。

「ルードヴィッヒ先生、ボクはどうして、過去の世界に行ったのでしょうか?」

 その問いかけに対して、ルードヴィッヒはしばし黙ってから……。

「そう、ですね。ここから先は推測とも呼べないものなのですが……」

 ルードヴィッヒは、一瞬黙ってから、池の中にある石を取り上げた。

「この石をミーアさまとしましょう」

「その石が……?」

 不思議そうに首を傾げるベルに、ルードヴィッヒは頷いてみせて、

「とても重く、大きな石です。水面に投げ込めば、ほら、この通り」

 ルードヴィッヒはそう言うと、石を池に向かって投げた。

 静かな水面に波紋が広がっていき、水底が揺らぐ。

「あれが、ミーアさまのなされたことです。因果によって決まっていた時間線に揺らぎをもたらした。そして、波にご注目ください」

 ルードヴィッヒが指さす先、反対側に到達した波が、戻ってくるのが見えた。

「ミーアさまが起こした波、それが時間線の果てまで行きつき、跳ね返ってきた。その波によって、ベルさまが過去へと流されたのではないか? というのが、一応の私の推測です」

 そこまで言って、ルードヴィッヒは眉間に皺を寄せる。

「ただし、これはあくまでも私個人の考え。しかも、私自身、いまいちしっくりきていない部分もございます。だから、どうか、あまり、真に受けないようにお願いいたします」


「……ってルードヴィッヒ先生、言ってました。ルードヴィッヒ先生にしては、ちょっとだけ歯切れが悪いように感じたんですけど……」

「なるほど……。だから、ベルがやってきたのは、わたくしのせい、と……」

 浴槽のふちに座り、ぽちゃぽちゃお湯を揺らしながら、ミーアは唸った。

 時間線に与えた影響、それが波のように未来へと広がっていき、どこかで跳ね返ってきて……その波に押されるようにしてベルがこちらの世界にやってきた……なるほど、それは、納得がいかなくもない理屈で……。

「いえ、そもそも、このような理解不能な状況を説明しようというのが無茶なこと。それなりに納得のいく推論を考え出しただけでも大したものですわね」

 感心しつつ、しかし……とミーアはベルの顔を見た。

 ――弦楽器がないからお風呂に、というのはまぁいいとして、あの偉そうにやった説明は全部ルードヴィッヒの説明をパクったというわけですわね……。丸パクをして、あんなふうに恥ずかしげもなく、偉そうな顔ができるなんて大した胆力ですわ。

 ん? と首を傾げるベルに、ミーアは思わずため息を吐いた。

 ――まったく、誰に似たのかしら……?

 ふと、視線を落とすと、お湯にはミーアの顔が映っていた。

 まぁ、だからどうしたということではないのだが……。

「あ、でも、ルードヴィッヒ先生は、自分の説より、むしろラフィーナおばさまの説のほうがしっくりくるって言って……」

「ベル……ちょっと」

 ミーア、手を上げて、ベルを制する。

「なんでしょうか? ミーアおば、お姉さま」

「いいですこと? ベル。わたくしを、ミーアお祖母さまと言い間違うのは、まぁいいですわ。それに、アンヌやエリスを母さま、というのは、まぁ当人たちも嬉しいかもしれませんし、良いとしましょう。けれど……」

 ここで、ミーアは一度言葉を切り、

「ラフィーナおばさま……これはダメですわ。なんというか、仮にあなたやラフィーナさまがよくっても、わたくしの寿命が縮んでしまいますわ」

「そうなんですか? でも……」

「ラフィーナさま……。いいですわね? ベル、ここにいる間だけでなく、未来に帰ったとしても、きちんとラフィーナさまと呼ぶようにしなさい。いいですわね?」

 念を押すミーアに、ベルは小さく頷いた。

「わかりました。それでええと、ラフィーナさまの説なのですが……」

「ああ、そうでしたわね。何と言っておりますの?」

「はい。ラフィーナ……さまは、自信満々にこう言っていました」

 ベルはグイッと胸を張り、

「神が、ミーアお祖母さまの偉業をボクに見せるために、過去に飛ばしたんだって……」

 ベルはキラキラした瞳で言った。

「ミーアお祖母さまのような素晴らしい人は、世界で一人しかいない。まさに選ばれた人だから、その手腕を直接、ボクが学ぶために、過去に飛ばしたんじゃないか、って、そう言うんです。ルードヴィッヒ先生も納得の顔でした」

「あ、ああ、なるほど……」

 ミーアは頷く。

 その説は、なるほど、確かに分かりやすかった。

 意志と力を持った存在が、目的をもってミーアを時間移動をさせた、と。

 それは、どのようにしてこの現象が起きたのか? という見方ではない。

 なんのために、その現象が起きたのか? という考え方だった。

「ということは、ベルが過去に飛ばされたのは自然現象ではなく、意味のあることというわけですわね。しかし……ではあの子は……」

「あの子……? ああ、あの時の?」

 ミーアは頷き、続ける。

「なにか、蛇が姑息なことをしようとしてきたのだと思いましたけれど、ベルと同じような光をまとって現れたところが気になりますわ。あの光が時間を移動する時に生じるものだとするならば、彼女もまた、時を超えたどこかからやってきたと考えるべきではないかしら? それに、夢を見たタイミングも……」

 あつぅい風呂の中という地形補正が、スキル≪お風呂大好き≫持ちのミーアの知恵を120%底上げしていた! 

 お風呂探偵ミーアの推理が冴え渡る。

「あの夢が、もしも、ルードヴィッヒが言う“揺らぎ”によって生まれたものだとするならば、“揺らぎ”は、あの瞬間にも起きたと考えるべきかしら? ラフィーナさまにパトリシアを預けようと思ったことで……?」

 パトリシアの扱い方によって、今が揺らぐ……。そのことに、ミーアは戦慄し、同時に自らの内にあった違和感を解消するに至る。

 蛇が、時間移動の秘密を知り、ミーアの祖母に似た少女を送り込んでくる? そんな面倒なことをするはずがないではないか。

 ――やっぱりあの子は、パトリシアお祖母さまご本人と考えておくべきですわね。

 ルードヴィッヒの説明では、過去から未来へやってくることの説明はされていないものの、そう考えておいたほうがよさそうな気がした。

「あ、ルードヴィッヒ先生は、こんなことも言ってました。もしかすると、揺らぎによって生じた別の時間線というのは、今も同時に存在しているんじゃないか、って」

「どういう意味ですの?」

「ボクもよくはわからないんですけど、どの方向に歴史が収束していくか、それは時間線の濃い薄いが関係するんじゃないかって。時間線ごとに濃さがあって、いずれは濃いほうに収束していき、歴史の形が確定する。そして、薄いほうは夢に変わってしまうんじゃないかって。だから、なにかの行動で夢の側が濃くなってしまうと……」

「夢と、現実とが入れ替わる可能性もあるということですの?」

「あるかもしれないし、ないかもしれない。仮にそうだとしても、ボクたちは気付かないんだろうって、言ってました」

 それを聞いたミーアは、思わず、ひぃいっ! と悲鳴を上げるのだった。

スキル≪お風呂大好き≫

ミーア固有のスキル。

『お湯』の中にいる時に、知能が120%アップ。

お湯に対する熱耐性 強

どんなお風呂でもポジティブになるため、いろいろなステータスに+補正!


……ジョークです。念のため。

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[良い点] 存在の濃い方に収束するって考え方はちょっと新しかったので面白いです。ここからどう発展していくのか… [気になる点] >意志と力を持った存在が、目的をもってみーあを時間移動をさせた、と。 …
[気になる点] >意志と力を持った存在が、目的をもってみーあを時間移動をさせた、と。 細かいことですがみーあがひらがなになっていました 誤字でしょうか? [一言] おばあちゃんのことが少し触れられた…
[一言] 10代のラフィーナ様に、おばさま(おばさんw)呼びはまずいっ(汗)、 と焦るミーア様がベルちゃんに 『ラフィーナ様と呼ぶようにしなさい!』 と指導されていますが、 いつの日かベルちゃんが未来…
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